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形が変わっても気持ちは心の中で継続されている

だいすきで、だいすきで、だいすきだったアイドルグループに数年ぶりに触れた。

いつも誰かに盲目的にすきになってしまうときは決まって恋愛をしていなかったり、恋愛が上手く進展していないときだった。どうしても周囲と比べてしまう。もう、わたしたちの年齢では結婚しているのは当たり前で、もちろん子どもも2人は必ずいて。そんな当たり前がわたしはできていない。そして誰かのしあわせも心の底から祝えない。それが身内のことなら余計に。いつからこんな最低な人間になってしまったんだろうって、かなしくなる。

でもね、きっとね、もう傷つきたくないんだよね。だから芸能人や乙女ゲームのキャラをすきになってしまう。うん、現実逃避。それをだめなこととはまったく思わないし、こんなにもすきになれる人がいるのはいいことって自分に思い聞かせている。

ただ、恋愛と同じようにだいすきな人たちも、形あるものはいつかはなくなってしまう。いつもわかっているのに、そんなのはもう何回も経験したのに、どうしても避けることができない。

先日、昔すきだったアイドルグループの音源をやっとiPhoneに取り込んで数年ぶりに聞いた。そしたら15年前の、だいすきだった形の、大事にしていた思い出が蘇ってきて曲を聞きながら思わず泣いてしまった。

はじめてコンサートに行ったときの感動は今でも忘れられないし、でもそのとき推し(アイドル界では別の言い方)は諸事情でツアー不在だったとか、はじめて東京まで行ったのもこのアイドルグループだった。

今ではもう人数は半分に減ってしまってすきだった形がなくなってしまったけれど、あの頃のすきだった頃の気持ちは今でも覚えている。曲を聞けばいろいろなことを思い出すし、はじめて買ったDVDはもう何十回と見たかなんてもう覚えていないけれど。

たくさんかなしいこともあったお騒がせなグルーブだったけれど、わたしの青春だった。たのしかったことよりも、かなしかったことの方が多かった気がするけれどわたしはあの6人がだいすきだった。

今はもう6人ではないけれど、バラバラになってしまったけれど、わたしがすきな気持ちを持っている限りわたしの中では、=6人なんだろうなって思った。いつかまた6人に戻れる日を願っていたりもしたけれども、それはもう夢でしかないのだろうな、と。

わたしたちが変わっていくように、すきな人たちも変わってしまう。大人になるにつれ気持ちと思考がついていかなくなって、過去にしがみついているわたしは置いて行かれたままになっているけれども。

今の形をすきになれるのはまだまだ先になってしまうくらいあの頃は濃いくて、なんだかもう、なに聞いても泣きそうになってしまうけれども、わたしが受け容れるようになるまでこの気持ちを大事に持っていようと思う。

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