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待合室

初冬、曇天の待合室に15人ほどがいる。地方のさほど大きくない私立病院。外来は内科と精神科のみ。待合から中待合、診察室に入るまでにドアが二つあり、どちらに受診するか、待合からはわからない。私の住む地域ではこの外来に来る者に、内科なのか精神科なのか質問するのが日常だ。といっても皆、内科と答える。今日いる15人の中の8人ほど、顔を知っている。その8人は私の事を話している。この待合に私が来てからずっと私の事を話している。待合に入って来るときに8人に挨拶したが、挨拶は帰って来なかった。

5年前に夫の実家があるこの土地に夫と私と息子、3人でやってきた。街まで30分ほど。そこから奥には集落がなく、山々がそびえる。一番近いコンビニエンスストアまで15kmほどある。夏は棚田に青々とした稲と入道雲。冬は2m程の雪が降るが、幹線道路の除雪は徹底される。高い山の雪をかぶった山頂が夕日に染まるのは素晴らしく美しい。都内と違い買い物は多少不便ではあるけど、通販がある。雪深くても、とりあえず軽自動車の4wdさえあれば何も困ることはない。

夫はこの土地に生まれ都内の国立大学を出た。4年ほど前に幼馴染がこの地で立ち上げた事業に誘われ、それに乗った。夫の父は随分前に亡くなり、母も私たちが来てすぐに亡くなった。その義母は私に大変良くしてくれた。まだ私達が都内にいる時も上京し、4人で色々なところへ出かけた。両親が既に他界している私には貴重な思い出だ。夫が参加した事業は順調に大きくなった。地方山間部で生まれ、成長したことからメディアの取材が相次いだ。その頃から近隣からやっかみの声が出てきたが、結果を残していることからそんなものは相手にしなくて良かった。

小学校5年生でこの土地にやってきた一人息子の朔太郎は持ち前のコミュニケーション能力ですぐにこの地に馴染み、端正な顔立ちも相まってクラスの人気者になった。私は元々経理業務に携わっており、地元の農機具部品メーカーに就職した。簿記1級とMOSを持っていることから重宝される様になった。春にはフキノトウやタラの芽を近所から頂き、私たちも田植えを手伝った。夏は地元のお祭りをと近隣の方々と楽しみ、秋は田畑の収穫をともに行い、その慰労を兼ねた近場の温泉旅行も皆とともに行った。冬の大雪の際には両隣だけでなく近隣の相当な範囲の除雪をした。息子の朔太郎は雪かきの十分な戦力となった。移住する前に夫は、もしかしたらこの地に馴染むのは時間がかかるかもしれない、と話していたがそんなことはなく、順調にこの地での生活が根付きつつあった。憂うものは何もなかった。

夫が幼馴染みと立ち上げた事業が潰れた。粉飾決算をしていた。 収益は表向き順調。社長の幼馴染みとその妻が経理業務を握っていた。売り上げは良かったものの、使途不明金、不必要な借入。夫は営業とメディア、Eコマース、そしてフルフィルメントを担っていたので、経理や財務状況に目を配ることができなかった。社長夫妻は計画倒産まで視野に入れていたらしい痕跡。そして行方はわからない。注目されていた事業だったが故に地方新聞を始めテレビ局など地元メディアに大きく報じられた。大きく報道された割には従業員10人の解雇と地元の信用組合に300万、仕入れ先に100万ほどの債務が残った。夫は従業員の再就職に奔走し、結果、同じか今より良い条件で行き先が決まった。信組と仕入れ先への400万、それを夫が負う責任はなかったが夫は自ら申し出、肩代わりした。形としてはうまく着地した。

それはSNSから始まった。夫に対する誹謗中傷。
地域の意向を無視するからこのようになるんだ。最初からあれはうまくいかなかったのだ。地域に根ざした事業ではなかった。目立つことやろうとするからああなるんだ。一度外に出ものは信用ならないということがよくわかった。こんなに周りに迷惑を掛けて。ほら。

更にSNSに書き込まれる内容はヒートアップする。ありもしない夫の過去の悪行。ありもしない私の浮気話。そしてSNSからから始まったものは、僅かなタイムラグで実際の生活にも飛び交った。

そして、少しずつ私たちの耳に届き始めた。

最初にあからさまな話を投げられたのは中一になっていた朔太郎だ。オマエの父ちゃん、横領したんだってな、みんなから金、欺しあげたらしいって噂だぜ。朔太郎はしっかりと何回も説明した。しかし相手はそんなことはどうでも良く、ただ、からかい、自分の鬱憤を晴らしたいだけだ。朔太郎はそれでも夫から聞いた話をクラスメイトやバスケ部のチームメイトに丁寧に我慢強く伝える。しかし相手はそんなことはどうでも良いのだ。朔太郎は次第に学校のクラスとバスケ部で孤立していった。

私の職場も雰囲気が微妙なものとなる。もちろん中学生ではないのであからさまな言動はないが、ひそひそ話が聞こえてくる。他の人がやるべき仕事が無言で廻って来る。話しかけられる回数が減る。しかし私は平気だった。私は他の職員よりも圧倒的に仕事ができた。そして家に帰れば夫と息子がいるのだ。

近所付き合いは変わらないどころか、暖かくして頂いた。本当に感謝している。我が家の状況を察し、家族揃って夕食に呼んで頂いたり、いつもに増しておすそ分けを頂いた。度々声を掛けて頂き、気が楽になる。朔太郎の事も気にかけてくれた。登校時下校時、彼に対する近所の方々の明るい声掛けだけでも救われた。学校から帰って来る際、しょっちゅう両手に大きなビニール袋を下げている。ビニール袋の中には大抵地元の野菜か、お菓子が大量に。その気持ちは嬉しかった。

また、同じ学年の女の子二人がちょくちょく家に遊びに来た。それは朔太郎に対する淡い恋心だったのかもしれないが。

少し気がかりなのは、事業がつぶれた事で転職を余儀なくされた何人かが、そのことで人生狂わされたなどと言う。尾ひれを付け、方々に触れ廻っている。多分彼らがSNSでの発信元なのだろう。確かに転職は大変なストレスを強いられる。望んでない転職はなおさらだ。それについては私も申し訳ないと思う。しかし、彼らは夫の尽力のおかげでより良い待遇で他社に入社した。いつまでも同じことを触れ廻るのも飽きないのだろうか。

集落の会合には彼らも参加する。しかし、その場で微妙な雰囲気を感じることぐらい、大した事などなかった。我が家に良くしてくれる近所の人からは、あいつらは何をしても文句を言うから相手にしなくていい、と言われる。

どんなところにもいつまでも同じことを繰り返す、自分の悪意をわからない暇な人たちがいると。自分のしている事が正義だと恐ろしい勘違いをしていると。

夫は全てが片付いてから、少し遠方にある建設業に再就職した。彼は持ち前の行動力と明るさで会社にすぐに馴染んだ。車両系建設機械運転者という重機を動かす資格をこちらに来る前に取ったことも幸いした。社内は少し荒々しい雰囲気はあるものの、大したことではないと彼は言う。憂いもなく出勤する。ITに詳しい人がいなかった事も幸いし、前職Eコマース担当だった彼の立ち位置がはまった。その社内で彼の事業失敗の事を言うものはいなかった。恐らくそのことは皆知っている。ただ、わざわざ言う必要もなかったのだ。仕事に関係ないからだ。職場は私たちのいる土地の生活圏ではなく、そしてそこまで暇ではなかったのだろう。

朔太郎は少し元気がない。学校が世界の全てである中学生に幾ら近隣の人が良くしてくれても、厳しい状況かもしれない。夫は朔太郎の学校での環境が悪化した事に強く責任を感じている。なので、学校帰りや土日祝、朔太郎に良く付き合う。音楽だ。夫はギターをやっていた。朔太郎にもギターを教えようとしたら、ベースがいいと。BeatlesのTAXMANを聴き、ポールマッカートニーのベースに衝撃を受けた。夫に言わせるとTAXMANはポールマッカートニーのベースが唸る。ジョージが作ったのにポールのベースのための曲だそうだ。夫のギターと朔太郎のベースが家に響く休みの日は幸せだ。

夫によると、朔太郎のセンスは驚くべきものだ、学校でも周りに認められるかもしれないと。というのも朔太郎の中学校は軽音楽部が盛んで、誰もが知る著名なミュージシャンを輩出している。朔太郎もその軽音部に入れば環境が変わり周りの雰囲気も良くなるのではと思う。朔太郎も夫とセッションしている時は何にも捉われない、良い顔をしている。またこの頃から朔太郎がコーヒーの味を覚えた。彼が淹れるドリップコーヒーを3人で飲んでいる時は幸せそのもので、そしてこの家を取り巻く雰囲気は良くなって行くものだと思った。

時が少し経ち、我が家を取り巻く状況も落ち着いた。人の噂も、というのはその通りで私の職場、そして朔太郎の中学校での環境も良くなった。もちろん暇な人はどこにでもいるので相変わらずつまらぬ話をするものもいたが、それに相手をするほど私たちは暇ではない。夫は更に地域に溶け込もうと消防団に入った。消防団にはそのつまらぬ話をする人物が何人かいたので、私はあまり賛成しなかった。朔太郎はバスケ部を辞め、軽音部に入った。ベースが安定すると、バンドの音はギターが下手くそでもなんとか安定する。朔太郎のベースは引っ張りだことなり、バンドを3つ掛け持ちとなっていた。

その冬は短期間でのドカ雪が多かった。2日間で1m以上の積雪が何回かあった。除雪や屋根の雪下ろしを頻繫にしなければならなかった。

夫が死んだ。
災害級の大雪。晴れ間を見つけ、消防団で独居高齢者世帯の雪下ろしをした。通常雪下ろしは二人でする。夫は一人でしたということだ。滑落した。

なぜ、一人で。

私も朔太郎も錯乱した。夫は本当に良い夫で良き父だった。3人はいい家族だった。彼は家族を良くしようといつも心掛けていた。良い人だった。明るく建設的で声を荒げることはなく、我慢強く、優しく。

朔太郎は白い顔になった。

葬儀の通夜振る舞いの時、一角からわずかながらではあるが笑い声が聞こえてきた。あの笑い声は耳に貼りついたまま取れない。

葬儀が全て終わっても朔太郎は学校へ行けない。自分の部屋ではなくリビングで茫然としている。ベースを引っ張り出した。構えたその時、号泣が始まる。私も抑えていた感情が出る。

取り残された二人がリビングでうずくまり、泣いた。

警察の調べでは、一人で比較的角度のある屋根にて雪下ろしをし、滑落した。当初の消防団の話そのままだ。

朔太郎は言う。父さんが一人だけで屋根にのぼり、雪下ろしするのは変だ。安全で合理的な判断をするのが父さんだ。聞きに行こう。

朔太郎と私は現場にいた消防団員の自宅に話を聞きに行った。
私が話す前に朔太郎は玄関先で団員に切り込む。
事故のあった家の屋根はかなり角度があります。あのような屋根では二人で作業するのが当たり前だと思うのですが。もし、二人であれば事故発見が早く、父が助かったかもしれない。それからあれぐらいの角度であれば命綱は必要ないのですか?

何件かの団員からの返答はどれも似たり寄ったりであった。

警察に全て話をした。
それ以上のことはない。
なんだ、お前ら、俺を殺人者にするつもりか。
こっちは仕事取られて人生狂ったんだ。

更なる誹謗中傷が始まった。
今回も近所の人達は守ってくれた。私や朔太郎が家に帰る夕方から夜まで一緒にいてくれた。交代で来てくれる。特に何を話すわけではないけど、一緒に。二人だと溺れてしまいそうだったから。食事の準備を手伝ってくれ、食卓を一緒に囲んでくれる。夕食が二人という事を考えると、今考えてもおかしくなりそうだ。おそらくその集落で若い人が亡くなった際にその様な事をする習わしがあるのだろう。

誹謗中傷は少し離れた集落などにも出回る。
あいつらは事故死を殺人と置き換えようとしている。そもそもあいつはこの地域をを食い物にしていた。あの家族が来てからここは一つもいいことがない。あの嫁も夫以外に何人も男がいたようだ。

勤務先の上司が言う。この間の日曜日は家にいたんですね。何のことか解らなかったが、遠方に住んでいる彼はわざわざ私の家まで来て、車があるかチェックしているらしい。他の人にパトロールと言っていた。

近所の親しい方が、誹謗中傷発信元と思われる家に諭しに行ってくれる。
逆にあいつらの味方をするなら、お前も同じか、と言われたらしい。

朔太郎の学校も厳しい状況になる。この辺の大人は朔太郎の中学校のOBである。学校と結びつきが強い。部活なども彼らがサポートしていることが多い。様々な事を中学生に吹き込む。そして彼らは中学生に言う。

お前ら、あいつに関わったら、同じだからな。

朔太郎は孤立する。

いくつかバンドを掛け持ちしていた朔太郎は、いつの間にか全てのバンドから締め出された。いじめだ。しかし暴力的な事や持ち物へのいたずらはない。痕跡が残るからだ。学校側も実態をつかみにくい。朔太郎は空気のような存在になった。

唯一、以前朔太郎を慕って家まで来てくれた女の子二人が廊下などですれ違いざまに背中を軽くたたく、アイコンタクトをするなどしてくれたらしい。彼女たちも危ない橋を渡りたくはないだろう。

春になり、朔太郎は3年生になった。私も朔太郎も状況は変わらなかった。
いくつか救いはあった。朝食、夕食、必ず一緒に食べる。これが出来た。
そして、やはり近所の方々が来てくれた。毎日ではないがかなりの頻度で夕食を共にしてくれる。時には朔太郎と近所の方が夕食を準備し、私が帰ったら全てが整っている事がある。ありがたい限りだ。二人だと闇に引き込まれる。私たちは生き抜かなければならない。負けるわけにはいかない。

夏が過ぎ、朔太郎の中学では文化祭の準備が始まった。
朔太郎は何も参加できない。ただ、朔太郎の部屋からベースの音が聞こえる。ヘッドホンなので弦を弾く音しか聞こえないが。

文化祭当日、朔太郎はベースとアンプ2台を持ち、学校へ行く。彼が何をしに行くのかさっぱり解らない。真摯な顔をしているので聞くことも出来ない。

夕方、彼は帰って来た。帰って来るなりリビングにあるものを、ものも言わず口に押し込み、そのままその場で寝た。

****

文化祭が終わったすぐ後、しばらく前に家によく来た2人の女の子から電話があった。お見せしたいものがあります、と。カラオケボックスに呼ばれた。出来ればノートPCを持ってきてほしい。カラオケボックスに行くと、部屋に入る。

ご存じだと思うのですが朔太郎君は、全てのバンドから外されました、学園祭の全てのステージに立つことが出来なくて、彼は一人で歌うことにしたんです。

一人で?

そう、一人です、教室や体育館の室内だと準備をしている時に何か言われるから、一番人通りが多い中庭。お客さんもたくさんいて、人目も多いから。

でも、朔太郎はベースよ、ギターならわかるけれど。

はい、ベースだけです。
今まで私達は朔太郎君の力に全くなれなくて、でもこの文化祭が終われば、あとは受験です、私達は市外の高校に行きます、ほんと、卑怯ですけどこの文化祭しか、寄り添えなかった、ごめんなさい。

うん、そんなことを気に病む必要はないわ、本当にありがとう。嬉しい。

朔太郎君に何かできることはないか、聞きました、そしたら中庭で歌う、その場所まで電源を引いて欲しい、あと、マイクスタンド、と言われました、文化祭なので、至る所に電源コードがあるので目立たないし、電源リールを用意すれば引くことは簡単で、マイクスタンドも音楽室から借りました、後はこの動画を見てください。

私のPCに彼女達がyoutubeにUPした非公開動画。そして彼女達が持参した少し高そうなBluetoothスピーカーを接続した。

朔太郎がアンプ2台とベースを持ち、中庭にやってくる。人がたくさんいるので目立たない。アンプ2台を電源につなぎ、マイクスタンドをセットする。ベースを構えた。

猛烈な勢いでベースが鳴る。聞き覚えのあるベースライン。しかし、相当速い。ビートルズのTaxman。夫と散々セッションした曲。なかなか歌に入らない。何度も同じフレーズを繰り返す。そうしているうちに中庭にいる人々が何事かと朔太郎を見る。この曲のベースライン、音数が多く難易度が高い。朔太郎はいくつか音を省きながら、ベースラインを成立させている。それにしても、速い。

歌い始めた。ベース1本で。ギターもドラムもなしで。しかしその歌はジョージハリスンではなく、叩きつけるような歌だ。まるでブルーハーツの甲本ヒロトの様に。その目はどこを見ているのか。

人が集まり始める。

朔太郎は狂おしく叫ぶ。髪を振り乱して吠える。
ビートルズのTaxmanは本来2分半ほどで終わる。朔太郎はフレーズを繰り返し5分以上叫んでいる。
曲が終わる。もはや聴衆となった人々から拍手が起きる。

動画はハンディカメラで撮られている。そのマイクに音声が入る。
あいつ一人で歌っているぞ、一緒に演るやついないのかよ。いるわけねーだろ。

その時、ギターを担ぎオレンジ色のアンプを持った小柄な女の子が朔太郎に近づき、大きな声で質問した。
君はなんでベースだけで一人で歌っているの?
朔太郎は何も答えない。
一緒に弾いていいかな。
小柄な女の子は朔太郎の答えを待たずに自分のアンプを電源につなぎ、ギターを構える。

この女の子は誰なのかしら。

この人はちゃこさんって言うんですけど、ここの卒業生で高3です、今日、文化祭のバンドのサポートに来ていたんです、ギターが凄くうまくていろんなバンドを掛け持ちしているんです、500曲くらいレパートリーがあるみたいです、本人はそれでも足りない、と言っていました、時々ジャズバンドにも呼ばれたりしているんです、何でも合わせられるし、即興もできる。

朔太郎がそのちゃこさんに二言ほど声を掛けた。

歌が始まった。

鏡の中を覗いても
羽根ひとつも見つからないけど
空を待ち焦がれた 
鳥の急かすような囀りが聞こえる
鉄格子みたいな街を
抜け出す事に決めたよ今
それを引き留める言葉も 
気持ちだけ受け取るよ 
どうも有難う

Official髭男dism  Laughter

さっきのTaxmanとは打って変わって優しく朔太郎は歌う。
私はちゃこさんに感謝する。この歌はギターがないと苦しい。そして彼女のギターは上手い。朔太郎の歌に初見で合わせる。聴衆は増えていく。朔太郎は丁寧に丁寧に歌う。

歌が終わる。聴衆から拍手がさざ波の様に起き徐々に大きな拍手となる。聴衆には私の知った顔があまりいない。多分朔太郎の事を知らない人がほとんどなのだろう。

中庭にいる人の大多数が朔太郎の周りに集まり出した。
ちゃこさんは朔太郎に歩み寄る。朔太郎の言葉に軽く頷く。

朔太郎がつま先でリズムをとる。
朗々とした歌が始まる。私はこの歌を知らない。ちゃこさんのギターは朔太郎の歌とベースをしっかり捕まえている、と思った瞬間、曲がペースアップし、絶叫が轟いた。

Do it! Do it! Do it! Do it! Do it! Do it! Do it! Do it! Do it! Do it! Do it! Do it! Do it! Do it! Do it! Do it! Do it! Do it! Do it! Do it! Do it! Do it! Do it! Do it! Do it! Do it! Do it! Do it! you!you!you!

咆哮。全てのものをなぎ倒す咆哮。ベースが怒濤のようにペースアップし、展開する。朔太郎が命を削るように咆哮している。マイクスタンドにかじりつきながら身体を反らせ、かがみ、反らせ、髪を振り乱し、マイクの右から左から動きながらの咆哮。ギターを弾くちゃこさんの表情がさっきとはまるで違う。朔太郎しか見ていない。朔太郎しか見ることが出来ない。置いていかれるからだ。

Taxmanで人目を引き、Laughterで聴衆を集め、この歌を叩きつけた。

カラオケ屋の部屋、女の子の一人が宮本浩次の昇る太陽、と教えてくれる。

魂の叫びというものがあるのであれば、これがそうなのだろう。
目は血走りながら、その目は何も見ていない。
絶望した彼が示したプライドのようだ。

途中から曲は間奏とこのフレーズしか繰り返さなくなった。

昇る太陽 俺を照らせ 輝く明日へ 俺を導いてくれ
ああ 浮世の風に吹きさらされ 佇む 俺の咆哮
Do it! Do it! Do it! Do it! Do it! Do it! Do it! Do it! Do it! Do it! Do it! Do it! Do it! Do it! Do it! Do it! Do it! Do it! Do it! Do it! Do it! Do it! Do it! Do it! Do it! Do it! Do it! Do it! you!

生きるという明確なものをこのビートに殴りつけたのかもしれない。
10分以上この咆哮が続き、突然終わった。

聴衆は呆然としているだけで拍手もなかった。朔太郎は聴衆に挨拶するわけでもなく、しかし、ちゃこさんには深々と一礼し、ベースとアンプを片付け立ち去った。

家で朔太郎は私に言う。

母さん、移動しよう。ここから移動しよう。ここは僕達に少しだけあっていないだけだよ。渡り鳥が自分に合ったところを求めて移動するでしょ。それだけだよ。母さんは父さんのこともあって、ここにいなくてはいけないと思っている。それから、もしかしたらこの土地に負けるとか、逃げると思われたくないとか、思っているんじゃないかな。移動しよう。この土地に合う人たちも沢山いるけど、僕達には合わなかっただけだよ。次のところへ移動すればいい。渡り鳥の様に

病院の待合室で私の名前が呼ばれる。精神科の診察室に入る。

医師は私を見ずにカルテに目を落として言う。

「いつものお薬でよろしいですか、2週間分ですね」

「先生、3週間分お願いできますか」

「あ、そうですか、この薬は3週間分出せますね、旅行ですか」

「はい、そんなものですね」




Beatles taxman

Official髭男dism - Laughter

宮本浩次  昇る太陽 live

pv



みくりや佐代子さんの愛称をお借りしました。

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ロケンロー






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