『余白』を存する

『余白』に何を見る?

先日、僕の新しい個人理念が「『余白』のある人生を」になったと書きましたが、それについてとても影響を受けたのが中国近代絵画の巨匠・斉白石さんです。

斉さんの絵のどこに魅力を感じるのか。僕はとりわけその大胆な構図 - 『余白』の取り方を美しいと感じました。
例えば、下の「借山図」。

借山図(第三図)

大胆にも半分以上のスペースを『余白』としています。

この『余白』に何が見えますか?

それは見る人ひとりひとりによって、全く違うものや色が見えていると思います。もしくは全くの”無”で、それをこそ美しく感じるかもしれません。
そこには正解も不正解もありません。
『余白』は”無い”からこそ、其処に無限を生み出します。

『引き算』と言うファッションデザイナー

ウチの代表の高橋和也がファッションデザイナーをしていた時、イタリアで師事したのがマウリッツォ・アマディ氏です。
マウリッツォさんはM.A+というレーベルを立ち上げた有名なデザイナーです。

下のジャケットはM.A+のものですが、とてもシンプルで、だからこそ美しさを感じます。

髙橋曰く、マウリッツォさんは自身のデザインの在り方について「引き算」と表現していたと言います。

僕は斉白石さんの『余白』とマウリッツォさんの「引き算」は同じ概念だと思います。
人はスペースがあると何かで埋めたくなるものです。しかし、何かで埋めることが逆に何かを失くしていることにもなります。”無い”ままでいることが逆に生み出すのです。

”無い”を感じる

『余白』を自分の内に存していると何かが生まれます。それは独創性や美や成長です。
反対に余白がなければ何かが生まれる余地はありません。
『余白』は可能性と創造の源泉です。

人との関係性にも『余白』は必要です。
例えば上司と部下。(親子の関係もそうかもしれませんね。)ついあれこれ言って部下の内面を色々なもので埋めたくなりますが、それでは何かが生まれる余地を潰していることにもなります。部下が自ら何かを生み出す為の『余白』を与えるように関わりたいものです。

この『余白』を持つためには、”無い”を感じるのがいいと思います。
とりわけ自然や芸術に触れること。
真面目で勉強家な人達は一生懸命”考え”ようとしますが、それと同じくらい”感じる”機会と時間を持つことが大切だと思います。

学習とは違う、『体感』や『体得』。

”感じる”ことが『余白』を生み出します。


<著書『フォロバ100%』Amazonにて販売中✨>

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?