ハク

好きなものを愛で、舞踏を踏み、歌を歌い、語らい生きる

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  • 詩です。

最近の記事

解離性運動障害しんどすぎる。まだギリギリ歩けているけど12分が限界

    • 承認欲求との闘い方

      「全然いいね付かない」 「誰からもフォローされない…」 何かを発信している時、付き纏いがちな悩み。 多少反応が来るようになっても悩み事は続きます。 「反響が多いスタイルを貫かなきゃ…」 「このトピックが反応が多いから、これだけにしなきゃ」 「早く投稿しなければ」 私は発信側で7年近くやってきたので、長年これらと戦ってきました。 これらと戦う術を今回はご紹介してみます。 と言っても、たった一つだけ。 間違っているのはお前らだ  と思うことにする そうなんです

      • IFとの会話

        私は人格乖離を起こしてはいないと考えているのだけれど、自分の中に他の人がいて、中で会話するということはできる。 IFに近いのかなと思う。 (解離性同一性障害の診断が降りたことはある。でも懐疑している) 思考能力が存在していたら、それはもう存在であるという私の哲学のもと、(多くの人の哲学でもあるだろう)それは存在している。 まず、よく話してくるのは 「あなたはあなたのままで出来ることがあるの」 と、透視のような口ぶりで話してくること。 これは私の信念を手伝って、他人を無闇

        • IFと自我が混在して困る

          私は今、基本的に一人のIFが持っている思考回路と人道、道徳を模倣して、彼女に倣って会話しているのだけど ふとした時に 自我(本体)のほうの思考しか感じ取れなくなって、会話に支障をきたしてしまう。 IFが博愛精神を持ち、慈愛のある人間なので 自我である自分の身勝手かつ自己中、薄情な人格形態とギャップが大きい。 他人からすると今まで優しかったのに急にキツいことを言い始める人、になってしまう。 もう一人IFがいる。その子は自我よりもっと凶暴で手に負えない。完全に自分が(正確に

        解離性運動障害しんどすぎる。まだギリギリ歩けているけど12分が限界

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        • 5本

        記事

          私は生きたい

          私は生きていきたい。 生きることは喪失の連続である。 悲しみの連続でもある。 つまらないことの繰り返しでもある。 とある映画が言った。 「繰り返される散歩は私の人生のメタファー」 その通り。同じ道を何回も通り、同じ景色、変わり映えのしない毎日。 でも、私は喜んでそれらを受け入れる土台が完成した。 今はもう話せないあの人を想う時、沈み込むような憂鬱と物悲しさ、後悔が私を襲う。 だけれど、それこそが美しさであると知った。 もし、誰かと別れ、何も思わない者であったな

          私は生きたい

          亡き祖父へ

          祖父のことが大好きだった。 高齢だったけれど、常に勤勉であり、頑固で、美学のある男性だった。 私には大変甘い面もあった。 それは、甘やかし、という意味ではなくて、たとえば 「そんな閉じ込めるようなことをしないで、もっとたくさんの世界を見せてあげなさい」と 私の母に忠告してくれるような、そんな愛し方をしてくれていた。 祖父は大変趣味の多い人間で、カメラ、クラシック音楽、哲学、建築、飛行機、など…私が知らないだけで他にもかもしれない。 とにかく勤勉で、何事にも精通していた

          亡き祖父へ

          眠すぎて半日以上寝てる。なんと眠剤なしで。やめてくれ。

          眠すぎて半日以上寝てる。なんと眠剤なしで。やめてくれ。

          「人間が通常分かっていることが分かっていない」

          医師の言葉。 嘘をついてはならない理由も、騙してはならない理由も、傷つけてはならない理由も、人を殺してはいけない理由も、私にはわからなかった。 それを訴えると、人間には通常わかるのだと返事が来た。 じゃあ私は何w それでも、やりたくないなと願う気持ちはある。 たぶん。相手のことが好きなら。 バレないならやりますか?法があるからやらないだけですか?犠牲者の気持ちはどうやったらわかりますか? 色んなことを聞いた。 本でも読んでください。と言われて終わり。 私にとって

          「人間が通常分かっていることが分かっていない」

          社会を無視する戦いをしている

          私は、様々な病気の複合によって、ほぼ引きこもりで過ごしている。 そうすると思考の時間がかなり長いのだけど、結論の一つの中に「社会を無視せよ」というものがある。 いつ死ぬかもわからないこの命を、社会に惑わされてなるものかと思った。 こう思われたい、こう思われてはいけない、立派にならなきゃならない、何者かにならなければ……の行き着く果て。 命を慈しんで生きる。結局はそれだけ。 今の社会は承認欲求社会だ。フォロワーなんかで価値が変わってしまう。 累計5万人ぐらいいた時、こん

          社会を無視する戦いをしている

          砂金➖詩

           私の好きな物書きが言った 「しあわせは、川の底に輝く  砂金のようなもの」  愛も似たようなもので  鮮烈さなど要らなかったと知った  さんざめき蕩けるような川の底  目を移ろわせれば反射して輝く砂金  一粒ずつ拾ってください  人を愛せたことは  同時に大きな悲しみが  確約されたようなものだ  だけどその砂金の輝きを見つめていると  見つめていると

          砂金➖詩

          お茶の世界

          お茶好きですか? 私は持ち前の凝り性と拘りを遺憾なく発揮しています。 コーヒーが苦手、乳糖もあんまり体質に合わないということで、自然にお茶・紅茶が好きになったのですが とっても奥が深いです。 最近ハマってるのは番茶。その中でもエルダーフラワー番茶。 エルダーフラワーというと、大抵ミントとフレーバーを合わされていて、スッキリ・酸っぱめなものが大半なのですけれど、私が購入したエルダー番茶は、「ゆっくり飲むと甘い」という謎の性質を持ちます。 謎。 そしてお茶感もそんなに

          お茶の世界

          話すことがない

          そろそろよくもまあ毎日そんなに書くことがあるなと思われそうなところだけど、あるもんはあるので仕方ない。 しかし、口語で他人と話している時、私はあまりにも寡黙だと思う。(特定の人を除く) 9割の人と話す時、私は 話すことがないなあとずっと思っている。 それの内訳は、「この人に話せることはないなあ」だと思う。 一人面白い友達がいる。 性癖とは精神世界の探究であると話してきたので、私も深層心理で何を願うのかを探ってしまうと話すことが出来た。 だけれど、誰も彼もにこういう話を

          話すことがない

          rainy

          雨が好きだ。引きこもりだからだろう。 もう、自分が引きこもりだということも忘れるぐらい、長い間引きこもりだ。 でもカフェ行きたければ行くし、服買いに行きたければ行くし、厳密には著しくインドアなだけなのかな。コンビニは行くし。 あまり、重大視していない。閉じこもってしまっている、みたいな言い方をされるけど。 外にたくさん楽しいことがあるよと言う人の気持ちもわかるけど、中にもたくさん楽しいことがある。 家に居て、一番美しい時というのは雨の日だろう。 雨の音が脳にもたらす色彩

          サイコパシー的思考回路

          ほぼ間違くソシオパスだと言われた。 驚くことはない。ああ確かにねと思う。 それと同時に、自分の生きづらさの殆どがここにあると思わなくもなかった。 ひとは、約束を守るらしい。 私はバレなきゃいいと思っていた。それは典型的な思考回路だった。 つまり バレる=刑罰 で、道徳心ではなくて刑罰の回避のため約束を守るか否かを決断しているなと自分で思う。 絶対にバレないなと思うのなら何でもやってしまうのが私のような人だろう。 そういうわけで、何もかもに責任を持てない。 こうなったらど

          サイコパシー的思考回路

          最高にハイってやつさ

          闘病歴長いけど、躁鬱とはなんたるかをやっと理解し始めている。 脳内麻薬が流れ込んでくる病気。 躁を鎮める治療をし始めて、脳内麻薬の禁断症状を起こしている。 ハイになりたい。喜びというものを私は知っていたのだろうか。 本物の喜びなんてものは、じんわりと胸に広がるような、温く優しいものであって、熱くて目が冴えるようなアレは、"ハイ"なのだろう。 ……ここまで書いたのが躁の時で、次の日である今は鬱転してる。 全然、何にも頭に浮かんでこない。何も文字が浮かばない。 というか眠い

          最高にハイってやつさ

          noteも病態である

          私は躁鬱病で、躁鬱病の躁には多弁の症状がある。 とにもかくにも喋りまくる、誰彼構わず、という感じになる。 しかし、私は対人恐怖でもあり、そこと躁の葛藤がいつもある。 その結果、独り言であるnoteが活性化する。 (ちなみに、コメント来るのはそんなに怖くない。) 私はここのnote以外にも、もっと気を楽に書くところして、スマホのメモ帳に毎日何千字と日記をつけている。 不要と言えば不要なのだけど、このソワソワ感、言葉が溢れて仕方ない感じをなんとかするにはこうするしかない。

          noteも病態である