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明るい場所

季節外れの暖かい雨の後、強い寒気が入った。夕方から気温が急激に下がると同時に風が強まる。電力会社施設機器に着氷し、停電となった。雪も降り始め、強風が窓を低い音で鳴らす。
療養型と言われる病院。主に長期にわたる治療が必要な高齢者が入る。入院者数の6割程度が寝たきりかそれに近い。必然と亡くなる方が多くなる。
自家発電設備が備わり半日程度は対応出来るが暖房能力が2割程になる。非常用の石油ストーブ数十台を各フロアに運び込む。普段は購買やIT関連の仕事をしており、施設管理には不慣れだがそのようなことは言っていられない。灯油が足りないので停電区域外まで買いに行く。毛布を配る。非常用照明を配置する。電力会社から連絡が入る。復旧まで後3時間だそうだ。23時。何とかなる。

一息つく。冬の最中に汗だく、喉が乾いている。顔見知りの看護師の菅野さんが備蓄用飲料水のペットボトルをくれる。
「何だかとんでもない事になったね」
彼女は僕とほぼ同じ30代前半。挨拶はするが話したことはない。
「停電ってほとんどが30分、長くても1時間程度で復旧するんですけどね、今回は長いですね」
「あの大量の灯油ストーブって前もって買ってあるの?」
「そうですね、しかし灯油までは備蓄できなくて」
「なんで」
「灯油って保管効かないんですよ。1シーズンで劣化してしまう」
「ああ、そうだったね。うちの家、オール電化にしちゃったから忘れてた」

電気が復旧するまで何もすることがない。事務長から各々休憩してくれという伝言が来る。ナースステーションから少し離れた談話コーナーで菅野さんと話をする。
「志田君、家からボトルでコーヒー持ってきたの。口付けてないから飲まない?」
ありがたく頂くことにする。菅野さんは紙コップを二つ持って来て注ぐ。
「今日は夜勤だったんですか?」
「いや、日勤だけどこんな時に帰れないよ、さすがに。復旧して落ち着いたら帰るけど。子どももいるし」
「子どもさんは大丈夫なの?」
「私の父がいるから。離婚して父のところに転がり込んで。母は随分前に亡くなったのよ。父がさ、孫一人と娘が帰ってきたら喜んで。若返って。家事とかやるし」

窓の外を見ると暗闇の中、雪が横殴りで降っている。彼女は僕に聞く。
「志田君、結婚してたっけ」
「いや、結婚近くまで行くんですが別れちゃうんですよ」
「それね、努力が足りないのよ」
「努力?」
「そう、お互いの生活と関係を維持する努力。好きだけじゃ長い時間一緒にいられないじゃない」
菅野さんは駐車場で見る私服が派手だったりすることもあり、この様な事をいう印象ではなかったので少し驚く。
「離婚して何となく分かったの、だから志田君もその辺り意識すれば、HAPPYな結婚生活が待っているよ」
「それってお互い譲歩することなのかな」
「ん、少しだけ当たっているけど、ちょっと違うかな。譲歩って自分の望みを殺して相手に譲ることだと思うのよ、そうじゃなくて相手の希望も楽しんじゃえばいいと思うのね。例えるとね、そうだな、前のダンナの話になるとリアルになっちゃうから、子どもにしよう。子どもと何処か行くじゃない、そうだな、トミカ博。トミカのイベントでミニカーとかプラレールとか、あんなのがうじゃうじゃあるのよ。、もちろん私はそんなところに興味はないんだけどさ。でもね、家にあるミニカーとか見てたら少し興味が出てきたのよ。もちろんスーパーカーとかではなくて。救急車とかパトカーとか。救急車はさ、この車で前に付き添いしたなとかこれは新しいタイプでだからクッションとか、あ、クッションじゃなくて何て言うのかな」
「サスペンション?」
「そうそう、サスペンション。新しい救急車ってそのサスペンションがすごくいいのよ。揺れにくい。後はねパトカー、このパトカーで一時停止捕まったなとか、こいつで近所のおっさん連行されたなとか」
「近所のおっさん?」
「そう、でね、その話なんだけど、近所のおっさんが傷害で連行されたんだけど被害者が私の父でさ」
「お父さん無事だったの?」
「無事。居酒屋で友達二人で飲んでいるところに終わった選挙の件で絡まれて。もう一人がかなり殴られたけど、父さんは剣道やってたから」
「え、竹刀とか持ってたの?」
「あのさ、誰が竹刀もって居酒屋行くのよ志田君。チンピラでも持って行かないよ。父さんが言うにはね、全てではないけど格闘技の重要なところは間合いだって。相手の間合いにさえ入らなければいいんだってね、特に街中での喧嘩なんか」
「勉強になるね」
「ふふ、相当練習がいるよ。で、相手が不意に友達殴って、他のお客さんがその殴られた友達をかばっていたら父さんのところに来て。でも間合い取っているから相手のパンチが全然当たらないんだって。父さん一発ぐらい殴られた方が後でスムーズだと考えて軽くかすらせて。で相手がパンチ空振りした隙に相手の間合いに飛び込んで」
「ぶん殴った?」
「それがさ、どうしたらいいのか分かんなくなったんだって。父さんいつも竹刀でしょ。素手で殴ったことないから。何すればいいのか考えて、とりあえずハグしたんだって」
夜の病棟に笑い声を響かせるわけにはいかないので我慢する。
「ハグした隙に周りのみんなで取り押さえて。父さんのあだ名がしばらくハグ、とか抱擁とか言われてさ」
笑いをこらえきれない。

彼女が家から持って来たコーヒーは少しぬるくはなっていたがとても美味しい。そのことを褒めると嬉しそうだ。
「子どもってどうなの」
「めちゃめちゃかわいいね。4歳の女の子、生意気だし大変だけど、見てると他の面倒な事が大した事でない様な気がする」
「そういうものなのかな」
「面倒なこと猛烈に沢山あるけど、まあかわいいし、別れたダンナに似てなくて良かった、でも自分の嫌なところそっくりそのまま引き継いで、そこが本当に腹が立つとか」
「自分引き継いで腹が立つって?」
「私さ、子どもの頃、いつもボーってしててさ、目の前にやることあるのに。例えば学校の準備とか。準備しようとすると横にある本読んでるの。ずーっと。自分のそんなところが嫌でさ。で、うちの子もご飯食べる時に目の前に食事があるのにずっとボーっとしてるの。」
風は弱くなったが、勢いのある雪が降っている。
「でも子ども好きなんだよね」
「うん大好き。そこにさ、私達には少し薄くなった将来とか未来が濃く見えるからかな」

他の日勤の職員も各々散らばって休憩を取っている。夜勤スタッフは病室を見回る。看護師が一人来て、女性の患者を一人見守りしてほしいと言う。千代子さん。軽度の認知症だけど、徘徊などしないから20分ほどお願いしたいと。同じテーブルの椅子に座って頂き、話しかける。
「千代子さん、今日はね、大風で停電したんですよ」
「停電、電気とまったか、そりゃ大変だ、上川の方はな、洪水で大変だった」
「洪水ですか、それは大変でしたね」
「そう、家がな、何軒も流されてな、だからな、いろんなところから助けに来てくれてな」
「それは良かったですが、みんな大丈夫だったのですか?」
「うん、熊がでてな、あんときは騒ぎだった」
「千代子さん、洪水の時に熊が出たんですか?」
「熊が出たときはあれは寒くなる前かな、熊が柿とか食べにくるんだな」
「洪水の時にですか」
そんな訳ないじゃない、洪水と熊のお話がごっちゃになっているのよと菅野さんから諭される。
「熊がたくさん出たときはな、朝と夕方な一人では歩いちゃいけねと言うからな。近くのあにやが、一緒にいてくれたからな」
「その人、男前だったんですかね」
菅野さんが大きな声で語りかける。
千代子さんは顔をくしゃくしゃにして笑う。
「もしかしたらその人が旦那さんになったのですか?」
千代子さんは嬉しそうにうなづく。
見守りを頼んでいた看護師が帰って来て、千代子さんを連れていく。しかし二人は直ぐに戻ってくる。千代子さんが昔の自分の写真を見せてくれる。
夫婦の写真だ。
「千代子さん、べっぴんさんだね!旦那さんも男前だ!」
幸せそうな夫婦がそこにいる。千代子さんは満足したのか自分の部屋に戻っていった。

「人に歴史ありって言うけど本当その通りだよね」
菅野さんは天井に目を遣りながら僕に言う。
僕は前から少し考えていたことを言う。
「名前を知った時から僕は千代子さんに興味を持ったよ」
「そうそう、おじいさんとかおばあさんとかで呼ぶとこの病院怒られるからね、最近はどこの施設も同じだけど」
確かに何も知らなければ患者のおばあさん。名前をと知るだけでそれがおばあさんから千代子さんになり話が始まる。しかし千代子さんはこの病院では一番話すことができ、そして動ける人の中に入る。他の人は車いすで一日何も喋らずじっとしているか、寝たきりだ。前から現場のスタッフに聞いてみたいことがあった。
「本当の言うと、病棟に来るのしんどいんだよ。みんな寝たきりか車いすでじっとしているかだろ、ここに何があるのかとか考えると本当にしんどい。菅野さんはしんどくならないの?」
菅野さんは僕を見つめテーブルに目を遣り天井を見上げる。ボトルから冷めたコーヒーを注ぎ紙コップを口元に寄せ、口にする前に話し始める。
「私ここに来る前に小児病棟にいたのよ。未就学児から小学生、中学生。元気になる子はいいよ、でも、だめな子もいる訳よ。その状況がさ、心臓掴まれるの。亡くなった後引きずるの。小児病棟って元気になって退院する子と亡くなるこの落差が激しすぎて」
非常用照明は患者とスタッフの導線のみに配置された為に僕らのいる談話コーナーはかなり暗い。菅野さんは考えながら話す。
「子どもたちと千代子さんの違いって何だか分かる?」
「年齢以外だよね、ちょっとわからない」
菅野さんは使い終わった紙コップをへこませたり戻したりしながら言う。
「いろいろ考えたんだけどね、お話、なのかなって」
「お話?」
「そう、お話。千代子さん、さっきたくさんお話したよね。洪水から熊の話、それから旦那さん。子どもってお話の数が少ないじゃない、お話が少ない」
「それって経験ってこと?」
「ちょっと違うんだよね、経験とは。経験って単なる出来事の積み重ねだと思うな。お話、何て説明しようかな、ちょっと待っててね」
そう言って菅野さんは席を外し、そしてすぐ戻ってきた。
「どこ行ったの?」
「うん、これ思いついた時に見た絵をもう一度見てきた、後で見に行こう」
「で、お話って」
「子どもの頃に童話たくさん読んでもらったり読んだりしたでしょ。むかしむかしあるところにとか。それ、歴史的にどれぐらい昔からあるのかな」
「ちょっと今調べる」
僕はスマートフォンを取り出し、童話の歴史を調べる。
「紀元前にイソップ童話があるよ、アリとキリギリスとか」
「おお、やっぱりね。子ども達に童話って必要なのよ、昔から。いろんな理由があるかもしれないけど。子ども達は経験もないし、そこからお話を自分で作れない、お話を持っていないから童話を聞いたり読んだりするの、多分。たくさん童話とか読んだり聞いた子はなんか違うの。気のせいかもしれないけど、表情とかいろいろ」
菅野さんはつぶした紙コップを広げながら続ける。
「さっきの千代子さんは経験がたくさんあってそこからお話が出来るのよ。お話する千代子さん、楽しそうだったでしょ、経験から自分のおもしろいところを選んで、抽出してお話にするのよ。フィクションでいいのよ。お話が頭とか心にたくさんあるだけで楽しいと思うよ。お話が自分の中にある人は強いと思う。大人になっても小説とか読む人は自分の経験から来るお話にさらに追加しちゃうから」
持っていた備蓄用ペットボトルの水を飲み菅野さんは続ける。
「話戻るけど、志田君は病棟入るとしんどいんだよね。それは寝たきりとか動けないとかほとんど意識ないとかそんな人の未来がまるで見えないし、生きててもしょうがないとか、頭の片隅にあるよね」
「確かに」
「みんなそう思うのよ。でもね、あの人たちもね、頭の中にたくさんのお話があって動かないけど再生しているのよ。あの人たちも意識が無い様に見えて、自分の物語の中を走っているのよ、小さな物語かもしれないし、同じ物語の繰り返しかもしれないし。でもそれって私達と同じだよね。若い人にもその頭にお話が山のように詰まっている人と乏しい人がいるのと同じように。ただ、うちの病院にいる人たちは経験はたくさんあるからお話はたくさんあるはず。そのお話がね、その人の頭とか心を照らすの。明るく。その人の経験とか読んだり聞いたりしたことから作ったお話が照らすの、明るく。そう、さっき私が見てきた絵、見に行こう」
菅野さんに連れられて病棟の壁に飾られている絵を見る。
患者さんが書いた絵。

山に囲まれた村の風景。集落が描かれており、そこには子どもが遊び、女性達が洗濯や料理などの家事をしている。畑では男性たちが働く。ニワトリや犬や猫などが集落をうろうろしてる。空をカラスが飛ぶ。近くの森にはウサギや狸がおり、熊もいる。

照明が復旧した。照明は病棟の隅々まで照らす。綺麗に整理された紙のカルテ、電子カルテと繋がっている何台かのPC、夜勤スタッフ、病室、病室前のダイニングテーブル、花が好きな職員によって生けられた花、車いす、歩行器、6部屋毎にあるデスク、汚物室、リネン庫、ワックスがかけられ光を反射するほどの廊下、病室前の名札、ナースステーションに掲げられた名札。厨房や事務室、リハビリテーション室やスタッフルーム。

吹雪は止み、病院の照明が外の雪を照らした。








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