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人生は私の旅である

“Le véritable voyage de découverte ne consiste pas à chercher de nouveaux paysages, mais à avoir de nouveaux yeux.”  
                       マルセル・プルースト

真の発見の旅とは新しい景色を探し出すことではなく、
新しい目で景色を見ることだ。

森本哲郎『「私」のいる文章』新潮文庫

読書感想です。

いつの頃か思い出せないのですが、どこかで、著者の文章に触れる機会がありました。学校の期末試験か、受験勉強のときに受けた模試の国語の読解問題で、だったでしょうか。とにかく、試験中でした。内容も今となってはもう思い出せないのですが、面白いな、このままさらりと読んで試験問題に答えるだけというのはもったいないぞ……そう感じたのを覚えています。一瞬ためらいながら、しかしぼくはもう問題文ではなく、それが印刷された紙を見ていました。自分の中で試験を一時中断し、文章の外、この問題用紙のどこかに出典が載ってはいないかと探し始めたのです。時間も忘れ、不自然なほどに真っ白な印刷用紙を埋め尽くす無数の文字の中を、手で、あるいは目で、草をかき分けるように進んでいるとやがておもむろに——森本哲郎——と、縦に並んだその四文字だけが別のインクで書かれたものであるかのように、パッ、と浮かび上がって見えました。

その記憶があったから、僕はこの本を手に取った。
いや、むしろこの本を手に取ることで、その記憶が蘇ってきたという方が正しいのかもしれません。

印象的だったのは本書の第5章「ふたたびイメージからの発想」で語られるエピソード。それは1972年1月25日0時50分に始まる、ひとつのjourney(旅)でした。グアム島で元日本兵の横井庄一さんが発見されたという第一報をうけ、森本さんは記者として取材に行きます。

百聞は一見にしかず。ぼくらはすぐにグアム島へ飛んだ。(中略)
とにかく、彼が住んでいた穴ぐらを検分することが取材の第一歩である。(中略)
だが、ジープが行けるのは途中までで、その後は徒歩である。ぼくらは徒歩でジャングルのなかに踏みこんだ。ジャングルを抜け、沼を渡り、がけをよじのぼり、みんな夢中で歩いた。たっぷり三時間は歩いたろう。午後二時すぎ、一行ついに横井さんがかくれていたという竹ヤブの丘を発見した。

(p69〜70)

横井さんが28年も孤独に生きていた穴居はどんなものだったのか。しかし、森本さんが穴居を見たとき以上に驚いたのは、穴居を見たあと、丘を点検するために歩いていると突然眺望がひらけ、そこから白い給水塔とコンクリートのアパートが見えた時でした。

孤独なジャングルの28年、そう思って想像していたイメージは、実際に行ってみると違っていた。むしろよく人と接触せずに暮らせたと思うくらい、横井さんは文明のすぐそばで暮らしていた。

森本さんは、このとき自分が受けた衝撃をそのまま記事にした、と書いています。そして、各新聞社の記事が出ると、穴ぐらの外のあの風景のことを書いているのは森本さんだけだった。そのことにも衝撃をうけた、と。

このエピソードは、さまざまことを教えてくれます。
人は世界をあるがままに見ているのではなく、いかに自分のイメージを通して世界を見ているか、ということ、
イメージによってしばしば現実が見えなくなること、
そんなやっかいなイメージというものに、しかし人は固執しがちだということ……

ぼくはこの話を読んで、
ああ、これが、人が何かを本当に「知る」ってことなんだ、
と深いところで納得できた感じがしました。

人はやっかいなことに、人から何か聞いただけで、その何かについて「知った」と思ってしまうことがある。
でも、じつはまだ自分で確認していない。そういうことはけっこうあるのではないでしょうか。

だから、じっさいに本物を見たとき、話には聞いていたけど……というように驚くことがある。その驚きは、じっさいに見て本物を知ったことだけでなく、自分は今までそのことを本当には知らなかったんだ、という気づきとセットになっています。

新しい情報を聞いたときに、へえ、そうなんだ、で終わらずに、
「取材」では、
じっさいに見て、それは知らなかった、と納得するところまで行く。

自分があらかじめ抱いていたイメージが崩れ、新しく書き換えられる。


私が本書でいいたかったのは、ただひとつのことである。ジャーナリズムの世界で、いや人生において、なによりも大事なことは、いつもおどろきを失わないこと、人生という旅において、けっして旅なれてはいけないということ——これである。それが人生を「私」のいる人生にすることではなかろうか。

(p205)

横井庄一さんのニュースの時、他の新聞社には後になって森本さんに、
ジャングル(と思われている)場所に、団地のような人家が見えてはイメージに合わない、面白味がない、と語った記者がいたそうです。

しかし森本さんは逆だった。ジャングルから団地のような風景が見えたことに驚き、それこそが面白いと思った。

どちらの記事が人々に面白く読まれたのか、それはまた別で気になりますが、
本当のことを書くことができたのは、森本さんだった。

意外なもの、新しいものと出会ったとき、湧き上がる驚き。
そこには、驚く「私」がいる。

じつは僕は森本哲郎さんのことはずっと哲学者だと思っていて、読んでみるまではこの本も、文章の書き方をレクチャーしたり、私とは何か、みたいな問題を扱うのかと思っていました。まさか旅やジャーナリズムについてこんなに考えることになるとは……

とても面白かったです。

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