”働く”ということ
「大人になったら働くものだ」
「お給料=奉仕料」と思い込み
大学を卒業してから接客を6年、福祉職を7年と勤めてきました。
副業という知識もなく、一貫してその会社に身を捧げてきました。
昨年の3月末で福祉職を退職し
この1年で自分と向き合う時間をたくさん取りました。
そうすると”働く”ということに対して
かなりの思い込みがあったのだと気付きました。
稼いでいることで自分の価値を計っていた
正社員で働くことが正義。と思い込んでおり
稼いでいないと自分の価値を感じられず
扶養に入るという選択肢はあり得ませんでした。
二人目が産まれてもフルタイムで働き
育児も、家事も、仕事も完璧にしなくては必死でした。
そしてそれは到底無理なことで、、、
余裕がなくなり、子どもに当たってしまう日々。
「何のために働いているんだろう」と考えるようになり
フルタイムの仕事を手放しました。
お金では買えない豊かなもの
退職後、無農薬農家さんの援農に行き始めました。
半日畑の作業のお手伝いをして、
出荷はできないけど立派なお野菜をいただくというお仕事です。
この援農を始めて
「働く=お金」だけではないんだと感じるようになりました。
畑で生まれる豊かな人のつながり
土や愛情がこもった野菜と触れ合う喜び
そしてここの農家さんがいつも「来てくれてありがとう」と心から
援農サポーターを大切にしてくださっていること。
行くたびにお金では買えない豊かな物を得て
それを家族に循環しているような感覚を感じました。
それでもまた混乱
しかしそうは思っても、人は何回でも迷うものです。
失業保険の職業訓練校が終盤を迎えることで焦りが生じ
東京のWeb制作会社に正社員で採用を受けました。
「お給料がいい」「保育園の就労証明になる」「何だか響きがカッコいい」
と頭で考えて選んだ部分が多かったと思います。
自分の能力を過信していたことも後からの反省点です。
・2週間に1回は日帰りで長野〜東京の出勤
・日々絶え間なく来る膨大なタスク
に朝は「やらなきゃ!」で飛び起き、夕飯後にも団欒時間が取れず仕事。
何もしなくても涙が出て、生理も止まってしまいました。
これはまずいと3ヶ月で退職を決めました。
時間=命
時間=命(エネルギー)を何に使うか
”今はそんなに稼がなくても、家族が心地良く過ごせることに
エネルギーを使いたい”と
思えるようになりました。
そして頭ではなく
心が何をしたがっているか
体の真ん中から発せられる心の声に従うことに。
好きなことを仕事に
「好きなことを仕事にしよう」ってよく聞くけど
どういうことか分からないまま、分かったふりをしていました。
今度はお給料うんぬんよりも
「パンが好き」でパンカフェにパートに出ることにしました。
毎日パンの香りが嗅げて、お客さんとのコミュニケーションも楽しくて
充実感と共に、あっという間に仕事に時間が過ぎていきます。
夫も同時期にIT系の会社に転職しました。
毎日パソコンに向かっていることが楽しいそうです。
(私は耐えられなかった・・)
こう思うと人それぞれ、好きなこと・得意なことが違うのだなと改めて。
そして、これからの時代は
収入源は一つでなくてもいい
ということ。
周りの大人たちに言われて思い込んでいたことが
徐々に解けていっている感覚です。
より自由に。より自分らしく。
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