自分の肩書きがわからない人たち。
こんばんは、やぶなおです。
最近、初めましての人と挨拶することが増えたり、これまでとは違った業種の人と話すことが増えてきました。
そんな時に、悩んでいるのが自分の肩書きです。
ちなみに、少し前まで「愛妻家」と名乗っていたこともあったのですが、僕が仕事ばっかりしていたら妻から「愛妻家なんて名乗るのやめちまえ!!!」と言われてしまい、肩書きを完全に失いました。
僕と同じように「自分の肩書きがわからない」って人は結構多いと思いますし、今回の話はそんな方には共感していただけるのではないかなと思います。
僕の最初の頃の肩書きは、「ブロガー」でした。実にわかりやすい。
でも、今はブログめっちゃ放置してるし、ブロガーじゃなくね?と悩み始めます。
YouTubeもやってるけど、YouTuberではない。
Vlogもやってるけど、Vloggerではない。
写真も撮ってるけど、カメラマンではない。
ライターもやっているけど、編集やディレクションもやるからそれも違う。
なんだかすごそうなひとたちに会う時には「Webディレクター」って名乗ったこともあったけど、自分的にディレクションだけしてるわけじゃないしそれもしっくりこない。それに、人の上に立ってる感じが個人的に歯がゆい感じがしているんです。
僕はいろんなことに手を出して中途半端でした。
今日、「収入源で一番大きいのはどれなんですか?」って聞かれた時にもすごく困った。
どれもかが突出しているわけではなくて、どれもトントンなので、本業っぽいものがない。
「これ!」って特化したものがあればいいのだけど、ブロガーとしてもそこそこの結果しか出せなかった。
動画も写真もSNSで妻をアップしたら喜んでもらえるけど、他は撮れない。
僕には、どれもすごい才能はないけれど、いろんなことを組み合わせていったらなんとか生活ができるくらいにはなれた。
でも、ある意味これはすごく重要なことなのかもしれないと思います。
いろんなことに挑戦して、いろんなことが中途半端に終わったとしても、これまでに努力してきたことを組み合わせることで、自分にしかできない何かが生み出せる。
これが僕の強みなのかもしれません。
*
昔の日本では、百の仕事をするという意味を持つ「百姓」という職業がありました。(今でも僕が住む岡山みたいな田舎には普通にいる)
百姓というと農民のイメージがありますが、田んぼもするし、畑もするし、漁もするし、冬には縄も編む。
生きていく上で必要なことはなんでもしていく人たちでした。
フリーランス的な働き方も現在の百姓といってもおかしくないのかもしれません。
僕自身も、元々はブログだけでは食っていけなかったからライターも始めたし、動画も始めたし、いろんなことに挑戦した。
その結果、暮らせているのだから僕のようなフリーランスはある意味百姓なのかもしれません。
自分が生きたいように合わせて、働き方も柔軟に変えていくスタイル。
こういった柔軟な働き方ができる人が増えれば、自分自身の選択肢は広がっていくし、これまでの終身雇用に苦しんできた人たち、新しいことへ挑戦しようと思っていたけれど、一歩踏み出せなかった人たちでも「実際、お金ってなんとかなるんだな」ってことが実感できるようになっていくと思うんです。
だから、僕は肩書きに縛られたくはないし、これからもどんどん新しいことに挑戦していこうと思います。(だけど、自己紹介の時だけは肩書きがほしい)
”何をするか”よりも、”どう在りたいか”を大切にしていったら、気づくと肩書きが無くなってしまいました。
でも、理想とする暮らしには少しずつ近づいている気がするし、これでいいかなって思います。
肩書きに縛られず、自分らしい在り方をこれからも探していきます。
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