腫れた乳房
左の乳房にしこりができた。元々皮膚腫瘍ができやすい体だったので、いつものことだとあまり気にしていなかった。
そのまま数ヶ月経ったある日、痛み始めた。
腫れた乳房が胸を圧迫し始め、仕方なく婦人科に行った。
一通りの触診を終えた先生は訝しげに「…ちょっと分からないけれど」と言って、とりあえず抗生物質を出されてその日はそれで終わった。
待合室で順番を待つ、若い夫婦を横目に見ながら会計を済ませ、いつまで経っても春が来ない夜を一人で歩きながら。
出産経験がない女性は、出産経験のある女性と比べて乳がんの発症リスクが高い事実を思い出した。
生物としての本能が種の繁殖であり、その性に逆らって生きるのなら命の危険を伴う病を患う可能性を与えられる。
無論、妊娠も出産もその全てが奇跡で、場合によっては二つの命を落とすこともある。
産む、産まない、そして産めない。
女として生きる、その全てが命がけだったことを改めて思い知らされた。
「ねえ自分の欲望の消費の結果として、私が命がけで苦しむその姿をみて、流産で止まらない血を見ても、それでも何一つ心が痛まない自信があるならどうぞ私を好きにして」
ただシンプルに、私を抱きたいだけの顔も思い出せない男たちに、ずっと言いたかったのは多分そう言うことだった。
情絶ちてをんな生きよと春の鵙
情にまみれて生きる女たちに、鵙は「それでも生きよ」と春の来ない身の上をあざ笑い、今日も頭上をかけていく。
自分は死なない立場の人間たちは言う。
「せめて二人は」
「男の子がいないと」
「子供持たないなら何のための」
本当はいつだってこう考えるべきだったのだ。
「二つの命、どちらかを選ばなければならないとしたら」
私も亡くした命の果てに生まれた人間だった。自分さえ生まれて来なければと、生きていたかもしれない姉の命を思う日もあった。
それは法事で、珍しく実家に帰った日だった。
帰省ついでだと老いた親に代わって納戸を整理していたら、手が滑ってダンボールの上の方に、雑に積まれたまま埃をかぶっていたアルバムが降ってきた。古く黄ばんだそれは私の目の前で、ページが開いた状態で静止した。
たまたま開いたそのページは、若かった母が生まれたばかりの私を抱いている写真だった。
丁寧な、でも確かな母の字で。
そこには「生まれてきてくれてありがとう」と、書かれていた。
写真の中の母の鮮やかな笑顔が水面の影のように歪み、流れ出したと思ったら次の瞬間に滲んだ。
私は泣いていた。
生まれた日には愛されていたのだと、知って。
亡くした命と、結果として拾われた私の命。
自分を犠牲にすることで、家族を不幸にしたかった私。
そうやって憎み合った私たちは母と娘だった。
母の命を削り、でもそれでも私はこの世に生まれてきたのだ。
当たり前の家族の幸せは、不断の努力の上にやっと手に入るものだと言うことに、愚かな私たちは気がつかない。当たり前だったささやかな日常は、些細なことでこの手の間をすり抜けていき、そして二度と取り戻す事はできない。
この世の人間は皆、自分の好きで生まれてきたわけではなかった。
この愛は、ただの自分勝手であることもたぶん分かっていた。
でもそれらすべてを飲み込んで私に「生きて欲しい」と願う人がいた。
深く愛したこと、愛されたこと。
そのどちらも真実だったとしたなら、悲しいね。
私は富を求めたが、勤勉を知るようにと、貧困を授けられた。
私は強さを求めたが、謙虚を知るようにと、弱さを授けられた。
私は愛を求めたが、愛と暴力の違いを知るようにと、憎悪を授けられた。
私は健康を求めたが、病める者に寄り添えるようにと、虚弱を授けられた。
私は命を求めなかったが、生きるようにと、命を授けられた。
望みは何一つ叶わなかったが、声にならない内なる願いは、そうしてすべてが満たされたのだと今なら分かる。
腫れた乳房が教えた、この胸の痛みを携えて。
私はきっとこれからも綴るのだろう。
愛を、女を、男を、
無責任を、暴力を、不条理を、
怒りを、悲しみを、喜びを、
癒えない傷を、慰めを、
あの夜を、たった一人の「あの人」を。
そして私はそれ以上を何も求めなかったが、
私の愛する人が、愛する人を幸せにできるようにと。
この才と、余命を授けられた。
私は生かされている。
ここまで書き連ねた、すべての存在に私は生かされている。
腫れた乳房にそっと触れながら、そんなことを思って。
夜更けも一人、この世界のどこかで。
私は春を、待っている。
でもそんな気持ちを誰にも言えない、私です。