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2020年代、音楽ビジネスと視聴体験はどう変わっていくか? ディストリビューションとコンテンツの風を読む

メディアと文化と'20s


2010年代後半は、あらゆる文化にとってディストリビューターの時代だった。

コンテンツが受け手に伝わるまでのサプライチェーンで、ディストリビューションについて考えることは必須だ。

ディストリビューションを日本語に訳すと、流通。音楽ならば、レコードやカセットテープ、CDなどのフィジカルなメディアを通じて受け手に流通されていたコンテンツが、今やApple MusicやSpotify、YouTubeなどのデジタルメディアへと移行したのが、ここ数年の大きな動きだったといえる。

テクノロジーの変化に沿って姿をかえてきた流通の形が、今後また変わっていくのかもしれない。

そんな予感と一緒に、私はこの2022年を生きている。

ディストリビューションとコンテンツ


ラッパーのyeことカニエ・ウエストが、自身のオリジナル楽曲再生筐体「Stem Playerを発表し、そのプレーヤーでのみ聴くことができる『Donda2』をリリースしたとき、事実、私は強烈な違和感を覚えた。

月額課金をすれば、一部を除いたあらゆる音楽にアクセスできる環境に、異様なほど浸かっているからだ。私は日本上陸以来、Spotifyをこよなく愛しているし、YouTubeもプレミアム課金をして、広告を免れながら生きている。

映像ならNetflixとAmazon Prime Videoへは当然のように毎月お賽銭を払って好きな作品の配信を祈るし、最近ではDisney+にも加入した。家族の恩恵を受けて、WOWOWのデジタルプラットフォームにもアクセスしている。

ストリーミングに特化したプラットフォームビジネスは、デジタル社会におけるコンテンツを集約した、文化の中枢機能であるといっても過言ではない。これらの浸透までにやや時間がかかった日本ですら、今や当たり前のようにネトフリやSpotify、YouTubeでのコンテンツの話題が尽きない。

私もSpotifyでお気に入りのポッドキャストが面白いテーマを扱っていたら、SNSでシェアしたり、親友にオススメしたりする。YouTubeチャンネルの情報交換もする。

それくらい当たり前に、透明なようで確実に、コンテンツにとってディストリビューターの存在が、大前提として語られている。

フィジカル(手元)とデジタル

コンテンツとディストリビューションを分けて考えるようになったのは、2018年ごろに、文筆家の佐久間裕美子さんと黒鳥社の若林恵さんのトークイベントを聞いて以来のことだ。

ふたりは編集と記事の関係について、メディアとそこに乗せるコンテンツの関係性を分けて考えることが重要だ、と話していた。それから私は、音楽とストリーミングサービス、映画と映画館、ラジオとスマホアプリ、など、流通方法に照らし合わせながら、あらゆるコンテンツと付き合い続けてきた。

Spotifyでそれまで聴けていたのに、ふと再生不可能になった音楽を見つけると、少し狼狽した。何年前か忘れたけれど、一時期、My Bloody Valentineの曲が配信から落ちてしまい、ちょっとだけ気が狂いそうになったことがある。その時、「本当に一生聴き続けたいものがあるなら、それは手元に置いておかないとダメだ」という、実質的な危機感を覚えたのも事実だ。

そんな時、いつもBRUTUSの編集長を務めていた西田善太さんが、2017年ごろに代官山蔦屋のトークイベントで話していたことを思い出す。

それは、「この先の将来、電気やインターネットなどが使用できなくなって、自宅をシェルターとして使うような世界が訪れた時にも、いつでも手元にあって欲しい本などは絶対にフィジカルで買う(記憶上の意訳)」というものだった。この言葉は自分にとって鮮烈だった。

コロナ禍において、この国はなんだかんだ電力も通信も安定しているから、デジタルプラットフォームが大活躍していたけれど、外資サービスに拠ったコンテンツ消費が、いつまで続くかなんて本当に分からない。

そんなぼんやりとした不安とともに、私もいつしか「本当に何度でも読みたい」本は紙で買い、「本当に何度でも観たい」映画はディスクで自宅に保存するようになった。私は、ミニマリストには一生なれないなあ、と思う。

デジタルでもDIYカルチャーが復権する?

話題をカニエに戻すと、これからのテクノロジーの発達は、デジタルプラットフォームによる中央集権的なビジネス構造からの脱出を可能にするのではないか?という仮説を、私はもっている。

NFTやSaaSなどの発展と浸透によって、かつてパンクバンドがZineを作ったように、デジタルの世界でもクリエーターによるDIY流通が可能になるのかもしれない。それを可能とする資金さえあれば、自分にとってピュアで誠実なギャランティを支払ってくれるコアファンだけに向けたコンテンツ流通が可能になる。

プラットフォームへのロイヤリティに臆することなく、自分の手で自分のコンテンツを受け手まで回せるようになる。多少、チャレンジングなこともできる。自分にお金を払いたいユーザーが集まってくるから、広告や広告主に依存しなくてもいい。

コンテンツ発信者たちにとって、それはエキサイティングでピースな試みになるのかもしれない。

ただ、これらはデジタルDIYに対して限りなく楽観的に、ユートピアとして捉えた時の話だ。

資本がDIYを生む(とかいう個人的には矛盾してんなという見出し)

デジタルDIYでプラットフォームビジネスに対抗しうるためには、おそらく彼らのコンテンツにおいて、圧倒的なクオリティが必要条件となる。確実な集客や勝ち筋が見えていないと、安定しないデジタルDIYは骨格が弱く、リスクにしかならない。

例えば、吉本が、自身のプラットフォームやチケット決済サービスを駆使してビジネスを展開していることにも、同じような構造を感じる。いまや若手芸人にとって配信は大きな収益源で、YouTubeやTikTokのバズを生みつつ、劇場に足を運んでもらう流れが、安定したビジネス関係を見せているように思う。さらに事務所からの独立だったりで、枠に収まらない様子が見られるのも、(様々な政治的文脈を無視したとすれば)デジタルDIYによる流通をうまく扱えるクリエーターならではの決断であるように思う。

また、BTS擁するHYBEも、配信プラットフォーム「V LIVE」やファンコミュニティSNS「Weverce」を駆使して、コアファンとコンテンツの結びつきを強化させている。Disney+がオリジナルコンテンツを大量生産して、映画体験そのものを変えていることも、これとよく似ている。HYBEも吉本も、SpotifyやYouTubeを上手に活用しながら、自社ビジネス(と、おそらくクリエーターサイド)への平和的な還元を確固たるものにしている。

たった一つだけ、自己矛盾したことを言うと、かつてのDIYはお金を持たないマイノリティが、自分たちの手で何かを作り、流通させるためのアイデアだったと思う。だから、資本を駆使しながらデジタルの中央集権的なエコーチェンバーを抜け出していく流れを、DIYを呼んでいいのか、ちょっと悩むところだ。

ただ、Disneyや吉本のビジネスをDIYとは言い難いけれど、カニエのそれはかつてのDIY的かも…と私は感じている。だからあえて、大好きなDIYカルチャーによせて、この章を立ててみた。

コンテンツの”保持者”が肝になる

ディストリビューションを自分の手中に収めることは、並大抵の資本では可能にならないことは事実だ。新人や小規模なクリエイター達は、これからもプラットフォームを駆使しながら、成長と拡大を狙っていくのではないだろうか。それってつまり、SoundCloudの形態だなあ、とか思う。

この先プラットフォームが「必ずしもほとんどのコンテンツをもっていない」ことが世間に漏れ出すと、コンテンツ保持者側の力量が直接的に問われる時代になっていくのではないだろうか。

そう、ここで大事なのが、必ずしも「クリエーター」ではない、という点だ。本人・他人に関わらず、コンテンツの権利を持つ人間の判断が迫られる。

政治的な文脈、といえば、事務所など「コンテンツの持ち主」とクリエーターが分かれている場合、双方の関係性が今後より大きなカギになるだろう。権利を譲渡することで生まれる金銭的な駆け引きが、ビジネスの新しい契機となるか、ボトルネックとなるかは、現在進行形で起きている事務所独立系の話題や、テイラー・スウィフトの原盤権をめぐる壮絶な闘いを見れば、火を見るより明らかだ。

これまでも、「どのプラットフォームサービスを選び」「どのパートナーと組み」「どのタイミングでリリースするか」などのあらゆる判断は、ビジネスにとって重要なものであり続けてきた。

だが、それ以上に、「そもそもこのサービスにこのまま乗っかっていていいのだろうか?」という根源的な判断も迫られるのではないだろうか。

さてはて、”私たち”はどうしましょう

そして、いちばんダイレクトに影響を受けるのは、私たち受け手、消費者サイドだ。

どのプラットフォームサービスに契約するかどうかは、自分が愛するコンテンツにアクセスできるか、できなくなるかの大きな賭けになる。もしくは、好きなバンドが突然自社アプリでのみアルバムを聴くことができます、なんてことが訪れるかもしれない。

そうなってくると、例えば各所に散らばったコンテンツをひとまとめにする、キュレーションアプリなんかができたりして、というかGeniusとShazamがもはや世界を征服していたりして、ということはShazam擁するApple Musicは安泰で?……一方でSpotifyなどは新人発掘の場になったりして……などなど、受け手にとっては、なかなかカオティックな環境が訪れる可能性がなきにしもあらず、だ。

それらの未来予測がユートピア的であるのか、それとも絶望の先のディストピアなのか、私には分からない。

分からないけれど、「アー、今月はフランク・オーシャンがあっちでリリースするからあそこのサブスク契約しとかなきゃ」「……って、結局今月でないじゃん😡 でもタイラーのやばいシングル聞けたしいっか🥳」みたいなわちゃわちゃ感、高校時代に通って、お金がないなかで選び抜いて買っていたCDショップの思い出みたいでなんか楽しそうかも、とか思ったりする。

もしかしたら、ファンダムのジャンル別コミュニティ化が再びやってくるのかも。ヘッズとかキッズとかモッズとか。推し活は良い例だ。


なんだか色々、楽しみになっちゃうじゃないですか……。


最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

photo by: Kristopher Perez on Flickr