見出し画像

理想のパートナーリスト100にあてはまる彼と付き合う前に起こった、過去の点と点がつながった話2/2

こんばんは

彼と付き合う前に起きた出来事の3つ目、祖父が亡くなったことで見えた
私の家系に世代を超えて受け継がれてきた負の連鎖(世代間連鎖)が見えた話について。


彼と3回目のデートの日程を決めている頃、
私の祖父が亡くなった。
96歳だった。
数年前から老衰は進み、
家では面倒が見れず、施設に入所していた。
亡くなる数日前に、そろそろかもしれない。
と母親から連絡があったので、覚悟はできていた。

そして、その翌日に祖父は亡くなった。
亡くなってから、慌ただしくお葬式の準備が始まり
あれよあれよという間に火葬まで終わってしまった。
綺麗なお花や大好きだった畑仕事でよく蒔いていた野菜の種を沢山持って、
祖父は旅立った。

そして久々に家族で集まり、祖父の若い頃のアルバムを見ていたら
父親にとって祖父はどんな父親だったのかという話になった。
「まあ優しかったよ。怒られもしなかったし。(=ほぼ無関心)
でも親父はよく俺に「人の手を煩わせるな」と言って、小学生になったらスキーにも連れて行ってくれなかったし、泳ぎも教えてくれなかったし、一緒に遊んだり何かをしてくれることは一度もなかった。だから全部自分で覚えたし、親父が畑仕事がしたいから手伝って欲しそうにしてても一切手を貸さなかった。」

こんな話を今まで一度も聞いたことがなかったから、すごく驚いた。
この話を聞いて、未だに「人の手を煩わせるな」と言われて何もしてくれなかったことに対して、悲しさ・悔しさ・親への苛立ちが父の心の中に私と同じように残っていることを知った。
そして何より、父にそんな感情を感じた子供時代があったということを知り、
父が「教える」ということにこだわっていた理由がようやく理解できた。

父は「スキーを教えてやってるんだから感謝しろ」ということをよく言っていた。
私としては、「やりたくもないことに付き合わされてるのに、なんで感謝を求める??笑 逆に感謝してほしい」と思っていたけど、
父親は祖父にやり方を教えてもらえなかった過去の傷を
子ども(私や妹、地域のスキークラブ)に教えることで癒していたんだということ。
私は父がなぜスキーを辞めたいと言っても、辞めさせてくれないのか謎でしかなかった。
苦しませるため、いじめるため、暴力を振い傷つける口実を作るために
スキーをやらせていたんだと思っていた。
でもこの祖父と父の関係性に気づいた時、
悪意を持ってやっていると思ったことが、実は父親自身が子供の頃に負った傷を癒すための行動だったんだなと、完全に腑に落ちた。

そして、父の面倒を一切見なかった祖父の育ちはというと・・・。
7人兄弟の長男・跡取り息子として生まれ、
祖父のご両親は厳しい人で遊ぶことは許されず、
子供の頃から家業の手伝い・畑仕事・兄弟のお世話をしたりで
ほどんど遊ぶ時間はない子供時代を過ごしていたらしい。(祖父の兄弟談)
そして、大人になり結婚、生まれた息子(私の父親)のことを
最初は溺愛したが、しばらくすると
家族との時間より、自分の趣味に時間をかけていたみたい。
畑をたがしたり、日曜大工をしたり、料理をしたり・・・。

祖父は子供時代にできなかった「遊び(趣味)」を
自由が効くようになった大人になってから
心ゆくまで楽しむことで、子供時代にできた傷を癒やし

私の父は子供次第に父親に教えてもらいたかったことを
教えてもらえず大人になり、
自分の子ども(私)に教えることで自分の傷を癒やしていた。

この一連の流れに気づいた瞬間、雷に打たれたみたいに衝撃だった。笑
世代間連鎖は以前何かの本で読んで、知ってはいたけど、
父や祖父の幼少期の詳細まで聞いたことはなかったため、
正直言って、どんな人なのかよくわからなかったし、
世代間連鎖について、完全に腑に落ちてなかった。
でも、今回のお葬式で家族親戚が久々に集まったことで
3世代(祖父〜父〜私)の間に受け継がれてきた負の連鎖・世代間連鎖の
点と点が繋がって、あくまでも自己解釈だけど私の家系に流れる負の連鎖の全体を
捉えることができたと思う。

そしてもう1つ気づいたのは、
私は心のどこかで、私の家系に流れる負の連鎖を完全にではないけど、
その存在に無意識に気づいてた。
心の奥底で、その連鎖をもう後世に残したくない、
負の遺産を子どもに背負わせたくない、
自分の子供にも同じ気持ちをさせたくない
=結婚しない、相手は作らない、誰も後継がない、
この家系を終わらせる事がある意味正義かもしれない
って思ってたと同時に、
心のどこかで猛烈に
この家を大事にしたい、
歴史として後世に残していきたい
私も幸せになりたい

と思う気持ちもあって、勝手に板挟みになっていたなということ。

この家を終わりにしたい=誰とも結婚しないこと、後継を残さない事だったから、そりゃ恋愛も上手く行かないよなと思い、気づいた瞬間に、
「もうこの戦いから降りまーす」となった👼笑

この一連の連鎖に気づいたのが5月末、彼と交際を始めたのが6月だったので、
本当に色々とタイミングが良かった。

私が幸せになる最後のピースを祖父がくれた気がして
「私は幸せになっていいんだ。」
と心の底から思えて、心のブロックが外れ、トントンと進んで行ったんだと思う。

心のブロックが外れることで、
同じ出来事があったとしても、受け取り方・感じ方が違うため
彼とのコミュニケーションは素直になっていたと思うし
自分がこうなりたい(=結婚したいと思える人に出会いたい、仲良く暮らす)というイメージ像を持つことに抵抗がなく
「当たり前にそうなる、その状態を手に入れることができる」
心の底から疑うことなく、信じることができるようになったため
ここまでのスピード感で、自分の世界が変わったんだと思う。(信念の書き換え)


屋久島旅行、指輪の購入、祖父との別れ
この3つが立て続けに起きたことで
自分の今までの価値観がひっくり返り、今に繋がる。

普段起きない出来事が立て続けに起きる時って確かにあるけど、
そういう時は
信念の書き換え=自分のアップデートが起きているのかもしれないなあ
とこの出来事を通してぼんやり思うようになった。

自分の感覚・価値観が入れ替わるような経験は、
自分の感覚や感受性が鈍っていては気付きにくくなってしまうだろうし
日々自分の五感の感覚を大切に過ごしていきたいなと振り返りながら思いました。

次は独身時代の恋愛失敗談や私が実際に書いた理想のパートナーリスト100の内容を書いてみようかな〜

ではでは、明日からはまた月曜日。
良い1週間になりますように🌸

おしまい



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?