木之下ゆうり

一次創作が日々の活力。小説、イラストなど好きなことをマイペースに。美しいものが好き。言…

木之下ゆうり

一次創作が日々の活力。小説、イラストなど好きなことをマイペースに。美しいものが好き。言葉は愛。 大切にしたい価値観を、手探りで探す旅の途中。noteは旅日記的な相棒です。 https://linktr.ee/kotonone_artworks

最近の記事

空気循環.2 はきだす(溜め込むのは幸せだけでいいと思うの)

空気循環=インプットを最大限吸収したり、その効率を上げるには、余計なものを溜め込まない工夫も大切と思うのです。 「パートナーにイラッとしたら、デ◯ノートに書き殴るの。スッキリするんだなあこれが」と笑っていた友達、今も元気かな。 何が言いたいかというと、自分なりの発散方法を持てたらいいよねということです。思うままに筆を走らせるでもいいし、泣いたり歌ったり話を聞いてもらったり、創作に集中することも人によっては合うでしょう。 自分のための発散ですから、人目を気にせずご自由に。

    • 空気循環1.本に親しむ(落とし込みはまた別の話)

      空気循環=インプットの手段でいちばん気軽でとっつきやすいもの、それが本に触れることだと思います。もちろん物理的にじゃないですよ。読書のことです。 図録のように「鑑賞」が適切な本もあると思いますが、ここでは読書と書いていきますね。 私の思う、読書することで叶う空気循環の種類は主に4つです。 ・視野を広げる ・知識の補填、軽量化サポーター ・価値観の共有 ・表現力を身につけるチャンス そしておすすめの読書方法はサブスクで電子書籍を読むこと。ここで大切なのは気軽さです。読んだか

      • 空気循環、はじめました。

        飽き性。それは少し前までの、私が私につけたあだ名。今は少し毛色が違っていて、飽き性は空気循環を欲しているサインだと思っています。 空気循環、それはお部屋もそうですが、ここでは頭の中のこと。ここでひとつ前の記事を引用しますね。成長がテーマでした。 成長と書きましたが、そこにはどうしても向上の意味を多分に含む感覚があり、一方で私の意図するところはアップデートにより近いかもしれません。 新しい何かを取り入れたり、知らなかったことを既知とする瞬間、私の中には喜びが走ります。それ

        • 波が風を作るのかもね。そんな一言が会話であり、その感覚いいなと思って。 例えば世界を席巻するような、大きな影響力や発信力を秘めていなくとも、微かに心のうちに湧き起こる声を素直に紡いでいたら、誰かの頬をそっと撫でるそよ風になれたりするのかな。そんな期待を持ちたくなった瞬間でした。

        空気循環.2 はきだす(溜め込むのは幸せだけでいいと思うの)

        • 空気循環1.本に親しむ(落とし込みはまた別の話)

        • 空気循環、はじめました。

        • 波が風を作るのかもね。そんな一言が会話であり、その感覚いいなと思って。 例えば世界を席巻するような、大きな影響力や発信力を秘めていなくとも、微かに心のうちに湧き起こる声を素直に紡いでいたら、誰かの頬をそっと撫でるそよ風になれたりするのかな。そんな期待を持ちたくなった瞬間でした。

          成長は、私の中の空気循環

          成長についてディスカッションする機会があり、思うことがぽつり。 私は成長していきたい感覚がつよめで、それは見知らぬ価値観に触れたりスキル習得や経験を踏むことで変化していたいからです。成長=伸ばすことよりも、行動の追加や飽きたものは捨てるなどして、その時の最善へのアップデートが私の思う成長。 そうやってマインドの風通しをよくしておきたい。滞っていない、停滞していない感覚が好きです。

          成長は、私の中の空気循環

          何を経験するかで言葉の意味が変わる

          何を経験するかで言葉の意味が変わる。質感が変わるとでも言いましょうか。かつて聞いた言葉の棘が「もう二度とそうは言わせないぞ」と奮い立たせることもあれば、あの時は信じられなかった愛してるよが、今では口癖になっていたり。 人、環境、経験、教養、未来との向き合い方が変わると、言葉はその都度衣装替えするのかもしれない。 言葉は奥が深くて味わい深い。 そんなことを思いました。これからも、衣装替えを楽しめたらいいな。

          何を経験するかで言葉の意味が変わる

          楽しみに買っておいた季節限定のクッキー、その箱がからっぽになっていた。「やられた」と思うと同時に、胸をくすぐる温かい感覚。この部屋はもう、私だけの居場所じゃない。そうあらためて感じたなら、ぱっと心にあかりが灯る。 またクッキーを買ってこよう。今度は隣で一緒に味わって。

          楽しみに買っておいた季節限定のクッキー、その箱がからっぽになっていた。「やられた」と思うと同時に、胸をくすぐる温かい感覚。この部屋はもう、私だけの居場所じゃない。そうあらためて感じたなら、ぱっと心にあかりが灯る。 またクッキーを買ってこよう。今度は隣で一緒に味わって。

          最初の一歩に必要な心意気

          ラジオを聞いていたら、オランダの「クラームゾルフ」という産後ケア制度を知りました。国家資格を持ったクラームゾルフさんが、産後8日間ほどお家でサポートしてくれるそう。育児知識の共有はもちろん、細々した家事や来客対応もしてくれるようです。 それを聞いて思ったのは、何事もフォローや事後サポートが大切ということ。山場を超えたから終わり、あとは自分の手で頑張って。なんて、安心感不足で、始めたいと思えないから。 始める前も、途中も、そのあともずっと寄り添ってくれる心意気を感じられたと

          最初の一歩に必要な心意気

          好きなことを表現するのに遠慮はいらない

          イベントの企画で自己紹介をしましょう、という回を終えて思ったのは、「好きなことを表現するのに遠慮はいらないな」でした。 【好きになる理由】 私が何かしらの作品を好きだなと自覚するのは、その技巧に惚れるのでなく、世界観やビジュアル、作者さまとの価値観が合う、などのポイントがほとんど。 ここでいうビジュアルは、しつこいようですが絵が上手い、文章が秀逸など技術面から捉えるものでなく、笑顔がいいとか色使いが好み、この文章表現沁みるな、など、個人的にグッとくるポイントを持ち合わせて

          好きなことを表現するのに遠慮はいらない

          優しい世界を生きるということ

          私が何をしても社会は変わりませんけれど、私の身近な世界はちゃんと変わるので、不器用なりに変えていこうと思うわけです。過去に辛くて、たくさん、居場所を変えてきました。真っ直ぐに言えば、転職です。それこそ、経歴を全て書こうとすると履歴書の記入欄が埋まるくらい。その中で、さまざまな企業形態と業務を経験してきました。そこに居た多種多様な人々と、ルールの見聞も。 どの場所でも用いられる、当たり前、普通、決まりごと。これらの言葉にはいつでも前置詞が隠れており、それは「この場においては」

          優しい世界を生きるということ

          創作活動と繊細さ

          創作好きの方が繊細なのは、自然なことのように思う。 相手の心情を汲み取ろうとする姿勢や俯瞰の視点が身についていて、周囲の出来事に対し、感度よく反応出来るようになっているのではないだろうか。では、この姿勢や視点は何処から来たか。 大好きな創作活動を通して培われたものだ。 表現しているものが何であれ、自分以外の何か(或いは全ての有機物)に想いを託す気持ちがあるなら、それは創作になろうと思う。 写真、小説、漫画、音楽、絵画。その中で鼓動する人物、花、音符、架空の生物。 恐らくそ

          創作活動と繊細さ

          作品に添えるタグやジャンルは灯台の明かり

          こんにちは。 創作活動をするなかで、さまざまな発見をする機会があり、継続意欲に繋がっていたりします。 その発見の中にはポジティブな感触を持つものと、そうでないもの、どちらでもないものとが様々共存。 今回は発見したものの答えが出ないものをひとつ取り上げます。『ジャンル分けの難解さ』です。 誰かが、誰かや何かを愛したいと想うなら、それは愛情ジャンルに招かれている 特にジャンル分けが難しいと思うのは「恋愛」が舞台となる作品です。難しくなる理由は、そこには多様性があり明確な線

          作品に添えるタグやジャンルは灯台の明かり

          文学フリマ、ありがとうございました!

          こんにちは。 タイトルにある通り、去る5/21(日)に開催された文学フリマ東京36にサークル参加した感想と気づきをまとめていきます。端的にまとめると「感動」でしたよ。 目次 何を得たのか  ・自信、そして目指すものに近づいた感覚  ・全部自分の好きにやったらええ! の気持ち  ・「その節は大変お世話になりました。今後ともよろしくお願いします」と言えるって幸せなこと 反省点 まとめ 今回参加しようと思った動機は、正直覚えていません。シンプルにオフラインでの交流に興味津々だっ

          文学フリマ、ありがとうございました!

          愛に定義はありません

          「愛に定義はありません」 これは私が主催する一次創作イベントの、説明の書き出しです。 「愛は自由です」 これが説明の締めくくりです。 偽善者と思われたなら、仕方ないと思います。綺麗事を並べているつもりはありませんが、ここから何を感じ取るかは、受け取り手の感覚に委ねられると思うので。 自由。ならば浮気は肯定されるのか。 定義がない。ならば何処にでも、誰にでも、無限に向けてよいものなのか。 今の私には、誰か一人でも納得させられるだけの道理を説くことは出来ません。間違いもして

          愛に定義はありません

          感想はひとつ。やってよかった。

          「好き」 私の中に、確かに存在する言葉である。それでいて、口にする頻度はほぼゼロで、会話中の使用頻度ランキングなるものが存在するとしたら、後ろから数えた方が早い。 対人関係においては特にそうだ。面と向かって伝えるのは気恥ずかしい。人を選ぶ傾向のある私にとって、そばにいること自体が好きである証拠。身勝手ながら、そう察してほしかったりする。まあ、深い付き合いを見据えた場合に限ったことだが。 一方で、自己対話をするシチュエーションでは、ランキング上位に迫り上がる。 この人の小説

          感想はひとつ。やってよかった。

          同人小説の推敲が止まらないのは、登場人物たちに期待しているからであって、彼らの住む世界をより美しく魅せたいからである。脳内で見えているビジョンを、寸分違いなく言葉に落とし込むために、瑣末な差分を見つけて両者を近づけさせる。推敲には時間がかかるけれど、楽しく好きな工程のひとつ。

          同人小説の推敲が止まらないのは、登場人物たちに期待しているからであって、彼らの住む世界をより美しく魅せたいからである。脳内で見えているビジョンを、寸分違いなく言葉に落とし込むために、瑣末な差分を見つけて両者を近づけさせる。推敲には時間がかかるけれど、楽しく好きな工程のひとつ。