人間は自動ロボットか?
1.人間に自由意志はない
脳にはニュートラルネットワークと呼ばれる、人間の意志とは無関係の自立した機能がある。
これを脳科学者は脳の小人たちと呼んでいる。
この小人たちは人間が体験したことを勝手に記憶し整理して、思考を沸かせたり、体を動かすために筋肉に電気信号を送り人間を動かしている。
たくさんの記憶から小人たちの多数決で思考や行動が選ばれ、人間に考え事をさせたり筋肉を動かし行動させたりしている。
小人たちが指令を出す→0.35秒後に人間が「やろう」と意志する。→0.25秒後に体が動く。(ベンジャミン・リベットの実験)
つまり人間は自分の意志でやっていると思っているが実は脳の小人たちが指令してるのだ。
それを人間はさも自分で判断して行動していると錯覚している。
自分の脳から湧いてくる思考や感情も過去のいままでの体験から、ほとんど条件反射的に出てくる。
例えば、自分が馬鹿にされたという状況では怒りが出たり、有名大学教授が書いた本というだけで信用したり、買った物が有名メーカーの製品ということですぐ信頼するといったこと。
それを自分で考えていると錯覚しているのだ。
ということは、自分で考えたり行動していると信じていることは、すべて過去の記憶から小人たちが判断してやらせているので、
人間は自動ロボットでしかない?
2.同じことの繰り返し人生
これを長い人生に当てはめてみると、
人生とは過去の記憶の再生でしかないとも言える。
なんどもなんども同じことを繰り返す人生。
それをカルマ、業といったりする。
自分がすべて思い通りに自由にやっていると錯覚させられているので、そのことに気づけない。
自由どころか、不自由な繰り返しの人生になっていることも珍しいことではない。
やがて訪れる、死。
死んでから霊になって、あの世で今生の映像を見せられ反省して、
次なる人生のストーリーを創るというのが輪廻転生という、いままでのパターン。
前世での後悔を内に秘め、フレッシュな気持ちで新たな人生を始めるも、幾度も現実の厳しい忍土の泥を飲まされ、
いつしか初心を忘れ、また同じわだちをなぞるように、同じことを繰り返してしまうことも珍しくはない。
わずかな気づきと進歩で良しとする今までのパターンから抜け出すことはできないのか?
今まで一部の覚者だけが成しえた、この根深いカルマからの脱出はできないのか?
3.自動ロボットからの解放
しかしこの自動ロボットを操る脳の小人たちにも欠点があった。
記憶は過去であり、その記憶から未来の不安も煽ることもできるが、人間がまさに存在している過去でも未来でもない今この瞬間には手出しできないのである。
人間が今ここに気づいている時には小人たちの出る幕がない。
小人たちが人間を操る最も有効は手段が思考感情だ。
人間が自分で考えていると錯覚させ、その実、過去の記憶から勝手に思考を繰り出しては、葛藤や焦りといった苦しみを与えているのである。
この自動的条件反射的に出てくる思考が出なくなると、頭の中がシーンと静まり返る。
この思考が出てこない頭の中の爽快感を一度味わうと止められない。
試しに心を静めて、何もせず、ただじっとして目を瞑り、どんな考えが頭から出てくるか、
壁の穴から出てくるネズミを見張るように、自分の頭から出てくる思考に注意を向けてみるといい。
しばらくはシーンと頭が静かになるはずだ。
やがてまた思考、考え事が出てきて、一度出ると次から次へと連鎖するように頭の中が騒がしくなる。
認知心理学では、自分の思考、つまり今、自分が考えていることを認識できる人ほど犯罪などを起こす確率が低いと言われている。
自分の思考に気づくという能力は頭の良し悪しには関係ないという。
現在、思考観察という自分の頭の中の思考に気づける能力を持った人が増えているという。
思考はそれと気づかれると出てこなくなる。
気づいた時が今この瞬間。
今この瞬間にいつでもいられば、頭の中が静かになり爽快な気分になるだけでなく、思考の雑音の妨害がないのでインスピレーションが下りて、
その人の本来の今生での使命が明らかになり、願望達成も格段に促進される。
自動ロボットである事実を受け入れつつも、脳の小人たちの影響を受けない、今この瞬間に常にいることができれば、
自らの本来の使命達成、願望達成を早めることができる。
記憶に左右されない今この瞬間に生きる、この悟りの境地こそ
カルマから真に解放されたことを意味するのだ。
参考文献
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