見出し画像

高校専任教員を辞めて非常勤講師になりました 2

2024年3月、「専任教員」として務めていた高校を退職し、同校で「非常勤講師」として再スタートを切りました。

今回は、もうひとつの大きな理由について書き留めていきます。

それは、以前から、子ども達が自分らしく学べる場を創りたい、という気持ちがあったからです。

学校現場で日々生徒たちと関わっているといろいろな表情がみられます。
学校という社会のなかに、本当にいろいろな個性が存在しています。
心身の著しい成長期というのも相まって、各々がとてもエネルギッシュです。
それと同時に「疾風怒涛の時期」と形容されるだけあって、なにかと葛藤の多い年頃でもあります。

すぐ近くでその成長過程を見ていると、自分自身の心が強く動かされる場面が多々あります。
人の成長って、なんというか、壮大なものをみているような気持ちになります。
(教員のやりがいはそういう部分から得られるものが大きいと思います。)

一方で、転退学していく生徒が一定数います。
理由はそれぞれですが、学習意欲や人間関係、集団行動などいわゆる「潜在的なカリキュラム」に起因するものが多い印象です。
日本の学校生活は、授業以外も(むしろ授業以上に)大変なことがたくさんあるのです。
容姿、言動、時間、成績、人間関係などなど。

上記のようなことに悩み、登校ができなくなった生徒をたくさんみてきました。
いわゆる「不登校」の問題は、高校に限らず注目されています。

もちろん、学校がしんどい、という訴えや様子があれば、こまめに相談にのったりスクールカウンセラーの支援につないだりと、学校ができる対応はします。
しかし、欠席日数を気にして無理矢理登校する本人の姿を見て違和感を覚えることが多々ありました。
そして、「子どもが学校に行けない」ことに心を痛める保護者のようすにも。

「もっと自分らしく、毎日を過ごせる場所があるのでは?そうあってほしい」
教員という立場からは言えず、もどかく思いました。
全く他意はありませんが、「はやく別の学校に移ってはどうですか?」と勧めているように思われてしまうかもしれないと、言葉を飲み込みました。

社会全体の変化として個々の生き方、在り方、働き方は多様化しています。
「どう生きるか/生きていくか」と自問自答を繰り返す大事な10代の時期が、苦しい毎日で塗りつぶされていく事態をなんとかしたい。
そのためには、自分自身が公教育の内側に居続けることには限界がありました。

今後は、「自分らしく学べる場」を創っていく活動を始めたいと思っています。

※日本では、「不登校の受け皿としてのフリースクール」というイメージが先行していて、現段階では「フリースクール」という言葉を目立たせることには躊躇しています。
長く学校に行かない選択肢は、時に本人や保護者の自己認識をひどく歪ませてしまうことがあります。そういう経験をした後の、消極的な選択としてなされるものではなく、「何をどう学びたいか」を前向きに考え、それを支援できる場でありたいと思っています。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?