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あげない

「これもらっていい?」
「いいよ」

芳美(よしみ)さんは自分の部屋で遊んでいる時、友達におもちゃを貸した。

「あんまりホイホイ簡単に人に物を貸しちゃいけないな……って大人になってから思うようになりましたよ」

そう言って、彼女が話を切り出した。

――――

子供の頃、よく物を失くした。

芳美さんは子供の頃、知らない間に物を失くしてしまうことが多々あった。
小さな細かいおもちゃ、ぬいぐるみのような大きなおもちゃ。
気づけばふと失くなっている。

「大騒ぎして探し回って、それでようやく見つけるの」

両親には“いつもいつも”と怒られていた。
芳美さん自身も、どうして今手元にあったおもちゃが失くなってしまうのか説明が出来ず、泣くことしかできない。

「幼稚園でもおもちゃが失くなるし、先生には隠したって言われて、でも私はやってない!って言うしかなくて……」

それから、おもちゃで遊ぶのは極力避けた、という。
遊具は無くなりはしないし、追いかけっこもおもちゃは使わない。
おもちゃを使わずに遊べばいい。
そうすれば、失くなることはないはずだ。

「名案だ!ってその時は思ったのね」

すると、格段に物がなくなる事が減ったのだという。
仮に今までずっと芳美さん自身がおもちゃを失くしていたとしても、おもちゃに触っていないのだから当然のことである。

ただ、想定外の事があった。

芳美さんの身体に、小さな怪我が増えていったことだ。

滑り台の階段を踏み外して落ちて打ち身を作る。
砂場で砂に足を取られて転んで擦りむく。
極め付けは、ジャングルジムで足を滑らせて顔を鉄骨に打ち付ける。

そういう傷が、毎日のように増えていく。
外遊びが増えたからだろう、と、大人達は考えていたそうである。

ただ、さすがに幼稚園の先生も、見張るようにして芳美さんの側にいたのだが、それでも傷が耐えない。
あまりにも怪我が多いので、両親と話し合った結果「暫く部屋の中で遊びましょう」という話に落ち着いた。

「それから、皆が外で遊んでる時は先生と一緒にお絵描きしたりして遊んでたの」

友達と遊べないのは退屈だったけれど、お絵描きも嫌いではなかったから(まぁいっか)くらいの気持ちでいた。

とある日。
ふかふかのカラフルなカーペットの敷かれた床に寝そべりながら、芳美さんは塗り絵をしていた。

おもちゃ箱やカラーボールが転がっている賑やかな部屋、他の友達は皆外で遊んでいる。
先生は近くで敗れた絵本をなおしたり、おもちゃを片付けたりしていて忙しそうにしていた。

正面にはおもちゃ箱が並んでいるが、おもちゃには目もくれずに芳美さんは塗り絵に没頭する。

その時である。

「正面にあったおもちゃ箱の影から人の顔が出てきたの」

箱の横。
中年の男の顔が、ぬっと顔を出した。
それは、芳美さんの方を見て笑っていた。

にんまりと弧を描いた口元。
三日月のように細められた両目元。
まごうことなき、笑顔だった。

芳美さんは、それから目が離せなくなった。
その男を“怖い”と強く感じるが、目が離せない、
動けない。

〈もらっていいかなあ〉

その男は笑顔のまま、こう言った。
“もらっていいかなあ”と言われても、何を?
ただ、絶対に何もあげてはいけない、と強く思った。

そばにいた先生に助けを求めようとしたが、声は出ない。
身体も、動かない。
芳美さんはもがこうと必死になったが、塗り絵をしているその姿のまま、身体が石のように固まってしまった。

〈もらっていいかなあ〉
(あげない……)

〈もらっていいかなあ〉
(あげない……いやだ……〉

〈もらっていいかなあ〉

「……あげない!!!!!!」

心で強く思うのにつられ、弾かれたように絶叫した。

そばにいた先生が「どうしたの!!」と大声を出して芳美さんの元に駆けつけた。

箱の横に、顔はない。

気がつくと声を出した勢いか身体が動くようになっていて、彼女は先生に飛びつき思い切り泣いた。

泣きじゃくる彼女の耳元では〈ひひひひひ〉と低い男の楽しそうな笑い声がしていて、ずっと縮こまって泣いていたのだという。
その日は夕方、幼稚園に母親が迎えに来るまで、先生から離れなかった。

消えた顔はそれ以降、2度と姿を表すことは無かった。
これが、芳美さんが幼稚園児だった頃の体験だ。

「それがね、この歳になってようやく思い出したんだけれど、あの顔に見覚えがあるのよ」

幼稚園に通い始めて暫くした頃、家のリビングで友達と遊んでいた日があった。

友達は、芳美さんの持っていたぬいぐるみを見て「もらっていい?」と聞いた。
芳美さんは深く考えずに「いいよ」と貸したそうである。

友達は、スーツを着ていた。

友達は、床から上半身だけを生やすようにして部屋の真ん中にいた。

友達の首は、90度よりもさらに折れ曲がっていて頭がぶらんぶらんと揺れていた。

友達は、芳美さんの「いいよ」という返事に、にっこりと弧を描く口と細められた三日月のような両目で笑った。

「今考えればおかしいのに、当時は何とも思わなかったの。ずっとそこにいたから」

両親には、ついぞこの事を打ち明けることはなかった。

今でも物をなくすと男の笑顔を思い出してしまうと、彼女は深くため息をついた。

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