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独りになるのはこわいからいつも誰かを求めていた

冬になると人肌が恋しくなるのは、人間みんな誰しも思ってしまうことなのかもしれない。さむいしからカイロ代わりに誰かに抱きしめられて温もりを感じたいのかもしれない。さむいのを理由に抱きしめてもらって安心したいだけなのかもしれない。でも結局は、思ったよりなにも考えていないのかもしれない。それは抱きしめてほしいと思っている本人にしか分かり得ないこと。

どうして人はさむくなると人肌が恋しくなってしまうのだろう。抱きしめてほしくなってしまうのだろう。誰かに会いたくなってしまうのだろう。誰かと触れ合っていたいって思ってしまうのだろう。


ひとりぼっちになって孤独を感じて、さみしくなってしまうのだろう。


いま思い返せば幼い頃や学生の頃はそんなこと一切思ったことがなかったはず。いつからかなんてことは忘れてしまったけれども、冬が特別苦手になってしまい、できるならもう会いたくない季節になってしまった。言っておくと、さむいから嫌という理由ではない。さむいとお気に入りのコートが着れるので、わたしが冬でいちばんたのしみにしている。おしゃれだいすき。

ここ数年、秋から冬にかけて悪いことの方が多かった。きっとそれも理由になっている、はず。その度に「またひとりぼっちになってしまった」なんて思って孤独とこんにちはをして孤独戦争しまっていた。誰かと触れ合っていると、それが慣れて当たり前に感じてしまう。この居場所を手放したくないって思ってしまうのは当たり前なのかもしれない。それはきっと依存していることになっている。

だからと言って温もりを求めるのは、誰でもいいわけではない。その辺にいる人に「フリーハグしませんか?」みたいなことではない。いまのご時世できないけれども。そういう問題ではない。

きっとさみしさを感じている人が思っていることは、心も体も満たしてくれる人を求めている。変態的な意味ではなく。心から満たされるような相手だとさむくても温かさを感じるもの。だいすきな人だと特に。でもそういうときほど決まって、会いたい人には会えないので独りさみしく女の子は孤独と戦っていたりする。そんな気持ちに負けてしまわないようにって思っていても、負けてしまうときは必ずある。

そして孤独に潰されてしまわないように「誰でもいいから」って逃げようと思ってしまうのだろう。誰だって独りはさみしい。独りになってしまわないように、自分の本心とは真逆のことをやってみたりする。そして、後悔。

いつからかそんな後悔も無駄に感じて足掻くことをすることをやめた。でも、今年はすこし足掻いてみようか。



「誰か、わたしと抱きしめ合いをしてみませんか?」

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