エッグタルトは人生のように一口で食べる
哀れなるものたちより(タイトル)
映画を見ながら思考を巡らせていた。
なるほど、不眠に悩んで眠れない眠れないと泣いているより、興味の赴くまま何かしらを見つついつの間にか朝を迎え、倒れるように眠るのは最高に快適だ。
ところで、私は人生に後悔していないなと思った。
厳密に言うと、「後悔したことに後悔していない」という話。
それってどういうことなのか?
体験しなかったほうが良かった事って、生きている人全員に沢山あると思う。
私は母親の奴隷だったし、軟禁されてた。
母親の許してる範囲しか出かけなかったし、監視されてた。
そして母がやらせたいことのみをしていた。
初めて出来た恋人にはどうしようもない感情を抱いて愛していたのに自ら捨てて、二人目の恋人には浮気相手として良いように遊ばれた。
諸々。
そんな20年間。搾取という言葉が似合う。
なかったほうがよかったか?なかったほうがよかっただろう。
でもなかったほうがよかったと知ることが出来てよかったなと思うわけだ。
哀れなるものたちから引用して例え話をしてみると
主人公ベラは、はじめてエッグタルトを食べて感激し、もっと食べたいと言う。愛人のダンカンは、エッグタルトは甘すぎるからひとつで十分。とやめさせる。
そのあとベラは、一人で抜け出してエッグタルトをしこたま食べて、そのあと嘔吐する。
この一連の流れを見て思った。
「エッグタルトはひとつで十分」と教えられること
「エッグタルトをしこたま食べて嘔吐した、なるほど、ひとつでいい。」と感じること
その両者に圧倒的差があること。
体験する、経験する を縛られてきた人生だった。
家出してからも3年間引きこもり、8割をベッドで過ごした結果、いまは筋力低下でキッチンにも立てない。
その3年で私は「あ、寝てばっかじゃこうなるのね」と知ったわけだ。
そしていけないなと思い痛みを引きずりながら訪れたケーキ屋で、人生で1番美味しいケーキに出会った。
そして今まで食わされていたのは低カロリーケーキだったことも同時に知るのだった。
(母は私を痩せさせたがっていた。当時40キロしかなかったけど)
私が病ながらも視線にはときめきや希望に溢れているのは、世界が未知だからなのかもしれない。
ぬばたまの世界で希望を探し続けることに決めた。
とりあえず1番美味しいケーキ屋さん探さなきゃ。あんなもの24年間知らずに生きてきたなんて……
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