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シルクロードにたどる戦後の日中関係『「敦煌」と日本人』榎本泰子

「敦煌」と聞いてすぐに何かのイメージが思い浮かぶ人は、日中関係の幸せな時代を知る人だ。砂漠の中の大画廊、石窟に描かれた仏教美術の数々、そして偶然発見された大量の古文書をめぐる謎。それらに胸をかきたてられる人と、そうでない人の間には、中国そのものに対する感情に大きな差がある(「はじめに」より)

私が若かった頃、海外の一人旅が流行っていました。学生時代にリュックを背負って海外を貧乏旅行することは、私の周囲では珍しくなく、一人旅ができない人たちでも2人とか3人でツアー旅行に参加していた気がします。でも、今の若い人は海外旅行にあまり興味がないし、とくに中国にいい印象がありません。現在の日本人のパスポート取得率は2割ちょっとだそうです。

この本は、1980年代になぜ日本であんなにシルクロードブームが生まれたのかを、戦前の大谷探検隊など敦煌学の系譜から、さかのぼってたどるものです。戦後は、国交がない時代の「民間」の文化交流や井上靖の『天平の甍』や『敦煌』執筆をめぐる時代背景、そして、東京オリンピックを経た日本が、中国と国交正常化を果たし、日本人のシルクロードへの独特のあこがれが、手の届くものになっていく過程を丹念にあとづけています。

日本と中国の映画界を結びつけた徳間康快(徳間書店)、中国で大ブームを引き起こした高倉健の映画『君よ憤怒の河を渉れ』、日中合作映画『未完の対局』、日本が敦煌ロケを実現させた映画『敦煌』の話、何より日本のシルクロードブームの立役者ともいえる画家の平山郁夫の活躍などなど。知っていること、知らなかったことも含め、興味深いエピソードばかりです。

日本と中国が友好的だった時代の背景には、戦時中の中国に出征した体験を持つ人や、親世代が満州育ちの文化人などが少なくなく、日中戦争への贖罪意識から、身銭を切って中国の文化復興に協力した人たちがいたことがうかがえます。なにより、日本文化の起源としての中国大陸へに、多くの人が興味を持っていた時代でした。

1980年代は、苦労はあっても、人と人同士の交流ができた日本と中国。中国は文化大革命が終わったばかりで、経済が発展しておらずレトロなまま。なので日本人は、高度経済成長で失った「懐かしいアジア」を当時の中国社会に重ねた人が多かったようです。NHKの番組「シルクロード」は、ブームの立役者になりました。でもそれは、多分に期待が先行したものだったようです。

1989年の天安門事件を経て、中国への印象は再び変化していき、台湾や韓国など他のアジア諸国の経済発展で、中国は日本人にとって「特別な国」ではなくなります。そして、21世紀に入ると経済的に大きく発展した中国は外交面でも、従来以上に日本と摩擦を起こすようになり、日本人は中国に対していいイメージを持たなくなりました。

今の若い人にとって、中国は「日本文化の源流」という意識は薄いです。インターネットで手軽に情報が手に入る現在では、年配の日本人がかつて持ったような「幻想」もない。中国はシルクロードで核実験を行ってきた国で、新疆ウイグル自治区では少数民族への抑圧的な政策が行われる問題のある国。今の若者は、かつての大人たちが見逃していた中国の負の側面を冷静に見ることができます。

本書を読んでいると、結局シルクロードブームっていうのは、戦前の汎アジア主義の残り香ではなかったのか……という気がしてきますが、どうなんでしょう?


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