見出し画像

砂漠の紅柳

彼を何と表そう。

多くのハンセン病患者と向き合ってきた医師か。

自然を臨んではダビデの詩を詠うクリスチャンか。

アフガニスタンの砂漠に水を引き、緑化させた偉人か。


電波に乗って捏造と錯覚のフィクションが世界に垂れ流される中、
ただ現地のリアルを、ただ皆で生きることに必死だった。

調子の良い時にこぞって押しかけ、
情勢が悪くなると蜘蛛の子を散らすように退散するNGOを横目に、現地で根を張り続けた。

内戦と旱魃に、死んだ我が子を抱く母親の姿に、もう病気治療どころではないと井戸を掘った。

妨害・暴動・裏切り・盗難・汚職・不正・内部対立、数々の人災に苛まれた。

日本の国会で自衛隊派遣よりも飢餓救援を訴えたら、嘲笑と罵声を浴びた。

ともに現地で働いていた同僚が誘拐され、殺害される経験もした。


彼は何を求めてかくも奔走したのだろう。

富ではないことは明白だ。

それでは名声か。

はたまた住民の笑顔か。

或るいは、平和だったのかもしれない。


彼は言う。

平和とは観念ではなく、実態である。と。

飢えることのない都市で、
飢えたことのない人達が、
金とマウントの算段のついでに宣(のたま)う平和と、

彼が故郷の山田堰(せき)から学び、マルワリードに伝え、
いくつもの天災と人災の果てに
「ここは、もはや砂漠ではない」と
そっと吐露したガンベリの平和は、

恐らく全く違うものなのだろう。


彼は自然を畏怖する。

彼は自然を敬愛する。

人間は間違いなく自然の一部であり、与えられた恵みに誠実であれと言う。

経済成長それのみが唯一の救いで、不況を回復すれば幸せが訪れると信じることは愚かだと断じる。

情報伝達や交通手段が発達すればするほど、どうでもよいことに振り回され、不自然な動きが増すと案ずる。

進歩だ改革だのという言葉が横行するうちに、とんでもなく不自由で窮屈な世界になったと警鐘を鳴らす。

人の幸せは別の次元にある。と、祈る。


彼を何と表そう。

医師か。クリスチャンか。偉人か。


2019年12月4日
凶弾に倒れ、73年の生涯を閉じた。


彼を何と表そう。

逃げない人だった。
折れない人だった。
屈しない人だった。

内戦と飢饉の濁流の中、彼は立ち続け、人々と共にあり、人々を守り続けた。

その姿は彼が砂漠の用水路に砂防林として植えたガズ(紅柳)のようだった。
乾燥に強く、人々を熱風と砂嵐から守る。それでいて水辺にあっては小柄な樹。

彼は、ガズのような人だった。


~勝手な敬意を込めて~


<参考文献>

<著書『フォロバ100%』Amazonにて販売中✨>

この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?