この春高校を卒業した妹に「高校生活に点数をつけるなら何点か」聞いてみた。
YouTubeで動画を視ていた時、こんなCMが流れてきました。
あなたの高校生活に点数をつけるなら、何点ですか?
この問いかけに対し、今年高校を卒業する高校生たちが理由を述べ回答するというもの。
なんか、ええCMやなぁと思いながら見ていたんですが、そういえばと思い出しました。
うちの妹もちょうど高校卒業したところやん、と。
ってことで、同じように聞いてみました。
あなたの高校生活に点数をつけるなら、何点ですか?
→ 妹の回答:−35点
妹(以下、コダックと称す)の回答は、まさかの−35点。
CMの高校生たちですらマイナスをつけている子はいません。
もう赤点どころじゃない、追試では済まないレベルです。(留年?)
どうしたんだ、コダックよ。
僕からみたコダック
僕からみたコダックは、わりとちゃんとJKしていたはずでした。
と言っても、昨年夏に3年ぶりに会ったので、ほとんどJK時代を知らないんですけどね。
まぁ久しぶりに会ったからこそ、「あぁこいつ意外とJKしてんじゃん。」
と思ったわけです。性格とか鑑みて。
ただやはり見てくれからは伝わらない、年相応の悩みだったり、やり残したことがあったのかもしれません。
ってことで改めて聞いてみました。
Q.それはなんでですか?
コダックの答えは、
「楽しかったけど高校生としては真面目ではなかったから。」
と言うものでした。(案外ちゃんと考えたんだな…)
マイナスとかつけるから、正直適当に回答したのものかと思っていましたが。
ネガティブな理由も特にないようですし、とりあえず一安心です。
高校生の正解とは?
ただ、ここでちょっと気になったのが、
「高校生として真面目にしてこなかった」、
という文言。
それに続けて、
「大会で成績残すとか、なんかの役員やるとかいい大学に行くとかって意味ならマイナスがつく。」
とコダックは言います。
なるほど。
つまり、どうやらこのマイナス判定は、“客観的に見たら”高校生としてダメだったよね、という話のようです。
確かに昔から今に至るまで、高校生のお手本とされる姿は、大会で成績残すとか、なんかの役員やるとか、いい大学に行くとかして、真面目にひたむきに取り組む姿です。
お父さんお母さん世代が高校生だった頃からずっと変わらず。
しかし、それが誰しもにとって絶対的な高校生活の正解であるとは思えません。
なぜなら、やりたいことは人それぞれだから。
例えば、最初の問いに対して、CMの高校生たちはそれぞれこう答えています。
15点…やらないといけないことをずっとサボっていたから。
60点…あまり自分に素直になれなかったから。
1点…コロナ禍だったから。
75点…全力、100%出しきれていなかったから。
50点…想像していた高校生活があまりできなかったから。
つまり、それぞれほとんどの人がやりたいことができたかどうかで、自分の高校生活に点数をつけているわけですね。
自分のやりたかったことができなかった分だけ減点をしているという印象です。
全員が全員、大会で成績残すとか、なんかの役員やるとか、いい大学に行くとか、それらができなかったからという理由で100点満点をつけられなかったわけではないでしょう。
というわけで、改めてコダックに聞いてみました。
それでも、まさかの50点。
理由もまた、何とたんぱくなこと…
でもまぁ、たぶん彼女はそれなりに満足できているでしょう。
好きなことを、夢中になってやれていましたから。
100点の高校生活の条件
では、100点の高校生活を送るにはどうすればよいのか?
これは改めて考えるまでもなく、
やりたいことをやりきる。
これに尽きるのでしょうね。
そうなると必死ですよね、高校生活は3年間しかないのだから。
勉強に、部活にと、それぞれの学生ならではのルーティンワークに忙殺され、いつの間にか3年間は過ぎ、気づけばやりたいことがやりきれずに終わる。
おそらく誰しもが、やり残したことは少なからずあったはずです。
だからこそ、それら日常の課題や、それぞれ自分のやりたいことに取り組む高校生はみんな、どことなく必死で、常に全力に見えます。
リミットがあるのを感じているからですね。
ただ、それって実は何も高校生活だけがそうであるわけではなく、視野を広げてみると、人の一生だってそんな感じがします。
リミットが見えにくいだけで。
つまり、100点の高校生活の条件は、100点の人生の条件とも言い変えられるのではないでしょうか?
やりたいことは、やりきれているか?
ここで改めて考えてみましょう。
今、自分がやりたいことをやれているか。
やれているとしたら、全力でやりきれているのか。
あのCMを最初に見た時、自然とその問いかけが頭に思い浮かび、正直僕は全力でやりきれていると自信を持って答えることができませんでした。
毎日練習に行けているか?
毎日課題を持って取り組めているか?
毎日その日をやりきれているか。
それらの問いに対しても、自信を持ってYESとは言えないのが現状です。
高校生の頃より幾分行動的にはなれましたが、結局あの頃と同じ様に、社会に出てからも仕事に、家事にと、社会人ならではのルーティンワークに忙殺され、結局いつの間にかやりたいことはやりきれずにいます。
もっと“今”に必死であれ
もちろん、この生活リズムをいきなり放棄して、やりたいことに打ち込もうなんて中々できませんよね。
ではどうすればいいのか?
それには、リミットを見据えて、せめてもっと“今”に必死になる。
それが大事な気がします。
そうすると、ただでさえやることの多い生活の中、少しの時間でも惜しくなり、貴重な時間を無駄にせず毎日やりきれるのではないでしょうか。
今しかできないことが、再認識できるかもしれません。
あなたのリミットはいつですか?
では次に、そのリミットがない場合どうすればよいのか?
どこかに設定されていなければ、それは自分で設定してみてもいいかもしれません。
例えば僕の場合、そのリミットを30歳の誕生日に設定しています。
27歳の今、20代は残りたったの3年間だけです。
そのリミットを見据えたとき、この30代になるまでの残り3年間を、決して無駄に過ごしたくない。
時間がない、もう今日からでも練習にいこう、勉強しよう。
そう思えるわけです。
(特に、同じ3年間で必死に頑張る学生を見るとなおのこと。)
なので、もっと必死になれるよう、まずはリミット設定をしてみて、そこから逆算的に今の自分の生活を続けていてやりたいことがやりきれるか。
後に悔いは残さないか?
それを改めて考えてみてもいいかもしれません。
まとめ
というわけで、今回は『この春高校を卒業するコダックに「高校生活に点数をつけるなら何点か」聞いてみた。』というテーマで書いてみました。
(かなり思いつきでしたが。)
結論、高校生であろうと社会人であろうと、
終わりがあることを意識して、それまでにできることを全力でやりきろう。
そんなところです。
これは誰かに対してではなく、僕自身に対してのリマインドでもあります。
なので、今日からまた刻々と迫るリミットを意識しながら、地道に頑張っていこうと思っています。
後悔を残さず、なるべく100点に近い人生を今から送りたいですからね。
将来の自分のために。
それでは。
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