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二度とはない僥倖だ

8月が終わった。
今年の夏は暑すぎると思う日が少なかったように感じる。暑かったけれど、涼しかった。地球温暖化のせいなんだろう。

最近、とても心が冷静なことが多い。冷静と言えば良いのか、何も感じなくなったといえばいいのか分からないけれど、いちいち腹を立てることをやめた。
諦めでもなくて、ここまで生きてきてたくさんの「うまくいかない経験」を通して「人生うまくいかないことの方が普通」と冷静に向き合うほかないことをやっと思い知ったのだと思う。


でも、そんな中で心が震えたことがあった。

もともと肩こりと首こりがひどく、先週ついに首が回らなくなって仕事帰りに新しく出来た近所の整体に駆け込んだ。すごく忙しく、その日の施術は断られ2日後に予約を入れて本屋に寄って帰ろうと思い本屋に行ったら電話が入り、今から受けられるので良ければと言ってもらい施術を受けた。


お兄さん、無理矢理わたしの施術をねじ込んで受けてくれた。
どうやら、わたしは見た感じすごく痛そうで具合が悪そうだったそうだ。
それもそのはずでその日は本当に左を向くことが激痛で、寝違いでもなく、本当に首が回らないことがこんなにストレスなのかと仕事中もひたすらマッサージしたりして誤魔化していて、仕事に集中できなかった。それをあの一瞬で見抜けるのはプロだと思った。
そこから二週間、ほぼ毎日通っている。以前に少し通っていた整体と違いわたしの状態を毎回きちんと確認してくれて、ペースも教えてくれる。おかげですごく首が楽になった。
お兄さん2人に交互で受け持ってもらっているけれど、2人がとても仲良しで明るいのでわたしも笑っていることが多い。


8月の中旬までに提出する必要性のある仕事の課題があった。
それを提出しないと試験を受ける段階にいけなくて、絶対的に迫り来るものなのにパソコンを開けて見てもどうしてもやる気が起きなかった。
その課題は2年前に一度クリアしていて、わたしの期日管理の甘さのせいで期限が切れたため再挑戦だった。
今回は後輩と一緒に受けたけれど、わたしは先輩として引っ張ってあげることもできなかった。

そんな中、後輩が仕事の関係者と連絡を取っていて、この課題について助けてほしいとその方に依頼していた。その方とはわたしも仕事でお世話になっている年上の方だった。
そこから話の流れでこの課題について2人分、全て作成してくれて番号とパスワードを渡して提出までしてくれた。
すごく大変な作業なのに、自分の時間を削って課題を作成してくれて文句も言わず手を差し伸べて迅速に対応してくれた。

その後すぐに終了証明が届き、電話で感謝の気持ちを伝えた。
本当にありがとうございますと何度も伝えて、試験は必ず受かりますと宣言した。
また、お礼をお渡したいとお伝えすると「お礼はいらないよ。あなたが魅力的だからです。これからも頑張ってよ。」とわたしにはもったいない言葉をくれた。
必ず、試験には受かろうと思う。きっとそれが一番の恩返しだから。


先日、久しぶりに休日出勤をした。
決まった時にその部署の親身になってもらっている先輩から「楽しみにしてるね」と
LINEをもらった。
出勤し、仕事の合間に悩み相談をしているときも真剣に聞いてくれたし、助けてあげられることはないのかなって真剣にこれは?あれは?と提示してくれた。
また、もう1人の先輩も愚痴をこれほどかというほど聞いてくれて、LINEを教えてくれて「愚痴でもなんでも困ったり誰かに言いたくなったら送ってよ。1人じゃしんどいよ。」と言葉をくれた。



二度とはない僥倖だと思った。
わたしのために誰かが「限りなく都合を合わせてくれる経験」や「見返りを求めずにめんどくさいことを引き受けてくれる経験」がほとんど記憶にないから、僥倖という言葉がぴったりで、もうこれっきりかもしれない。
そんなことをしてもらえる存在だと思ったこともないから、嬉しかった。


社会人になってからは理不尽や不条理と戦うことが使命のようになって、なんとか人前で泣かないように頑張ってきた。
可愛らしい子が気に入られる場面、自分のことしか考えてない人が生きやすい場面、そういう言葉では表せないけれど苦しい場面を何度も見て味わってきた。
その度に、可愛くなりたい、美人になりたい、ぶりっ子になりたい、ワガママになりたいと願った。でも結局、自分を変えることはできず、それでもわたしが届いた気がした。わたしのために、動いてくれる人がいたことが飛び上がりたいほど嬉しかった。


回復の兆しが見えたかのように思えた場面から急転直下、デルタ株が拡大し混沌とした空気が増した。
出かけること一つ取り上げてもすごく気を使う毎日の中で、光を見つけて生きていくことは本当に大変だ。
それでも、前を向いて生きていくしかない。時間は平等でその中で生きていくしかない。

最近、お部屋を快適にしようと思ってBluetoothのスピーカーや枕、ついには悩んでiPad Airを購入した。
これはそのiPadから書いているけれど、とっても便利。もっと使いこなしていけたらいいなと、わたしなりに楽しみを見つけて毎日なんとか生きている。


他人軸に肯定を頼ってはいけないけれど、今まで色んな場面で負けの方が多かった人生だと思う。わたしだって本当は明るくて綺麗なだけで人を照らせるようなそんな存在になってみたかった。でも実際はわたしは闇サイドで、自分で自分を愛しきれないそんな存在だけれど、もしかしたら誰かには伝わっていたのかもと思えたら、あの負けたと感じた夜も瞬間も負けじゃなかったのかもしれないなんて、思ってしまう。
生きるほうが、生きていくことを続けることこそが可愛くて面白くて勝ちなのかもしれない。


だからこそ、こんな僥倖をもらえたのかもしれない。




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