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人はいつだってすぐに名前をつけたがる

最近すごく感じる、人はなんでもすぐに名前をつけたがるってこと。自分のことも、他人のことも。それがいいことなのか、わるいことなのかはわからない。ただ決まってみんな同じことを言う。それが当たり前だから、だと。常識的にそうでしょ、と。

当たり前ってなんだ?常識ってなんだ?そんなの誰が決めたんだろうって思う。
人は自分より劣っている人のことを心配などと言ってなにかと言いたくなる。アドバイスなんて、聞こえのいいことを言いながら。受け取る側がアドバイスと思って受け取れていないのならば、そんなのアドバイスでもなんでもない。ただのおせっかいでしかない。

わたしと彼、ぷりんすくんは付き合っていない。言えばセフレだ。ただ、きちんと愛はあるしお互いすごく大切に想っているのは間違いない。わたしたちのことを勝手に判断してわるく言って勝手に名前をつけられるのは、きっとわたしたちの関係が名前をつけられるような関係ではないからなんだろう。

わたしと彼、ぷりんすくんの出会いは言わばマッチングアプリ。別に今では珍しくもなんともないし、暇つぶしに使う人も多いからこそ、出会い系って名前よりは親しみやすいのかも知れない。

マッチングアプリで仲良くなればそこからはスムーズに基本は事が運ぶ。わたしの場合はそこから連絡手段をLINEに変えて、会うまでが本当に時間がかかる。ぷりんすくんと出会ったとき、世間ではマッチングアプリでの事件が多く少し問題視されていたため、誘われてもなにかと理由つけて断っていた。

そんなある日。わたしが仕事のときに「れんちゃんのお店の近くにいるから遊びに行くね」ってLINEが入ってきた。待ってるね、なんて返事しつつも来ないだろうなって思っていたのでまったく心の準備なんてしていなかった。本当に来てくれて言われるまでなにも気づかなくて、店で会って安心した。一度安全なところで会ってみないとまったく安心できないので、わたしはマッチングアプリには向いてないと思う。

一度会うとそこからはスムーズ。安心しきっているので、オールでドライブ行ったり飲みに行ったり。付き合うまで時間はかからなかった。好意持たれていたのは、すきになられていたのは、はじめから気づいてた。だから、その気持ちに気づかないようにしていた。わるい人ではないって思っていたから。

ふんわりと告白されても、流していた。「ぷりんすくんかわいいね〜、ありがとう」みたいな。弟みたいな扱いをしていた。でも、そんなのカモフラージュだった。自分の気持ちに気づかないようにしていた。気づきたくなかったのかも知れない。気づいてしまったらいけないと思った。

でも、気づいてしまった。ぷりんすくんの気持ちにも気づいてしまった。誰かのものになってしまうのなら、わたしだけのぷりんすくんでいてほしいって思った。そこから数日なかなか会えなくてもどかしかったけれども、お互いの気持ち確認して付き合うってわかってはじめてお互いに触れた。手を繋いだ。ぴゅあぴゅあ。

お付き合いって形はそんなに長くはなかったのだけれども、嫌いで別れたわけでもないので1年と少しこんな名前のない関係だったりする。でもなによりお互いのことを大切にしているし、最近はわたしよりもぷりんすくんの方が「れんちゃんすきすき〜!」みたいな感じになってしまっていて、わたしはびっくりしている。

友達と恋話になってぷりんすくんの話になると、決まってほとんどの人は言う。「それってセフレ?」と。いいや、違うと否定してもわかってなんてくれない。青人たちは自分の中の思い込みを押しつけたいんだって思った。確かに責任問題が起こってしまったら、肩書きがない関係は少しややこしくなってしまうのかも知れない。

すきだから一緒にいるのは、付き合っているのとなにも変わらないじゃないか。名前がないだけでこんなにも否定されるのかと思ったら少し腑に落ちない。人と違うものは攻撃されやすい世の中。周囲の目を少なからず気にしてしまっているから、名前がないことを指摘されると気になってしまうのだろう。

いくら周囲に言われたとしても、恋愛は2人の問題。お互いが納得しているのであれば、なにも気にすることなんてないのではないかと思う。名前なんかつけたっていつかなくなってしまう。そんな見えないものに執着していても意味なんてない。

だからわたしは見えないものを大切にするのであれば、目の前にいるぷりんすくんとしっかりと向き合うことが大切だと思う。だから今日も明日もずっと仲良しでありたいと思うし、さよならなんてするつもりないけれど最後の日までずっとずっと大切に関係を築いていたい。



だから今日も大切な人を大切に愛していく。

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