帰り道、匂いが運んでくるあの日のきもち。
街を歩いていると、ふいに香ってくるさまざまな匂いに季節の記憶が呼び起こされます。
夏特有の激しい通り雨がやんで
ほんの少しだけ涼しさを感じる夕方。
最寄り駅から家までのいつもの道を
そんな季節の匂いを楽しみながら歩く私の心の中はと言うと
「あ、雨上がりの匂い」
「あ、おばあちゃんちの夕飯の煮物の匂い」
「あ、この緑緑しい草の匂いはたぶん芝刈り後」
「あ、これは夏の地蔵盆の匂い」
どれもこれも、私が勝手に名付けた匂いなのだけれど。
地蔵盆の匂い、なんて特に
どういった匂いだか自分でも説明ができません。
別名をつけるとするならば「夏の終わりの匂い」でしょうか。
なんにせよ、その匂いがすると私は
あの頃の地蔵盆の記憶がふわ〜っと蘇ってくるのです。
お母さんに手を引かれ向かう近所の地蔵盆。
たくさんの提灯がきれいに光っていて、
ヨーヨーすくいや輪投げ、くじ引き、いろんな催しに心躍った小さかった私…
なぜだかすごく好きだった
ポキっとすると光るブレスレットのこととか、
たくさんの催しをやってくれてる近所のおじちゃんおばちゃんに少し照れながらもご挨拶したこととか、
そんなことが色々と思い出されます。
もう随分と昔のことすぎて普段はもう思い出すことがなかなかできないあの頃の記憶も、ふと出会う匂いが引き金みたいになって運んできてくれる。
ああ、あの時の私はこんな気持ちだったな、と
出来事だけじゃなくて
その時に感じていた思いまでも
一緒にふわりと蘇ってくることがあって、
なんだか懐かしく尊い気持ちになります。
にんげんなので
すべてのことをずっと記憶にとどめておくことは難しいから
こうやって匂いとか音楽とか目にした景色とか、
そういったものに思い出やその時の気持ちを
少しだけ預かってもらってるのかもしれません。
忘れてしまっても、
また出会ったとき記憶を呼び起こすきっかけをくれる、そんな匂いや風が好き。
この「ふわっとした感覚みたいなものだけど、なんだか好きなもの」をずっと大事にできる自分でありたいなあなどと思う今日このごろなのでした。
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