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スポーツだけしていられる世の中になれたらいい。『国家とスポーツ 岡部平太と満州の夢』高嶋航


『スポーツから見る東アジア史』が、予想に反してめちゃくちゃ政治だった高嶋先生の前作。こちらは戦前の話がメインで、岡部平太という人物が中心なので、わかりやすくて面白かったです。

主人公の岡部は柔道の達人。他にも、アメフトの紹介者とか、戦前の日本でいろんなスポーツのコーチをした人だそうです。現代と違って、戦前のスポーツはアマチュアリズムがそれなりに尊重されていて、一人の人がいくつかの種目を掛け持ちしたようです。

競技好きでスポーツが大好きだった岡部は、明治の終わりに福岡師範学校でスポーツに没頭します。卒業後は、東京高等師範学校の体育専科に入学。柔道、テニス、相撲、野球など全てで活躍した岡部は、その後、アメリカへスポーツ修行に出かけ、シカゴでアメフトや野球、フットボール、ボクシングなどを学びます。留学というよりは、道場破り的なのがおもしろいです。

1920年に日本に戻った岡部は、母校で講師をしながら柔道や陸上のコーチをしていたものの、トラブルに巻き込まれ、その後、水戸高等学校の講師に赴任。ただし、ここでもうまくゆかず、岡部は満鉄に入社して中国大陸でスポーツの普及に取り組むことになります。狭い日本は、岡部の肌にあわなかったのかもしれません。

岡部は「満州」で、日本人と中国人を相手に、野球や水泳、柔道、剣道、陸上、バスケなどコーチします。また、初めてスケートを経験したりもしました。「満州」のチームを率いた岡部は、日本や「朝鮮」での対外時代を熱心に進めました。そして、ヨーロッパや北欧などをまわって、スポーツの状況を視察して歩きました。岡部には、スポーツの指導者が天職だったようです。

ただし、「満州事変」が勃発すると、岡部は複雑な状況に追い込まれます。「満州」の友人が監禁されたのを助けるために奔走した岡部は、友人が海外へ脱出する手助けをしました。ところが、その知人は日本を経由して、中国へ戻り、抗日活動に加わってしまったのです。岡部も日本を裏切ったと疑われ、満鉄にいられなくなってしまいました。

その後、岡部は中国北部で、スポーツによる文化工作を担当することになります。岡部は、スポーツしか頭にないような人物ですが、戦争の時代がそれを許してくれません。「満州国」の承認問題は、極東大会や東京オリンピックに「満州」代表を招待するかどうかにも関わって、それは政治の難しい問題とだったからです。

日中戦争が勃発した後も、岡部は中国でスポーツ推進の文化工作を担当します。しかし、いくら岡部が奮闘しても、当たり前ですが戦争はどうにもなりません。岡部は、大事な息子を特攻隊で失い、失意のうちに日本に帰国しました。まもなく、日本で敗戦を迎えたそうです。



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