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大切にしてる物

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ちょっとしたことや日々感じたことなど。体験したことや、思ったことをまとめました。
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#毎日

いつまでもという優しさは持続しない

わたしはいつも、相手の状況を聞き・感じ言えなかったことが多い。 それこそすきな人だと余計に言えなくなる。どうしていつも抱え込んでは、言えなってしまうのかと考えてみた。それはきっと迷惑かけたくないから。わたしが言ったことを重荷に感じてほしくないから。あと…引かれたくないから。 昔からそうだ、本当に思ったことが言えない。その相手が大切な存在だと余計に言えなくなる。大事な友だちや彼氏など。 対象者を見て言う必要がないと判断したときは、わざと言わないけれども。 わたしがこれを

自分のことは、自分で大切にしてあげること。そして、めいいっぱい褒めてあげる。傷つけてくる人のことは、大事になんてしなくていい。やさしさなんて0対応でいい。無理して強くなんてならなくていいし、笑えなくなるまで強くならなくていいし、嫌いになるまで我慢しなくていい。

わたしたちだって生きている

普段からいろんな人と関わっていると、波長があって仲良くなれる人もいるけれど反対に合わなくて「無理!」ってなってしまう人ももちろんいる。合わないのは、仕方ない。みんな同じ価値観や性格ではないから。無理して気を遣って合わそうとしても、余計に拗れてしまうこともある。だからそういうときは無理しないでそっと離れる方が自分のため。安全。 でも厄介なのがお酒の席での話。 わたしは普段夜職をやっているけれども、本当いろんな人が多くて頭を抱えることが多い。お酒が入っているだけでまともに会話

傷ついてまで笑えるほどわたしたち強くはない

生きていると日々いろんなことがある。本当にいろいろなことがたくさん。たのしいことやかなしいこと。苦しいことやつらいこと。新たな出会いだったり、別れだったり。世の中いろんな人がいる。 そんな中で、心ないことをわざわざ言ってくる人だって存在している。 「なんでそれを伝えようと思ったの?」って疑問に感じることを言われては、わたしたちの反応を見てたのしんでいる人だっているわけで。そして素直に聞き入れないと「あなたのために言ってあげたのに!」って正義感を押し付けては決まって怒ってく

独りになるのはこわいからいつも誰かを求めていた

冬になると人肌が恋しくなるのは、人間みんな誰しも思ってしまうことなのかもしれない。さむいしからカイロ代わりに誰かに抱きしめられて温もりを感じたいのかもしれない。さむいのを理由に抱きしめてもらって安心したいだけなのかもしれない。でも結局は、思ったよりなにも考えていないのかもしれない。それは抱きしめてほしいと思っている本人にしか分かり得ないこと。 どうして人はさむくなると人肌が恋しくなってしまうのだろう。抱きしめてほしくなってしまうのだろう。誰かに会いたくなってしまうのだろう。

理由なんてわかっていたのかもしれない

8月末から10月のはじめまでなぜか仕事のたびに泣いていたくらいに、とてつもなくかなしかった。この世界でひとりぼっちにでもなってしまったみたいに。とてつもなくかなしくてつらくてたまらなかった。 我慢なんてできなかった。しようなんて思わなかったけれども。 「どうしたの?」なんて言われたりしたけれども、そんなのわかるはずがない。だってわたしが知りたかったことだったんだもの。自分が自分のことをいちばん理解しているなんて言うけれども、わたしがいちばん自分のことわかっていなかったのだ

30歳になって思ったこと

恐れていた30歳になって、2週間が経ちました。 誕生日を迎えて変わったこといえば、仕事がすこし働きやすくなったこと。それくらいしか変わったことはなかった。あんなに年齢にコンプレックスをずっと抱いていたのに。たかが数字だったけれど、20代でいれなくなってしまうのはなんだかさみしく思っていたのかもしれない。けれど、きっと大人になりたくなかっただけ。こんな見た目をしているから30って数字が似合わないのは自分がいちばんわかっているからこそ、なりたくなかった数字。でも、年齢には抗えな

こんな雨の日こそたのしんでみる

窓の外を見て「今日も雨だ…」なんて嘆いてみる。 毎年やってくる梅雨のこの時期。どうしてもすきになんてなれなくて、いつか思っていた雨の中ではしゃぎたいなんてことはもう出来ない。だから雨の日はたのしいことなんてないなあってつまらなく1日を過ごしてしまう。 でも、工夫ひとつでたのしく過ごせるのではないかなと思ってしまう。雨だからこそ、どうしても憂鬱気分になってしまいがち。お気に入りの服を着て、お気に入りの傘を持ってはしゃいでみるのも絶対たのしい。本当にやりたいことは、傘もささず

人一倍コンプレックスの塊だった

はじめてファッション雑誌を買ったのは、中学1年生の頃だったように思う。今は休刊になってしまった中学生の憧れだったHana*chu→は、花中やハナチューって言われていた。同世代の女の子がすてきに着飾っていたのが、当時は衝撃的でした。スナップに参加すれば雑誌に載れて読者モデルという肩書きがもらえるのもあり、当時の読者はスナップに参加したことがない方がめずらしい方でした。そしてスナップに参加して気づく、自分が周囲よりも劣っていることに。 周りを見渡しても、かわいい子ばかり。わたし

疲れてしまったこと

わたし、がまんできなかったの。 かなしくて、さみしくて。わたしを見てほしくて。今までなんでも許してきたし、たくさん我慢してきた。でも、どうしてもどうしても、かなしくて。とてつもなくさみしくて。 なにもうれしくなかった。いつもならうれしいのに。会えたのにまったくうれしいなんて一切思えなかった。そんな気持ちになってしまった自分にもかなしくなった。だって、あなたの目にはわたしなんか映ってなかったから。あなたの目に映ってたのは、ゲームだけ。 本当になにしにきたの?わたしのことな

何者にもなれなかったから、わたしはわたしになれた

「わたし、何者にもなれなかった」 そう嘆いてしまうことは、年齢を重ねるごとにたくさん考えてしまうことなのかもしれない。わたしたちは、どうしても肩書きを気にしてしまう生き物だ。周りと比べ、ないものを探して、そして嘆く。何者にもなれなかった理由を。気にしないようにしていても、周りを見渡しては違う理由を探してしまっている。 肩書きがないわたしは何者でもないことに気がついてしまった。わたしが生きているだけで価値があるだなんて到底思えないし、思いたくもなかった。今、自分のことを価値

お月様との距離は埋められない

幻想的に輝く、お月様。 手を伸ばせば掴めそうで、掴めない距離。いつだって手を伸ばしてみたけれど、掴めることはいつもできなかった。こんな近くにいるのに、どうしても掴めなくてもどかしくて泣いた。「なんで、なんで」そう嘆いて。いつも宙を掴んでは、ないも掴めていないことを手を開いて確認してそっと呟いた。「掴めなかった…」でも、いつだってわたしたちを照らしてくれていた。 あの距離に届くと、違う世界に行けそうな気がした。今はそのタイミングではないだけでいつかは行ける、そんな気がしてな

人はいつだってすぐに名前をつけたがる

最近すごく感じる、人はなんでもすぐに名前をつけたがるってこと。自分のことも、他人のことも。それがいいことなのか、わるいことなのかはわからない。ただ決まってみんな同じことを言う。それが当たり前だから、だと。常識的にそうでしょ、と。 当たり前ってなんだ?常識ってなんだ?そんなの誰が決めたんだろうって思う。 人は自分より劣っている人のことを心配などと言ってなにかと言いたくなる。アドバイスなんて、聞こえのいいことを言いながら。受け取る側がアドバイスと思って受け取れていないのならば、

息をするように嘘をつくわたしたち

いつからか嘘をつくことが当たり前になってしまった。息を吐くように今日も嘘をつく。こんなにも嘘をつくようになってしまったのは、なぜなんだろう。そんなの今更わたしにだってわからない。でも、ひとつだけわかることがある。本当の自分が嫌いだってこと。唯一、嘘ではない答え。 そのようにして作り出してしまった、もう1人のわたし。本当のわたしがいつも邪魔をしてくる。どうして嘘をつくのかと。泣き叫びながら止めてくる、嘘はだめだよと。邪魔しないでくれ。あんたになにがわかるんだ。ありのままがいち