見出し画像

#19 「自然との共生」を懐かしむ【サモアの想いで】

🌴以下の作品は2007年〜2010年の間に、米国に暮らしながらサモア暮らしのリフレクションを記したフォトエッセイ(全20篇)の転載です。サモアには97年に住み始めたのでこれを記したときはその10年後。そして、今さらに記したときから十数年が過ぎました。

🌺こうした経験からできあがっているのが今のわたしですから、いつ振り返ってもすべての時間が愛おしいです。

🌈こんな人生を与えてくれた夫に心より感謝💗


 常夏の国サモアには、バケツをひっくり返したような雨が延々と続く雨季がある。その湿度といったら半端ではなく、洗濯物にまでカビがはえるほどだ。ジトジトする暑さに耐え切れず、「今日のシャワーは雨水にしておこう」と、どしゃ降りの外に飛び出した日のひとコマ。

 雨が降り続く時期には「雨が降っていない」という“つかの間”も「ありがたい」と感じた。さわやかな貿易風のそよぐ乾季には、さらに気持ちのよい涼を運んでくれるスコールの“降る雨”にも感謝できた。

 南の島サモアでは、こうした自然の恵みのおかげで花は次々に咲き乱れ、芝は瑞々しく、南国独特のフルーツはたわわに実をつけていた。ほとんどの村の水源はタンクに貯めた雨水だが、豊富な雨量のおかげで水道設備のない地域もなんとか水のある暮らしができている。もっとも「自然に頼る」しかない水が、人々にとって貴重であることにかわりはない。

 「自然との共生」が当たり前だったサモアを離れ、ミシガンで10回目の夏を迎えている。

 春から夏のあいだ、ハウスオーナーは庭の芝を青々とさせ、庭木を美しく保つことに躍起になる。雨乞いに頼らなくても良いように、庭には潅水システムが導入されている家も珍しくない。少々、水道代が高くつこうとも、庭じゅうの地中に埋められたホースから定期的に散水される。クリーンな水道水はときに、夕立ちの雨の中でもまかれている。スイッチを入れる手間さえ惜しみタイマーでプログラムされているからだ。

 サモアで暮らした経験を持つ私にとって、美しさを保つためとはいえ除草剤入り肥料をたっぷり散布し、手を抜くための無駄な放水をすることがつい滑稽に見えてしまうどころか、人間のエコイズムとさえ感じてしまう。

 根本的な価値観がちがうここでは人工的なあの手この手を「不自然」と感じる人は少ないかもしれない。逆に、サモアの人々が「自然との共生」を意識したうえで自然に逆らわない暮らしをしていたとも思えないが、自然に逆らわない、風土にあった暮らしを営むことは、先進国ほど難しいことなのかもしれないと思うこの頃である。

2010 Jul. by yahoi

🌴今の声
シンプルライフに挑んで暮らした我が家が、たぶん、世界一無駄に贅沢を享受する国で早20年以上経ちました。家の中はセントラルエアーの快適空間でスポイルされていますが、個人的には南国向きな人間なので、いつでもまたサモア流で暮らせる自信もあります。😉


🌺 共感、応援いただけるならとびあがって喜びます。 そして、その喜びと感謝を胸に次のどなたかに恩送りします。