全てを分かろうとするなんておこがましいのだけれど
わからないことだらけです。生きていて。
それはもう、宇宙レベルのことからミクロレベルのことまで。
夏休みに入り、「自己理解」というものを勉強し始めて、自分を見つめ直す機会が増えました。
自分を知るために、過去のことを振り返ります。
私は何を好きだったのか。どんなことをしてきたのか。
自分を知るために、今の自分を見つめます。
わたしは何を大切にしているのか。何をしたいのか。
「自分」を丁寧に掘り返していく作業。
簡単ではないけれど、楽しい作業です。
今の自分を知って初めて進むべき道がわかる。
その通りで、少しづつ未来が見えてきました。
でも、「自分」は手強いです。
見えた!と思ったら遠ざかって、絡まっていた紐を解いたと思ったらまた絡まって。
考え方の考え方を学びたいです。思考の整理の処理が追いつかないんでしょうね。
この世には、本当にたくさんのものがあります。目に見えないものも、目に見えるものも、数えきれないほどたくさんのものがあります。
そういうものを、私はできるだけ理解したいと思ってしまいます。
どうしてそうなのか、どうなっているのか。
非常に抽象的で、自分でもうまく表現出来ない感情です。
この世にあるものに触れて、自分の中に湧き上がってくるもの。
そんなばらばらな感情や知識を、綺麗に一直線に並べてしまいたい。それなのに、なかなか言うことを聞いてくれないんです、皆。
学べば学ぶほど、世界は多様な形を取っているのがわかって、私には到底理解が及びません。
そんな世界の中で、私はどう生きていけるのか、生きていきたいのか。
結局は、自分の作った世界の中でしか人は生きることが出来ないのだと。
この世に「生き方」というマニュアルが用意されていたなら、私たちはこんなにも日々迷うことはなかったでしょう。
でも、やっぱりなんだか嫌です。
マニュアルは、自分で作らなきゃ。
私たちには、「考えること」が許されています。
私はぎりぎりまで考え続けたいです。
色々な事柄・事象に、自分なりの意味付けをしていきたいです。
そんな生き方が、苦しい時もあります。
それでも、私は結局そういう生き方を求めてしまいます。
自分の中に何かを落とし込んで、少しづつ消化させていく。
そんな作業を続けてしまうのです。
私にとって書くことは本当に大切なことです。
書くと、残るから。
形にも残るし、胸の中にも残るんです。
そして、見知らぬ誰かの心の中にも、ほんのたまに残ってくれることがあるから。
全てを分かろうとするなんておこがましいのだけれど……、
おこがましくたっていいじゃないですか。
約100年の時を、精一杯もがき続けること。
私たちには、それが許されているのですから。
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