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大切にしてる物

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ちょっとしたことや日々感じたことなど。体験したことや、思ったことをまとめました。
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#エッセイ

20240522

言葉と想いを大切にする仕事だからこそ「誰かの大切を、個性を、そのものを、傷つけるようなものは届けたくない」という想いは何年たっても変わらず、関わりを持ちたくない人からの心ない言葉に、苦しくなって涙があふれて立っていられなくなって前が見えなくなって一番大切にしたい人も言葉にも影がかかったようにも思ったけれど、寄り添ってくれるあたたかな言葉一つで涙があふれては「守られるだけじゃなくて、守っていける強さがほしい」という愛おしさが込められた想いと向けられるキラキラと輝く笑顔を思い出し

立てなくなったときも、逃げたくなったときも、消えたくなったときも、ずっとずっとひとりだった。けれど……優しくてあたたかな想いに触れて、心から寄り添ってくれる姿に嬉しくなって、今日もまた悲しくないのに涙があふれて、笑顔で頭を優しく撫でてくれる姿は夢の中にいても想像ができてしまうよ。

もっとうまく自分の気持ちと向き合えたらいいなあ。もっとまわりの気持ちに寄り添えたらいいなあ。 そんなことをおもっていたら裏と表の自分を作り出して、泣き言なんて言えなくなった。誰かに頼る方法がわからなくなった。 とりあえず、そんな自分だっていいよねって認めてあげることに決めた。

わたしの言葉が誰かのためになった

文章を書くお仕事をはじめてもう数年。お休みしてた期間も合わせると、結構長い期間がんばってる。みたい。 数年前、当時とても憧れてた人と出会い 「同じお仕事がしたい」 「温かい文章を紡ぎたい」 「誰かの背中を押してあげられるような文章を書きたい」 こんなことをおもってスタートした文章を書くお仕事。 はじめた当時よりすこしはうまくなれたかな、なんておもったりして。もちろん、お仕事に対する姿勢だったりも変化して。あれこれしたいことがたくさん増えたりもして。 このお仕事をやりたく

白は愛される象徴だと思っていた

この夏、一度しか服を買わなかった。 シーズンごとに何着も何着もいつも買っているわたしが、ほとんど買うことがなかったのはきっとこのご時世で出かけることが少なくなってしまったこともきっとひとつの理由になってしまっているんだろう。 数年ぶりに真っ白なウェディングドレスのような、すてきなロングスカートを買った。夏を向日葵をイメージして、こんなわたしでも白が似合うといいなあっと祈りながら。 どちらかというと昔から黒い服がすきだった。スカートもインナーもパーカーもカーディガンもコー

傷ついたことに気づいて

些細な言葉であったとしても、受け取った側が傷ついてしまったならそれはもう「冗談だよ」と笑い飛ばせるものではない。 SNSが当たり前の世の中になってしまったからこそ、誰かに向ける言葉をしっかりと考えるようになった。なにか発言するとき「これを言っても大丈夫かな」なんて正直そこまで深く考えたことがなかった。わたしたちきっとどこかで「冗談だよ〜!」ってわざわざ説明しなくてもどこかで理解してくれていると思い込んでいたと思う。 でもきっとそれは勝手な解釈でしかない。心ない言葉を言われ

必要だったものは勇気と素直

かなりお久しぶりのnoteになってしまいました、柳瀬です。 いつから更新してなかったのかさえ忘れていたくらいずっとお仕事してました。今年はたのしむことよりも、お仕事ですこしでも結果を出したいと思っていたら毎日すこしの時間の余裕しか作らなくなってしまった。でも、おかげですこし自分のことを認めれるようになった。すこしずつ前に進んでた、わたしそれに気づいていなかったみたい。 まだ、食事と睡眠の時間は無駄でしかないという固定観念から抜けることができていないけれど、周りと比べずに自

形が変わっても気持ちは心の中で継続されている

だいすきで、だいすきで、だいすきだったアイドルグループに数年ぶりに触れた。 いつも誰かに盲目的にすきになってしまうときは決まって恋愛をしていなかったり、恋愛が上手く進展していないときだった。どうしても周囲と比べてしまう。もう、わたしたちの年齢では結婚しているのは当たり前で、もちろん子どもも2人は必ずいて。そんな当たり前がわたしはできていない。そして誰かのしあわせも心の底から祝えない。それが身内のことなら余計に。いつからこんな最低な人間になってしまったんだろうって、かなしくな

いつまでもという優しさは持続しない

わたしはいつも、相手の状況を聞き・感じ言えなかったことが多い。 それこそすきな人だと余計に言えなくなる。どうしていつも抱え込んでは、言えなってしまうのかと考えてみた。それはきっと迷惑かけたくないから。わたしが言ったことを重荷に感じてほしくないから。あと…引かれたくないから。 昔からそうだ、本当に思ったことが言えない。その相手が大切な存在だと余計に言えなくなる。大事な友だちや彼氏など。 対象者を見て言う必要がないと判断したときは、わざと言わないけれども。 わたしがこれを

消えそうなものがすきだった

わたしは、この時期がすき。 それはきれいな桜で街中が装飾されたよう、暖かい気持ちにさせてくれるから。生きたくない、いなくなりたいって想っていたあの日もいつもこの時期だったように思う。 昔はあまり植物には興味なんてなかった。花の名前はもちろんのこと、花言葉なんて調べたことなんてなかった。それが今では毎年、桜の開花時期を調べるくらいにはだいすきになっていて、未だにすきになれない自分の名前を桜を使いたいくらいすきになり、コンビニの桜スイーツの発売を待ち遠しく感じるくらいにまで桜

すきだった人を忘れたと思っていても、忘れるなんて無理なことだった

すきだった人と別れたあとって、基本は顔合わせたくなくなってしまう。同じ空気を吸いたくないって思うときもあるし、一生関わりたくないって思うときも、もちろんある。でもそれって別れ方によるもので、諸事情で別れざる終えなかった場合もあるから、別れた人は絶対こうだよ!!!ってのは言えないけれども。 よく言われている「男は別名保存」「女は上書き保存」も絶対的なものではなくて、多分こうですってことでしかない。性別なんて関係なく、その人それぞれどう残しているかによるとわたしはそう思う。

執着しているから、苛々してしまっている

恋愛ではなくても、どうしてもなにかに執着してしまうときってある。物だったり、人だったり。人に執着してしまったときは、どうしても離れることがむずかしくなる。自分ではそんな自覚がまったくないから。 あまり違いはないのかもしれないけれど、実はいままでわたしがしていたのは依存と思っていた。でも、依存先がなくなったからと言って生きれないわけではないから、きっとわたしの場合は執着だ。(昔は依存していたのかもしれない…) たとえば恋愛だと、言われたことに対して反対のことされたり、発言と

わたしたちだって生きている

普段からいろんな人と関わっていると、波長があって仲良くなれる人もいるけれど反対に合わなくて「無理!」ってなってしまう人ももちろんいる。合わないのは、仕方ない。みんな同じ価値観や性格ではないから。無理して気を遣って合わそうとしても、余計に拗れてしまうこともある。だからそういうときは無理しないでそっと離れる方が自分のため。安全。 でも厄介なのがお酒の席での話。 わたしは普段夜職をやっているけれども、本当いろんな人が多くて頭を抱えることが多い。お酒が入っているだけでまともに会話

傷ついてまで笑えるほどわたしたち強くはない

生きていると日々いろんなことがある。本当にいろいろなことがたくさん。たのしいことやかなしいこと。苦しいことやつらいこと。新たな出会いだったり、別れだったり。世の中いろんな人がいる。 そんな中で、心ないことをわざわざ言ってくる人だって存在している。 「なんでそれを伝えようと思ったの?」って疑問に感じることを言われては、わたしたちの反応を見てたのしんでいる人だっているわけで。そして素直に聞き入れないと「あなたのために言ってあげたのに!」って正義感を押し付けては決まって怒ってく