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かなり長めの自己紹介(プロフィール・生い立ち・経歴)

株式会社クロス・オペレーショングループ(xOperation Group, Inc.)の代表取締役、田中亮大(りょうだい)です。

当社は日本でも稀有なオペレーション専門企業です。オペレーションの価値を最大化させることミッションとし、オペレーション専門企業として、 OpM(オペレーションマネジメント)コンサルティング事業と、業務改善クラウド「オペレーションクラウド」の開発運営を行うSaaS事業を行っています。

設立から約8億円を資金調達し、世の中に新しい価値を創造するために邁進するベンチャー企業です。

オペレーションと聞くと一般的には、まだコスト削減程度の認識で留まっています。しかし、私たちは、オペレーションこそ企業成長の重要事項であり、オペレーションこそ働くひとの成長ややりがいを高める鍵だと考えています。

・・・と、会社紹介を始めるとオペレーション、オペレーション、オペレーションと寝ても覚めてもオペレーションのことしか言わなくなるので・・・あくまで、今回は、会社紹介、サービス紹介ではなく、私個人の自己紹介をさせていただきます。

当社クロス・オペレーショングループへの応募を検討してくださる求職者の方々や、新しく当社とのお取引をご検討の方々にクロス・オペレーショングループの代表はこんな人だ、と分かってもらえれば嬉しいです。

ちなみ、この自己紹介記事は、Long ver.です。書いた本人としても、本記事は本当に長いので、おすすめしません!

まずは気軽に読めるShort ver.をおすすめします笑

このLong ver.は繰り返しますが、長いです。ただ、これを読んでいただければ、私の人となり、価値観や性格などもお分かりいただけると思います。時間あるときに、一気に読むと大変なので、章ごとにでも読んでください笑

【プロフィール】

名前と由来

田中 亮大(Ryodai Tanaka)
1985年9月15日 山口県萩市生

名前の読み方が【りょうだい】と珍しいため、 ニックネームは特になく、りょうだい、りょうだいくん、りょうだいさん、としか呼ばれたことがない人生です。

親から聞いた由来は、 「自分の名前に誇りと自信を持って、自分の人生を切り拓くように」(父) 「広い心で優しく、元気で逞しい大きな人間になってほしい」(母) とのこと。

字の意味は、「:頭脳明細、高く明るい」、「:更に、それを大きく伸ばす」

見た目

身長は171cmと、いたって平均。最近は、リアルで会う前に、オンラインだけでお会いする方も多いので、お互い一番ギャップがあるのが身長ですが、私は、良くも悪くも何のギャップもありません汗

趣味はダイエット、特技はリバウンドというくらい、痩せようと思っているが、痩せていない。太ってもいないが、甘いモノが大好きで、一応運動はしているが、全部相殺されています。

血液型はO型。B型とかAB型とか言われることはあっても、A型ぽいと言われることはないです。

家族

28歳で、福岡にいるときに結婚し、長男も福岡で生まれました。30歳からは、家族も一緒に東京に住んでいます。今は次女の娘と猫も一緒に暮らしています。

娘は、本当に天使。息子は、人格者で彼からいつも学んでいます。

今日、息子から学んだこと。「ヤクルト1000は一本まで」「頭の整理をしたければ部屋の片づけを」 ◆ヤクルト1000は一本まで 朝ラジオ体操の帰りにコンビニに寄ったらヤクルト1000が2本売っていた。ラッキーと思い両方手に取ったら、彼から一...

Posted by 田中亮大 on Monday, August 8, 2022

好きなこと

働くこと、家族といる時間、ジムで走るか皇居ランしてるとき(ほぼ散歩ですが)、サウナ(なんちゃってサウナ―)、漫才(練り込まれている構成に惚れ惚れする)、最近は練り込まれてるのかどうか不明なランジャタイが好き

お笑いが好きが止まらず、気づいたら、こんな動画をつくったり

立川吉笑さんにオリジナル落語まで一席用意してもらったり

上記は、以前行っていたSaaS事業=マーケロボ:MA(マーケティングオートメーション)をお笑いに変換したもの。その事業は、2022年10月に、上場企業にM&Aにて売却しました。後半で詳しく書いています。

苦手なこと

お酒。下戸です。惰性で行く二次会が苦手です。一次会の終了後にお店の前でだべっていることも、その時間が苦手です。カラオケや大人数のパーティーも苦手。基本人見知りなのと、規則正しい生活を送りたいので、一次会で帰りたいと思っています。

生い立ち

両親

父親は、厳格で義理人情に厚く、人に媚びを売らず、出世にも興味がなく、自然や先祖を大切にし、規律を好む人です。地方公務員でしたが、趣味に生きると早期退職しました。

母親は、大らかで細かいことは気にせず、多少天然も入っていますが、人の悪口も言わず、自己研鑽が好きな人です。美術、養護の教員でした。天職だといて仕事にやりがいと誇りを持っていました。

二つ上の姉がいます

姉も、教師で、実家の近くに住んでくれています。東京と山口だと直ぐに帰れる場所ではないので感謝してます。

実家

どれだけ強調しても期待を上回る、メジャー級の田舎です。コンビニも飲食店も信号も街灯もありません。妻が初めて帰省したときも絶句していました。自然豊かというレベルではない、自然の中の一部に住まわせてもらっている感じだと。キングダムの山の民をイメージしてもらえれば分かりやすいかと(読まない人は意味不明)。

実家に戻っても家の中は回線が届かないので外で仕事です汗

実家の景色は周りを見渡しても、ご近所さんが見えません。向かいの山に猿の大群が見えます。子どもにはランドセルに鈴を配られるわけですが、不審者用ではなく、熊除けです。

幼少期~中学

とにかく運動が好きな子でした。

小学生のときは、何度も入院し、身体もきゃしゃで、あまり強くなかったですが、元気なときは、足も速く、スポーツ全般は何をしても運動神経のよい子でした。

小学生のときは、剣道と相撲もやっていました。

両サイドは、上級生ではなく、同じ学年です。身体は細いですが、この子達にも勝って、県で一番になったりしていました。

剣道、相撲以外に、自転車大会に出場し、小学5年生のときに、小学6年生を相手に、県で優勝し全国大会に出場。翌年、自分が小6の時にも優勝し連覇していました。

交通安全協会が主催する、いかに安全に自転車に乗れるかと競う大会です。

埼玉県交通安全協会より引用

中学生になると、部活は野球部しかありませんでしたが、足が速かったので、大会当日だけの、なんちゃって陸上部として出場していました。

ルールも知らずに出場していましたが(例:三段跳びは、ケン・ケン・パ で飛ぶとかも知らずに出ました)、三段跳びは敵なしで、春と秋の県体会を連覇、100mでも県で優勝、走り幅跳びでは県代表選手でした。

趣味はメンタルトレーニング

身体も大きくなく、病気がちでしたが、何かの大会に出ると、競技も違うのにも関わらず、大抵は優勝していました。

本番に強い、勝負強いのには、はっきりと理由があります。小学生のころから、メンタルトレーニングをしていたからです。

といっても、親に指導されたわけではありません。独学です笑

父親は厳しく、小さなころ、テレビゲームも駄目、漫画も駄目、バカ殿様みたいなお笑い番組も駄目、唯一観るのを許可されていたのは、野球中継と相撲中継くらいでした。

自分も相撲や野球をやっていたので、食い入るように見ていました。その勝者のインタビューで、必ず、気持ちで勝った、メンタルの勝負だった、心で勝ったと語っていたのです。心技体という言葉の通り、メンタル・心・気合が全てだと、勝った全ての力士も、野球のヒーローインタビューも語るので、小さいながらに、素直に、そうか、メンタルを鍛えればいいんだ!と思ったが、発端です。

コンビニも信号もないところなので、本屋さんもありません。Amazonもない時代です。野球協会に問合せ、お勧めのメンタルトレーニングの本を教えてもらいましたが、こんなニッチな本が地方の本屋に置いているわけもありません。家から40キロ以上離れた本屋さんに出版社から取り寄せてもらい、数週間後にようやく手にしました。

Amazonの書籍ページより引用

当時、この本を読み漁ります。漫画・ゲームNGでしたし、他にやることもありません。アファーメーションやビジュアライゼーションの手順も書いてあったので、野球以外にも応用してトレーニングしていました。

100mで優勝したときも、山口県陸上協会に電話して、今年の最高記録を教えてもらい、そのタイムを部屋に貼っていました。壁一面、目標の張り紙だらけの子供部屋は、(しかも、親は一切ノータッチ)ちょっと異常だったと思います笑

しかも、部屋から、こんなことを書いたボールが出てきた日には、自分が親だったらビックリです。

今日を生きろ!って、明日に希望が無いのか?、kill or be Killedって何に追い込まれているのか?12歳くらいで、こんなこと書いていたら、心配で問いただすと思います。

今でも覚えていますが、全く誰かにkillうんぬんではなく、自分に勝つ、怠惰な自分にやられるな、という意味です。今日を生きるのも、成長できるか、目標が達成できるか不安になっても意味はない、今日できることをやるだけだ!という意味です。

その甲斐あって、勝負強く、成功体験が積み重なって、勝ち負け(自分のベストを如何に更新するか)が好きな子どもとして育っていきました。

小学生~中学生のとき、友達の家に遊びにいくと、みんなゲームをしていましたが、私は、父親が厳しく、人様の家の敷居を跨ぐな、という教えもあり、そもそもゲームを持っていないので遊びに入れないですし、外で修行といって田んぼや山を駆けまわっていました。そして、そのうち、呼ばれなくなりました笑

一人で、神社の階段を、何秒で走れ得るか、ストップウォッチを持って、毎日自分のベストに挑戦する、そんな子どもでした。

ただ、自分にとっては、それが楽しくて、仕方なかったです。人の顔色をうかがってコミュニケーションを変えるより、自分のベストを更新するほうがコントロールできる、そのために、延々、黙々と、やりたいことを続けていました。

振返ると、物心つき、自分の意志を持ち始めた、このころから、毎日、規則正しく、トレーニングを行い、日々の生活をオペレーション化して過ごしていました。

子どものころの夢

スポーツ全般が得意でしたが、一番好きだったのは野球です。本気でプロ野球選手になれると思っていました。毎日、寝る前に、自分がヒーローインタビューを受けているイメージをしながら寝ていました。

小学、中学と、個人競技では、メンタルトレーニングによって優勝という結果を再現性高く出せていましたが、チームスポーツである野球では、なかなか自分一人の力では結果が出ませんでした。

個人としての野球の腕はありましたが、そもそも、人口より猿の方が多い場所で、本人の意思に関係なく野球部しかないので、強制入部。部員10名、来年は廃部が決まっている、という状況から優勝するというのは、現実的に厳しかったです。

高校球児

高校進学時、陸上選出として県では注目されていたので、強豪校からスカウトも来ましたが、何になびくことなく、萩高校に入学します。

進学高ですが、野球部は強く、先輩たちは、中学野球で県優勝メンバーが揃っていました。甲子園に行って、プロになるぞ!と意気込んで入部しました。

そして、高校一年、初打席で初ホームラン。メンタルトレーニングのお陰でイメージ通り!この調子でレギュラー、甲子園と登っていくぞ!と思った矢先、腰を痛め、入院、手術、1年以上のリハビリとなりました。

ケガで手術し夢やぶれる

リハビリを経て、腰への負担も考え、初打席初HRの右打ちをやめ、左打ちに転向。カムバックしてきた選手としてローカルテレビに取材された映像が残っていました。

ただ、さすがに、ここから日本のプロというのは厳しいだろう、けど、台湾でも韓国でもいいから野球をしたいという気持ちもありつつ、腰が完治していないこともあり、大学進学を決めました。

プロ野球選手とプロ経営者は同じ

しかし、今でも、子どものころの夢だった、プロ野球選手というのは根底では変わっていないと思います。今から、野球でプロを目指すということではなく、起業家、経営者として、プロになり、野球選手のように夢や希望を与える存在(会社)になり、大リーグにも挑戦(海外展開)していく、自分次第でいくらでも年俸(会社の業績や時価総額)を伸ばせるという青天井の世界、非常に共通点が多く、今、現在進行形で、夢を叶えていっている最中だと思っています。むしろ、プロ野球選手より、高みを目指せますし、選手生命(経営者生命)は長く、楽しめます。

大学~就職

受験勉強

大学受験の準備は、野球部を引退してからなので、高校3年生の夏休みからでした。それまで一切、勉強していなかったので、成績は下から何番目という状況です。

当時のクラス分けは、成績順に6クラスあり、当然私は6クラス。その担任に、今から国公立を目指します!と伝えたら、絶対に無理だから諦めた方がいいと言われました。

教師が生徒の可能性をつぶすようなことを言うな!と言い返した記憶があります。そこから、毎日6時に起きて、勉強、眠くなる時間帯は、図書館に移動して勉強、図書館が閉まると、夜遅くまでやっている代ゼミのサテライトキャンパスへ移動して勉強。

毎日、同じルーティングを繰り返し、鍛錬するのは、苦じゃないし、成績はやればやるだけよくなっていくので、楽しい日々でした。

そのころ、代ゼミの英語講師である西谷昇二先生が、教えてくれた言葉に衝撃を受けました。

“Only is not lonely”

一人で自分や何かに向き合う時間が多いことは、決して孤独なわけではない。幼少から一人で黙々と、延々と、打ち込むことが好きで、群れるのが苦手だった自分に、突き刺さりました。

”In dreams begin the responsibilities”

夢の中で責任がはじまる。運命より確かな自分とは?心を開いて君だけの夢の実現へ。野球の夢が途絶えた自分にとって、何かかが終わったわけではない、これからが始まりだし、まだ何も始まっていない、と強く鼓舞され勇気づけられました。

ラクロスに打ち込む

受験勉強の甲斐があり、無事、国公立である、北九州市立大学の外国語学部に合格。半年間の受験勉強だったので、英語・社会・国語に絞って準備。浪人して更に上を目指すという選択肢もありましたが、親に迷惑をかけたくない、という気持ちが強く、また北九大は自分の志望していた英語に強い大学だったので(行けるならICUに憧れていた)入学しました。

まだ夢は固まっていなく、よし!英語を確り勉強して、外交官を目指そう!と思っていたら、気づいたら、ラクロス部に入部していました笑

新入生の勧誘の際に、当時、ラクロス日本代表に選ばれた先輩がいて、君は今までスポーツが得意で表彰もされていたらしいけど、所詮、県レベル、全国に行けるレベルで、日の丸を背負ってプレーしたことはないよね?ラクロスなら皆、大学から始めるから日本代表になれる可能性が高いよ、と言われれ、挑戦してみたいと思ってしまいました。

高校時代に痛めた腰の不安もありながら、きちんとケアすれば大丈夫ということで、そこから朝5時からの練習、夜も公園で練習という日々が始まります。ラクロスはアメフト選手がスティック(棒)という武器をもって合法的に相手を叩きまくれるので、屈強な身体の選手が有利ですが、小さいころ身につけたメンタル強化も相まってか、めきめき上手くなりました。

九州リーグ新人戦MPV、九州リーグベスト10、2年連続九州代表としてユース日本代表選抜に出場するも代表メンバーには選ばれず、普通は4年生まで現役を続けますが、ラクロスで食えるわけじゃないと3年でキッパリ引退。

結果として、日の丸を背負うことはできなかったので、起業家、経営者として日本を代表するような会社、サービスを創り上げたいと今でも思っています。

就職活動

メンタルや精神面、心理面に関わる仕事がしたい、そう思っていましたが、今でこそ、精神的なことやスピリチュアルな話題も受け入れられる社会ですが、当時は、そのような話をすると、新興宗教かMLM(マルチ商法)かと思われるような時代でした。

選択肢も無い中で、ビビッときたのが、製薬会社です。製薬会社ならどこでも良いわけではなく、中枢神経領域でナンバーワンだった、GSK(グラクソスミスクライン)社、ここに行きたいと決めました。

中枢神経専門に働けるなら、脳神経や精神科での知識も増える、自分は今まで独学でメンタル面を学んできたが、医学的に学べるなら、こんな最高な仕事はないと思いました。

GSKホームページより引用

狙いが定まれば、得意のメンタルトレーニングと、そこに向かう行動は、ルーティン、オペレーション化して、黙々延々と実現するまで、やるだけ。もちろん、百発百中ではないため、失敗してもいいリスクも考えます。当時の応募は、関東、関西、九州と3回に分かれていて、九州は最後。正直に九州の大学だからと言って、九州で応募して落ちたら次はない。募集条件に関東の応募は関東の大学に限ると書いていなかったので、交通費は負担して、関東募集に応募。もし、落ちても関西でも行ける。ふたを開ければスンナリ内定をいただけました。

1年半で退社

MRとして働き始めて、思ったことは、待ち時間が多い。医局の前に立ちっぱなし。この時間は何だ?と。ほとんど何もしなくても高い給料がもらえることだけ考えれば、割のいい仕事だったのでしょうが、若い働き盛りの時期を立ち続けることに使うのは勿体なさすぎると思い、すっぱり退社。今でこそ、その代替サービスをエムスリー社が出し、創業20年ほどの会社が時価総額数兆円となっています。

23歳で独立

待遇は報酬の高かった、外資系製薬会社を辞め、どこかに就職することはせずに、アメリカにある教育プログラムの代理店として独立します。

製薬会社時代は、石川県金沢市が担当で住んでいましたが、退職を期に、福岡に引っ越しました。

自分の中では、一貫した仕事選びでした。メンタルに関連する仕事として、製薬会社を選び、今後は、モチベーションという領域の支援を行うために、SMI(Success Motivation international)という会社のプログラムを扱うことになります。

海外では、セールスレップ(営業代理店)という制度が当たり前ですが、日本だと、訪問販売という位置づけになり、かつCDと本だけで100万円以上するので、普通にヤバい仕事を始めたと思われてしまいます笑

CDと本で100万円以上するプログラム

彼女には振られ、親にも猛烈に反対されました。モノはいいのですが、とくかく売りづらい。店舗なく、訪問販売で、これを売るのは至難の業でした。

今でも思いますが、これ以上マーケティングやセールスしづらい商品・サービスは後にも先にもなかったので、何でも売れるという自信はつきました笑

そもそも、なぜ、この仕事をしようと思ったかというと、自分が大学生のころに、購入して、中身は素晴らしいと確信をもっていたからです。幼少から行ってきたメンタルトレーニングの集大成が詰まっていると。

田中亮大(21)と書いてあるように、21歳のときに契約しました。

当時のセールスマンが営業する時に書いた提案書

今見ると、この紙切れ、一枚で、よく100万円以上契約したなと思いますが、話は、本当に理にかなっていて、素晴らしいものでした。

My company

SMIのセールスマンから、あなた自身は、一つの会社として例えることができるとプレゼンをしてくれました。

あなたの名前の後に、「株式会社」と付け加える。今の年齢が、設立からの期間。個人個人が一つの「会社」であり、一人ひとり誰もが、その人の今まで培ってきた実績やスキル、価値観や考え方、才能や能力と言った商品を売って、お金を得ている。

なので、田中亮大(21)株式会社と紙に書いてあります。あなたは、設立21周年の会社の社長です、と。

それまで、起業や社長、経営者とは一ミリも関わる事のない人生でしたが、初めて、あなたは社長ですと言われ、なるほどと思いました。
 
では、あなたの会社の商品はなんでしょうか?それは、6つの才能や脳慮kうです。

①スキル(スキルは、あなたか今まで身につけた知識や経験)
②エネルギー(エネルギーの高い低いも立派な商品)
③時間(時間は誰でも平等に24時間)
④想像力(その人の唯一固有の商品)
⑤集中力(集中力の有無で他の商品力が変わってくる)
⑥決断力(社長として最も必要なことは決断力)

あなたは、すでに6つの商品、すなわち才能や能力のそれぞれの%かを有効に使っています。仮に20%を発揮することによって、あなたの会社は今の、年収を得ているとします。年収だけでなく、あなたの望んでいる人生が対価として得られています。
 
あなたは、今までの人生で、どれくらい、やりたいことを行い、欲しいものを手に入れ、行きたい場所にいき、出会いたい人と出会い、どれだけの夢を叶えてきましたか?
 
それらすべては、あなたの持つ能力の20%を発揮することによって得られた成果です。別の言い方をすれば、あなたという素晴らしい人の魅力と可能性のうち、20%程度しか世の中に伝わっていない状態で、今までの成果を達成してきたということです。
 
そもそも前提として、あなたは、まだまだ自分の伝わっていない魅力や眠っている可能性が、たくさんあると思っていますか?さらに言えば、それらは、無限にあると思えていますか?思えているなら喜ばしいが、もし思えないなら、代わりに断言します。あなたには、まだまだ伝わっていない、それどころか自分でも気づいていない魅力、そして将来への可能性が、無限にあります。あなたが無理だと思っていることは、他の誰かが、容易に成しえることばかりであり、人間の無限の可能性は歴史が証明しています。
 
その上で、、仮に、次の二つのことが可能になるような方法があれば・・・
 
つまり、第一に、あなたの才能や能力を更に強化し、20%という数字を30、40、50へと高めること、
 
そして、第二に、あなたの才能や能力という商品をより効果的に活用して、年収や資産を増やし、人生の得たいことを実現していく・・・
 
もし、そういう方法があれば、あなた、きっとそれをやりたいですよね?もし、これが、いい方法だと、本当に納得が言ったら、直ぐに契約しますよね? 

どんなことを、したいですか?
どんなところへ、いきたいですか?
家族とは、何をしたいですか?家族に、何をしてあげたいですか?
お金に余裕ができたら、何に使いますか?
どんなものが欲しいですか?
どんな体験をしたいですか?
どんな自分になりたいですか?
どんな知識や教養を身につけたいですか?
どんな時間の使い方をしたいですか?
どんな人たちと交流したいですか?
どんな健康状態や見た目になりたいですか?
社会に対して、どんな貢献をしたいですか?
人生で成し遂げたいことは何ですか?
今まで、本当はやりたかったけど、我慢していたことは何ですか?
今までしたこともない、思ってもみなかったことで、どんなことをしたいですか?

 あなたが、今、話したことで、最も大切なことは何ですか?あなたは、こうしたことを、今の人生で、本当に実現したいと思っていますか?
 

はい、、、と断る理由もなく、サインしていました。すごいプレゼンでした笑

1日100円で過ごす日々

自分は感動して購入したので、すぐに売れると確信して独立しました。ですが、23歳の若僧が、これを買えばあなたは成功します!と言っても、怪しいだけで、全然売れませんでした涙

とにかくプレゼンしなければ何も始まらない。テレアポもしましたし、街ゆく人に声もかけました。本屋でビジネス書読んでいる人に、もっと良いものがありますよ、と声をかけました。店員さんに注意され出禁になりました。

家賃も払えないので、男4名で一緒に住んだり、食べるのにも一苦労なので、八百屋さんでもらった傷んだ野菜や、パン屋さんでもらったパンの耳をかじって過ごしていました。1日100円以下で過ごすというのは、仕事場もないので、当時、某ファーストフード店で100円のチキンがあったので、それを買って一日中居座るためでした。毎日、そんな生活をしていたら、普通に蕁麻疹が出てました。今でこそ笑い話ですが、当時はなかなかハードな生活でした。

救世主mixi

本屋さんで、1,000円の本を買おうとしている人に、1,000倍の100万円の商品を提案しようにも、ニーズが違いすぎます。社会人経験1年の23歳の偉そうな話を、誰が聞いてくれるのでしょうか。

このままじゃ、バイトしないと生活できない、そしたら、フリーターじゃん。

頭を捻り、そもそも、自分から喜んで買ってくれる人は、どんな人だろう?その人は、どんなところで出会えるだろう?と考えました。

ペルソナやカスタマージャーニーといった言葉や概念は知りませんでしたが、結果的には、マーケティングの基本を自分で行っていました。

20代で、今の生活に漠然とした危機感を持ち、何かキッカケが欲しいと思っている人は、どこにいるんだろう・・・?

その人たちは、mixiにいる!!!!

mixi社提供画像

当時は、mixi全盛期でした。FacebookやTwitterやインスタ、tiktokではなく、みんなmixiしてました。図らずも、SNSマーケティングを始めることになります。

MA(マーケティングオートメーション)の原型

SNSマーケティングにとって、mixiは最強でした。実名でこそないにしろ、年齢や職業、趣味等で絞り込み検索ができたのです。さらに足跡機能もついていました。

ペルソナの絞り込みが、無料でできるわけです。すごい!

かといって、いきなりアポ打診をするのは嫌われるだけです。今の時代も、FacebookやTwitter、Linkedinで、いきなりアポ打診をしてくる営業マンが多いですが、基本的に無視です。

当時も、いきなりメッセージで会いましょう!と思っても相手にされないし、怪しまれるだけだと思っていました。何より、自分都合で、相手起点になっていない行動はとりたくありません。

そこで、mixiのコミュニティ機能を活用して、ターゲットを絞ったコミュニティを作成しました。

mixiサイトより転用

福岡に住む、20代限定、かつ、自己成長意欲が高い人に向けた文章を書いて、暇つぶしや単なる出会い目的の人には引っ掛からないようにしました。

mixiの絞り込み機能を活用して、ターゲットのリストを作成します。そのターゲットに対して、一人ひとりに合わせて内容のメッセージを送ります。といっても、テンプレがあり、それを適宜修正して送る形です。

いきなり、アポ打診ではなく、「この様なコミュニティを作成したのでお知らせです。ぜひ見てください。もし興味があればコミュニティに参加してください。」という案内です。まさに、ダイレクトマーケティング。

そのメッセージを送ると、3種類のパターンにわかれます。

①足跡を残してくれ、コミュニティに入ってくれる人
②足跡は残してくれるけど、コミュニティには入らない人
③足跡も残さないし、当然コミュニティにも入らない人

分類ごとに次の対応を決めておきます。①の入ってくれた人にはウェルカムメッセージを送り、オフ会(リアルな集まり)の案内。②の足跡だけで入ってくれなかった人には、2日後に更に作り込んだのメッセージを送る。足跡もつかなかった人には、用意した別のメッセージを3日後に送る。

アナログですがシナリオ設計を行い、業務をオペレーション化し、メンバー4名にも協力してもらい、誰でもできる仕組にし、人数がトータル1,000名を超えるまで、ひたすら送り続けました。

丸一か月、このダイレクトマーケティングを寝ても覚めても行いました。これは、まさにアナログですが、MA(マーケティングオートメーション)の仕組そのものです。

CS(カスタマーサクセス)の3タッチを実践

毎日、腱鞘炎になるまで、送り続け、一か月たったころには、コミュニティは1,000名を超えていました。

その次は、CS(カスタマーサクセス)です。売る前に、価値を感じてもらう必要があると思っていました。ザモデルは、

マーケティング

インサイドセールス

フィールドセールス

カスタマーサクセス

と売ってから、CS(カスタマーサクセス)が始まるのがセオリーですが、当時は、カスタマーサクセスやザモデルという概念すらなく、オリジナルで、とにかく相手に役立ってもらうことを主眼に動いていました。

コミュニティに入ってきた、1,000名のリストに、インサイドセールスのように、アポ打診をするのは、よくないと思ったのです。

そこで、実施したことは、結果的には、カスタマーサクセスの3タッチモデルです。

テックタッチ
(システマチックに多数に価値提供:ツールでのやりとりのみ)

ロータッチ
(少人数にカスタマイズして価値提供:勉強会など)

ハイタッチ
(個社別に深く入り込み価値提供:コンサルティング)

テックタッチとして、コミュニティ内での情報提供。

ロータッチとして、毎週勉強会を開催しました。もちろん、無料です。目標の立て方やPDCAの実施の仕方、そして毎週開催されているので、進捗の振り返りやフィードバックも行います。リードナーチャリングにもなりますし、何よりここまで無料でサポートしていると、友達を連れてきてくれて、リファラルによるリードジェネレーションにもなっていました。

そうしていると、個別に相談に乗ってもらえないか?と依頼がくるようになりました。それがハイタッチの領域です。さすがに、個別サポートは、無料ではできないので、費用が発生する、サポートの内容がよければ契約してください、納得しなければ、契約しなくていいです、と伝え、前述したMy companyの説明を行います。

完全に、思い描いたカスタマージャーニー通りに動き始めていました。


徹底したCRM(顧客管理システム)も実施

しかし、1,000名以上もコミュニティメンバーがいると、コミュニティマネジメントも大変です。そこで、行っていなのが、CRMです。

当時は、CRMなんて言葉も知りませんし、セールスフォースの存在も知りません。完全に、手書き!アナログで、顧客管理を行っていました。

情報カード(コクヨ商品)コクヨサイトから引用

名刺管理だけではなく、名刺をクリップではさみ、それよりも大きめの情報カードを買ってきて、その人の情報を書き込んでいました。名刺フォルダでは駄目なのです!

名刺には、社名と名前しか書いていません。その人、個人の情報や、夢や目標、もっと生々しくいえば、年収などの予算情報は聞かなければわかりません。

毎週の勉強家で参加して、何気なく話している内容を、全てそこでそれらを聞き、情報の充実度によって顧客をA・B・Cランクに分けていました

この時のデータ管理の根底はすべて、情報の充実度で決まります。感覚的に買ってくれそう、とか、一度話を聞いてもらったとか、仲良くなったとか、そんなものは、どうでもいいのです。

ヒアリングすべき、項目が決まっていて、それが、どの程度埋まっているか、これだけです。主観的な好き嫌いも一切入りません。

この情報を、カードフォルダで管理していました。(やっぱりアナログw)

カードファイルケース(カール事務機商品)アスクルサイト引用

まず、コミュニティからオフ会(勉強会)にきて名刺交換をしたばかりの人は、はほぼ全員、Cランクです。仮に名刺交換をしたのが8月とすると、そのCランクの名刺を、11月の仕切りに、放っておきます。そして11月になると『その後いかがですか?最近、勉強会にに来てもらっていませんが、ぜひまた気軽に来て下さい』というメッセージする。

勉強会にきて、情報を色々聞けたら、カードに書き込む。将来のやりたいことや予算(年収や貯金)、家族構成、一人暮らしかどうか、彼氏彼女の有無など、何でも書き込んでいく、一切覚えようとしない、書けばいいだけ。

そして、大事なのは、自分から売り込みはしないこと。あくまで、相手から、個別に相談したい、と言ってもらえるまで待つ。リードローテーションです。

これを、延々、黙々と繰り返す。勉強会も、2年間、毎週休まず行ったので、100回は実施しました。

要は、今で言うCRM(顧客管理)です。正直、アナログという点を除けば、今の時代に各社が行っているCRMよりも、ちゃんと設計されていて、緻密でした。

何度もいいますが、当時から、Aランク(相談したいと言ってきた人)以外と商談をしないと決めていました。なぜなら、あさって。BランクやCランクに提案しても絶対に契約にならず、相手には迷惑をかけて、こっちは心が折れます。

その結果、最初の一か月は、腱鞘炎になりながら、ダイレクトマーケティングでひたすらリードを集め、その後、カスタマーサクセスによるロータッチ(コミュニティマーケティング)でリードナーチャリング・ローテーションを行う、3ヵ月もすれば、リードや商談に困ることはなくなりました。自動で売れる仕組みができあがり、マーケティング、カスタマーサクセス、セールスがオペレーション化していきました。

結果、最初こそ苦労しましたが、その後は順調に売れ、日本一となり表彰いただきました。

表彰式、24歳のとき

社長.tvを全国5,000社以上に普及

日本一の成績を残したあと、少しゆっくりしていたときに、縁あって、福岡のベンチャー企業に入社します。のちに日本最大の経営者動画メディアとなる「社長.tv」を運営していました。

当時は、全国展開前で、福岡だけで展開していました。そこから、3年ほどで、日本中に社長.tvの名が広がり、出演社長は5,000名以上となりました。月2万円の掲載料(今でいうサブスク)をいただくというモデルでした。

営業のオペレーション化

私は、営業統括の取締役でした。代理店も100社ほどあり、本社の営業部隊も合わせれば、それなりの人数をマネジメントしなければなりませんでした。

1on1などしている時間はありません。mixiを活用して仕組で売っていたように、仕組化し、オペレーション化して広めるしかありません。

例えば、社長相手に、提案するときに、難しいのは、商談のアイスブレイクです。普通の営業部は、ヒアリングやプレゼン、反論処理のロープレはしますが、たった5分で終わるアイスブレイクを磨き上げることはありません。

ましてや、アイスブレイクに  感動トーク / メモ表紙  という独自の名前まで命名し、

さらに、商標登録までする人は、いないと思います笑【メモ表紙(登録6260615)感動トーク(登録6265332)】

単にスクリプトをつくって、これを話して、というものではありません。アイスブレイクにおける感動トークとは、メモ表紙とは、その作り方とはといった解説資料が数十ページ。

パワポの解説資料だけではなく、5分のアイスブレイクをステップに分解し
一つ一つのゴール / 具体的な手法 / 使用するツールを紹介。

第一声というステップがあったり、名刺交換のステップはもちろん、名刺交換後の席に座るまでの間のステップも統一化し仕組化しオペレーションに落とし込んでいました。

アイスブレイクだけで、この内容です。ヒアリング、プレゼン、質疑応答、クロージング、反論処理、紹介依頼、御礼メール、後日連絡、納品、
契約後フォロー・・・

その前のフェーズである、アポ設定の電話、DMの送り方、データ入力方法、などなど、全てを可視化し仕組化しオペレーションにしていました。

マニュアルのページ数は数えたことはありませんが、優に1,000枚は超えていると思います。

多くの経営者との出会い

私の親や家族ににも経営者はいませんし、コンビニも信号もない、人口より猿の方が多い超田舎で育ったとお伝えしました。大学にも起業サークルなんてなかったですし、起業のキの字も選択肢ありませんでした。

23歳で独立はしていますが、起業した!という感覚はなく、単に、メンタル領域で選んだ職業が代理店だっただけです。本当に経営者となる要素が何もなかった自分が、今は、こうやって自分の全てをさらけ出してでも、事業を育てたい、顧客へ貢献し、社会にインパクトがあるような会社をつくっていきたい、と思い、色んな方から10億円程度のお金投じていただく会社の社長をしています。

これは、社長.tv時代に出会った経営者の方々の影響でしかありません。彼らを、心から尊敬しているし、人生を変えてくれたと感謝しています。結婚式に何名もきてくださいました。今でもお付き合いさせていただいている社長もたくさんいます。当社クロスオペレーショングループに出資して株主になってくださっている方も多数います。

人が変わる方法は三つしかない。
時間配分を変える。
住む場所を変える。
付き合う人を変える。
もっとも無意味なのは決意を新たにすることだ。

大前研一氏(元マッキンゼー / BBT大学学長)

まさに、付き合う人が変わり、その後の起業家人生への岐路となりました。

ベルフェイス設立

社長.tvは、福岡から全国展開し、数年で5,000以上と一気に広がっていったため、従来の営業活動では到底実現しえませんでした。1社1社訪問していたら、絶対に5,000社以上という数値は達成しません。

今でこそ、オンラインでの商談は当然となっていますが、10年以上前は、訪問して顔を見せないなんて失礼な会社だと思われていました。

電話か、訪問か、この二択しかなったときに、自分たちで、オンライン商談システムを開発し、全国5,000社以上の社長に、全てリモートで対応していました。

それが、のちにインサイドセールスという新しい営業形態を広め一世風靡することなる、ベルフェイスとなります。

私は、創業副社長、販売会社の社長を務めますが、シリーズAの資金調達を起こった直後に退任します。

よく、なんで伸び盛りのときに、辞めたのか?と聞かれます。理由は自分でやりたい事業モデルがあったからです。

SaaS×オペレーションの事業モデル

今でこそ、SaaSを開発する会社が、プロフェッショナルサービス(属人的なコンサルティングやBPO)をセットで提供する会社が増えていますが、当時はありせんでした。出資するVC(ファンド)も、Jカーブ(大幅な赤字)となってもいいから、プロダクトに集中することを求めていました。

私は、SaaSだけ、プロダクトだけの提供では、顧客は満足な成果をあげられないと思っており、ベルフェイス時代から、別会社を創り(ベルフェイス・パートナーズ)そこで、ベルフェイスを活用したコンサルティングやBPO(営業代行)を行っていました。

SaaS×人的サービス=オペレーションのモデルです。ただ、それだと労働集約ですから、人的なコストを抱えることとなり、企業価値が下がるというのが、当時の評価でした。その事業モデルを続けるか、会社を離れて独自に始めるかの2択となり、後者を選択しました。

スピンアウト

ベルフェイス時代に既に行っていたコンサルBPOモデルをスピンアウトする形で設立したのが、タクセル(現クロス・オペレーショングループ)です。

インサイドセールスBPO(コールセンター事業)を行っていましたが、一般的なセンターと異なり、在宅コールセンター事業として働き方改革に着手しました。その結果、特別なITスキルの無い人たちでも在宅、リモートといった働き方ができ、世の中に在宅インサイドセールス職という新しい職種を生み出すことになります。

その事業内容を指し示すために、タクセルという社名を付けました。

クライアントは、タクセルに、インサイドセールスを託せる
求職者/働き手は、宅でもセールス職に就ける
その結果クライアント企業は山売れる(セール

タクセルの由来

在宅の主婦の方々に新しい仕事を生み出したいとクラウドファンディングも行いました。

yahooニュースにも、当時は、全員リモート組織が珍しいとして掲載されています。

MA事業スタート

タクセルを設立したときは、他人資本を一切いれていません。各社のインサイドセールスのコンサルティングや、ベルフェイスの代理店も行っていましたのでツールを活用したBPO(アウトソーシング)を行っていました。

インサイドセールスで成果を出すためには、MA(マーケティングオートメーション)を活用したほうが効果的なので、各社のMAツールの活用をお願いしていましたが、社内に使いこなせる人がいないということで、運用代行も始めることとなります。

MA(マーケティングオートメーション)の壁

MAツールを入れていないクライアントには、導入してください、とお願いしていましたが、高額なので入れられないと。

MAツール導入と運用には4つの壁があると体感しました。

【シナリオ設定の壁】
MA(マーケティングオートメーション)というように、自動化(オートメーション)することはできるが、そのための設計が必要だが、国内には経験者がいなくて導入しても宝の持ち腐れになる。

【コンテンツ作成の壁】
MAツールに必須となるコンテンツ(メルマガや小冊子やLP(ランディングページ)や動画など)の作成も手間がかかるし、外注すると高い。

【ツールの壁】
しかも、ツールそのものの費用も高いし(初期に数十~100万円以上)月額費用も数十万円はかかる。

【システム設定の壁】
システムの設定も海外製であれば英語メインだし、日本製でもエンジニアレベルでないと使えない。

これらの課題を、私たちなら解決できると思い、自社でMAツールを開発することを決めます。

さらに、それまでインサイドセールス事業を行っていましたが、人によって成果にバラつきがありました。同じスクリプトでも人によって変わりますし、どうしても人のリソース(時間やスキル)を貸し出す事業は、品質保証は難しいと思い始めていました。

一方で、MAツールであれば、ツールが動いてくれるため、クライアントに提供する品質・価値提供の均一性が保てます。

その観点もあり、2018年4月にMAツール「KAIGAN」(後のマーケロボ / アイセールス)をリリースします。

資金調達①

それまでは、他人資本を入れずに事業をしていましたが、自社プロダクトの開発となると投資金が必要となり、外部資本を調達するように動きました。

有難いことに、2018年4月にプロダクトリリースを行い、翌月には上場企業4社等から資金調達を行うことができました。

すごいベンチャー100

リリース3ヵ月後には、次なる日本のユニコーン候補として、すごいベンチャー100に選出していただきました。

東洋経済新報社

社員数名の会社です。自分たちが一番驚いていました。

さらに、マーケターやベストセラー作家として著名な神田昌典氏からクロスセクターリーダーとして表彰していただきました。

クロスセクターサミットの様子

社名変更と資金調達②

タクセルからMarketing-Robotics株式会社として生まれ変わり、サービス名も「マーケロボ」に変わりました。

さらに、5.4億円の資金調達も実施することになります。前回の調達からわずか、7か月後、この時もまだ社員は10名いないくらいです。


ICCスタートアップカタパルト入賞

調達直後には、日本最大級のITスタートアップカンファレンスのICCのピッチ大会に出場し、表彰されます。

ピッチの文字お越し

ピッチの動画


資金調達資料がバズり1.6万人以上に拡散

プロダクトリリースから、自分の実力以上に、とんとん拍子で進み、これは全て、周りの方の支えがあってこそだと思い、次に繋がる起業家の訳に立てばと思い、資金調達した資料を公開しました。

5.4億円の資金調達を成功させた事業計画資料 /...

Posted by 田中亮大 on Saturday, February 16, 2019

その投稿は、あっという間に数千シェアされ、今では16,000名以上の方に広がるまでになりました。

今でも毎日増え続けていますし、他の会社の資金調達資料も見れるので、ぜひのぞいてみてください。

この資金調達資料がバズったことで、知名度も一気に広がります。

アンバサダーに要潤さんを起用したり、乗りに乗っていました。

日経産業フォーラムの講師をしたり

そうそうたる方々と並び合理化協会の全国経営者セミナーの講師をしたり

実際に業績も伸びて、2倍3倍と事業成長していました。組織も一気に急拡大します。

鈍化した成長

一定の知名度もでてきて、多少のキャッシュもある状態で、大きな経営判断を行います。この判断が後に振り替えると、成長を鈍化させた最大の原因でした。

SaaSに全振り

この時に思い切って舵取りしたのは、SaaS事業に振り切るという判断です。

その結果、大反響で、東京都のリリースの次にアクセスを集めました。ただ、よかったのは初動だけでした。

契約数も5倍になりましたが、それまで、SaaSとコンサルティングをセットで販売していたため、

SaaS×コンサルティングBPOモデル

SaaSのツールだけになれば、契約数が5倍でも全体の売上自体は下がります。それは、承知の上で、目先でJカーブを掘ってでも、LTV(顧客生涯価値)が高くなれば問題なしという考えで、ここが勝負どころだとアクセル全開で踏み込みました。

追加の資金調達も、今までの調達活動においてはスンナリ実現していたので、トラクション(実績)を示せれば、問題なくできるだろうと読み、現預金を全投下しました。

矛盾だらけの意思決定

・・・あれ??・・・かなり、おかしなことを言っていますよね?、自分。今振り返ると、自分が変なことを言っているのに気づぎ違和感がありますが、当時は自分のことが見えていませんでした。

何がおかしいかと言うと、そもそも、ベルフェイスを辞めた理由が、SaaS事業だけでは、この国のデジタルにおける課題解決はできない、テクノロジーだけではなく、コンサルティングやBPOといったプロフェッショナルサービスが必須だと信じ、当時、VCからは全く相手にもされず、誰もやっていなかったハイブリッド型モデルを行っていたにも関わらず、、、

自らの意思決定で、コンサルBPO部分を切り離し、SaaSに全振りしたわけです。

資金調達できずに一時瀕死に

SaaS事業に振り切った結果、契約数は伸びましたが、LTVは下がります。更新率が著しく下がったのです。SaaS×コンサルティングBPOのうち、後者のサポートが強みの会社だったのに、自ら提供を辞めれば、必然的に数値はさがります。

こんな当たり前のことも、当時は気づかずに、全力で間違った方向へ走っていました。

追加調達ができると踏んで資金投下していましたが、追加調達できず、身動きが取れなくなります。

ここ数年の社会全体の閉塞感、SaaS銘柄の低迷も重なり調達環境が非常に厳しくなりました。私自身の読みの甘さにより、圧倒的なトラクション(業績)の伸びを示せなかったことが要因です。

キャッシュがないので、システムの追加投資もできません、人も増やせません、広告も打てません、完全なる八方塞がりの2021年でした。

黒字化を達成

当社は外部株主もいて、生き残るだけでは許されません。逆境でも(自ら招いたわけですが)成長が必須です。

お金が無くなれば、会社はつぶれます。どれだけ赤字でもお金があれば、つぶれませんが、当時の当社は、投資による赤字、お金も尽きそう、、、

資金調達ができないなら、やることは、一つだけ。売上をアップさせ、利益を残すしかありませんでした。

そこから、8ヵ月で顧客単価を5倍にし、ストック収益による黒字化を達成することができました。どうやって単価をあげて利益を出すようにしたのか、詳細は、こちらに書きました。

強みの再認識

それまで、私は、広めること売ることが得意だと思っていました。売りづらい100万円以上するプログラムを日本一販売しましたし、動画PRが常識ではなかった時代に全国5,000社以上に広めました。営業とは訪問が当たり前だった時代にインサイドセールスという新しい手法を広めました。

自分は、マーケティング、セールスのキャリアなんだと。

自分でも売れた
▶組織でも売れるようにした
▶他社でも売れるように支援した
▶だから、売るノウハウを提供することがキャリアの進化系だ

認識していた強み

結果、売るノウハウを提供している会社が、思うように成長しなかったわけですから笑えないに笑うしかありません。

しかし、ピンチがチャンスとよく言ったものです。八方ふさがりとなった時、唯一、改革できるのは、オペレーションしかなく、その結果、単価はあがり、利益がでるようになりました。

自分自身が、オペレーションを当たり前に構築していたので、改めてその価値を認識していなかったのです。

この記事でもそうですが、幼少期から、延々と黙々と、鍛錬、洗練していくことが得意でした。それが、ビジネスキャリアにおいても、

自分でも売れた
▶自分以外の誰でも売れるように尋常なく仕組化した
▶自社組織以外でも売れるように新しい概念を仕組化して提供していた
(新しい概念=インサイドセールス)
▶培ってきたキャリアは、仕組構築=オペレーション領域だった

ズレていた自社の強みの認識

このように、全て、オペレーションに重きを置いていたからこそ、成果をあげることができていたのでした。

ピンチはチャンスに

今回のピンチがチャンスに変わったのは、もともと、オペレーション領域でキャリアを積んでいたからこそでした。

ジョブズさん、あなたはすごい!点と点が線につながった瞬間でした。このスピーチは必見ですので、まだの人はぜひ。見たことある人も、再度見ると発見あるので、ぜひ。


オペレーションを磨くことで、人の能力が高まる

オペレーションとは、誰にでもできる簡単な作業と思われがちで、ロボットでもできるものを指すと思われがちですが、それ自体を付加価値として単価アップを狙うのであれば、”人” が行うほうが、相手も "人" である限り価値が高いです。

オペレーションとは、守破離の、守の部分は誰でもできるように仕組化することで、その土台があるからこそ、その人ならではの魅力が追加されます。

土台となる統一化、可視化、言語化、仕組化されていないと、逆に、人の可能性を狭めてさえしまうと思っています。

オペレーションを見直すことで、売上・単価アップも実現しますが、何より働く人の成長を促し、やりがいも手に入れることができます。

オペレーションの価値を最大化させようとする会社が増えたらいいな、と心から願っています。

第二創業

資金調達はできませんでしたが、黒字化も達成し、これから、どうしようかと思っていた矢先のことです。縁あってSaaS事業の売却を行うことにしました。

よく言ってる、第二創業期、ではなく、本当に、第二創業期です。

上場企業へM&A

SaaS事業(MAツールの開発運営)の売上よりも、オペレーション領域での売上比率が高くなってきて、今後、オペレーション領域に集中した方が良いという判断をし、SaaS事業の売却に動き出します。

東証開示前日に別会社から、ちょっと待った!が。

SaaS事業単体でも黒字化していたり、長い顧客では事業開始からずっと(4年目の継続利用)使ってくださるクライアントもいたりと、一定レベルで完成された事業となっていました。

そのため、ステルスで何名かにお声がけしたり、ご紹介いただいたいした中から、複数社から意向表明をいただけました。各社似たり寄ったりの条件だったので、その中から一番相乗がありそうで泊がつきそうな企業と最終条件のすり合わせを行っていました。

そして、その企業と、明日(正確には週末挟んで翌営業日)には東証開示および契約書捺印という状況に至っていたところ・・・

既存株主で今まで事業の成長を見守ってくださっていた上場企業から、それだったら自分たちも立候補したいと申し出があり、即座に条件を提示していただきました。

最初は、既に進んでいる企業があるとお断りしたのですが、先方社長が夜遅くにお電話をいただいたり、週末にも関わらず各役員の方に合意を取っていただいたり迅速に動いてくださいました。付き合いたてのカップルかと思うくらい朝昼晩ずっとFacebookのメッセンジャーのやりとりをして、条件面でも一番配慮してくださり、契約捺印前まで進んでいた企業には大変心苦しかったですが、白紙に戻していただきました。

なんと、最終的にM&Aにて売却させていただいたエアトリ社(東証6191)から条件提示いただいてから5日で、契約締結という稀に見るスピードディールとなりました。

その裏側をyoutubeチャンネルM&Aバンクに出演してまとまっていますので、ご覧ください。

前編

後編


社名変更と資金調達

2022年9月15日にM&Aのリリースをして、翌月10月4日には、社名変更と約1億円の第三者割当増資を実行することになります。

事業の成長を鈍化させてしまった約1年半の葛藤が嘘かのように、恐ろしいくらい一気に物事が進みました。

こういった体験は、今までも何度かありますが、若いころは自分の実力だと勘違いして調子に乗っていました。今ならわかりますが、自分以外の力が働いている、人事を尽くして天命を待ち、天命が動き出した感覚です。

自分がやるべきことを全身全霊で取組み深めていくこと、これが道を拓く鍵だと学びました。

社名に込めた想い

既存ビジネスとテクノロジーの融合を、xTech(クロス・テック)と表されますが、そのテクノロジーを使いこなすためにはオペレーション構築が必須となります。今後はテクノロジーとオペレーションの融合が求められ、xTechだけではなく、xOperation(クロス・オペレーション)という視点が重要視されると考えています。

オペレーション領域の先駆者として時代を牽引する覚悟を込めて、株式会社クロス・オペレーショングループ(xOperation Group, Inc.)としました。

また、今まで社名を数回変えていまして、その変遷を知っている方からすると、社名変えすぎじゃない?と突っ込みを受けることがあります。この4年で4つめの社名です。

グゥの音も出ないです汗・・・ただ、今まではサービス名(マーケロボやアイセールス)を社名にしていたのですが、今回は目指す世界観を社名に入れました。商品名の変遷とともに今まで社名変更していましたので頻繁に変えている形になりましたが、今回のクロス・オペレーショングループ(xOperation Group)は、どっしり根を張って進んでいきます。

徳川家康は5回名前変えているし、出世魚のブリは6段階で名前が変わるし、4回なら、まだあと1~2回いけるか、という謎ロジックもありますが、この事業への想い入れは相当強いので、今後変えるつもりも予定も今のところありません。

ミッション

このミッション・ビジョンの根底には、2つの考えがあります。

一つ目は、オペレーションこそ企業成長の最重要事項だということ。ビジネスの意思決定は、アイデアやイノベーションなど、今ここに無いものが重要視され、日々刻々と行われているオペレーションの価値は軽視されがちです。オペレーションと聞くと、その目的は「コスト削減」程度の認識に留まります。

しかし、自社も競合他社も見落としがちな「オペレーション」は、企業成長の伸びしろ、差別化要因がころがっている宝の山なのです。オペレーションこそ、企業成長の重要事項です。徹底して洗練させることで付加価値とする「オペレーショナル・エクセレンス」という概念は、まだ日本で浸透していません。

だからこそ、私たちは、「オペレーションの価値を最大化させる」ために、最初の段階として、「オペレーションの価値を認識してもらう」ことに日々向き合っています。

二つ目の根底の考えは、オペレーションを磨くことは人の魅力や可能性を引き出すこと、そのものである、ということ。オペレーションを磨き、業務を仕組化、可視化、属人的要素を排除すること、守破離でいえば、守の部分です。この土台があるからこそ、破離として、その人ならではの魅力が追加されます。

そして、オペレーションが磨かれれば、日々の業務で迷いが無くなり、ゲーム感覚で働けることで仕事が楽しくなります。成果が上がることで評価も上がり、働きがいが得られます。オペレーションを徹底的に磨き、競争優位性を構築する「オペレーショナル・エクセレンス」を実現する会社は、企業成長も、働きがいも手に入れます。

この二つの根底となる考えがあるからこそ、「オペレーションの価値を最大化させる」ことをミッションとし、ビジョンは「オペレーショナル・エクセレンスの実現により、働きがいも企業成長も」を掲げています。

オペレーション・マネジメント、オペレーショナル・エクセレンスの価値を高め、その先駆者となっていけるようにオペレーションを追求していきます。

最後に

最後まで読んでいただいた方、本当にありがとうございました。次お会いした時には、感謝の気持ちを伝えさせてください。

「人間は考える葦である」等多数の名言を残したフランスの数学者でパスカルという人がいます。

彼は、友人に書いた手紙に「短い手紙を書く時間がなかったので、代わりに長い手紙を書きました。」と記したことがあります。

ベストは、ダラダラと長い文章ではなく、シンプルに端的な文章で相手に意図や中身を伝えることだという例えですが、今回、パスカルの名言をガン無視した形で、長い自己紹介となりました。

経営者や経営企画、事業企画、営業企画の方々。もし、業務プロセスやオペレーションを構築したい、仕組で事業や組織を回したい、属人的から脱却したい、という課題が生じた際には、ぜひクロス・オペレーショングループのことを思い出していただけたら幸いです。

求職者の方へ。たしかに、入社するかもしれない会社の社長のことは気になるけど、ここまで長い自己紹介を用意されたのは初めてだ。たしかに、読むように強要されたわけではないが、あったら読むしかないですよ、、、というお気持ち、仰る通りです。時間をとっていただき、ありがとうございました。せっかく、ここまで読んでくださったので、何かの縁です。少しでも、当社の事業や、オペレーションの可能性を感じていただけたなら、ぜひ、カジュアル面談からでいいのでお話しましょう。

Wantedlyからお気軽にメッセージください。

読んでくださった皆様の益々のご発展をお祈りしています。そして、当社のことも、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

株式会社クロス・オペレーショングループ(xOperation Group, Inc.)
代表取締役 田中 亮大


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