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『愛がなんだ』はなんなんだ
しんどい恋愛小説が大好きだ。
その中でも群を抜いてしんどい恋愛小説なのが角田光代さんの「愛がなんだ」。
大好きすぎて年に一回は読み返すのに、毎回読んでも感想は「しんどい…なのにまた読みたい」。
そんな愛がなんだ、がNetflixで配信された。
わたしが本を読むきっかけになったのも、映画が公開され、よく名前を聞くようになったから。
ただ映画はお恥ずかしながらあんまり見ることがなく…DVDを借りるというのもせず、ぬくぬくしてたら配信がスタートした。
もちろんすぐに見た。
やっぱりめっちゃしんどいじゃん…
テルちゃんの絶妙なウザさと、マモちゃんのダメンズのくせに好きな人の前では張り切っちゃうところもリアルで、そして見ていて辛い。
テルちゃんみたいな子いるよねえ。
本人は誰かのためと思って何かしてあげるんだけど、周りからしたら要らぬ親切というか。お節介。入って欲しくない領域まで入ってくるくせに、気にしい。
テルちゃんの絶妙なウザさは人のためと言いながら、結局自分のためにやってる、というのがありそう。
マモちゃんのためにお風呂を掃除してあげる、マモちゃんのために靴下を整えてあげる、も全部ダメなマモちゃんを自分が支えてあげたいだし、マモちゃんと一緒にいる時間を少しでも増やしたい、からではないか。
最初はマモちゃんってなんて不誠実な男!と思っていたが(今もマモちゃんは不誠実な男だけど笑)、こんな関係になってしまうのにテルちゃんの性格も大いに寄与してるんだろうなあ。
映画には描かれていないが、小説ではテルちゃんは過去に不倫をされていると書いてあった。テルちゃんのこの押し付けがましさが本命になれない理由な気もする。
そしてマモちゃん。
本当にドクズで好きでもないのに、自分のことをおそらく好きなテルちゃんを不用意に呼び出し、都合よく使う男。
見ている時は、ふざけんな!ってなるのに、女はこの手の男に弱い。
きっとこの小説・映画に感情移入してしまう人は少なならずマモちゃん系男子と出会ってきた人なのではないだろうか。
そしてこの手の恋愛は大人になってから体験すればするほど抜け出せない。
普通の人なら好きでもない人は拒絶するが、マモちゃんは寂しく、弱いからこそ、テルちゃんを呼び続ける。1人でご飯を食べたくない、1人で夜を過ごしたくない、そんなときにテルちゃんを呼び出すのだ。関係を曖昧なままにする、ずるい男だなとつくづく思う。
わたしはこんなに尽くしてるのに!なぜ、好きになってくれないの!とメンヘラ化することもテルちゃんにはないのは、このマモちゃんとなんだかんだ会えているではないだろうか。
きっぱりマモちゃんに振られたら、こんなに好きなのに!なんで!となりながらも、時間は経ち、マモちゃんへの想いも忘れ、次の恋にいける。
しかしテルちゃんはマモちゃんから離れることなく、しまいにはラストで友達ポジになってまで、好きでもない男と抜け出してまで、居続けるのだ…
テルちゃんがマモちゃんの近くにいるかぎり、一生テルちゃんはマモちゃんの呪縛から離れられないんだろうなあ。
この作品でキーとなるのが、すみれさん。
江口のりこさんが良いですねえ。合ってました。
ガサツでお酒飲んでばっかりの35歳。そしてマモちゃんの好きな人…
なんでこんな人好きになるの!!!、とみんなが思った…
こんな人よりわたしのが若くて、下品じゃなくて、尽くすじゃん、と思ったよね…
けどこのすみれさんってのが、この作品で一番ピュアな人。
テルちゃん、ナカハラくん、マモちゃん、すみれさんの4人で別荘に行った夜。
ナカハラくんと葉子ちゃんの関係をおかしい、ときっぱり言えたのは、すみれさんだったのだ。
すみれさんの言い方は「気持ちはわかるよ」という枕詞をつけることなく、「そんなのおかしい!付き合ってないんでしょ?」だった。
この言い方は過去にすみれさんが一度たりとも、付き合ってもない人と中途半端な関係になったことがないからこそだと思う。
そして中途半端な関係に溺れてしまう人の気持ちがわからないくらい、純粋な人だからだろう。
一見、男らしく、ガサツなのにどこまでもピュアで人の汚い部分や曖昧な関係を知らない、すみれさんがこの作品では際立っていた。
そしてこの発言に対して、なにも物申せないのが、曖昧な関係で生きてきてしまった、テルちゃん、マモちゃん、ナカハラくんだった。
テルちゃんがすみれさんのことを嫌いになれないのは、このすみれさんの強さだったり、純粋さだったり、憎めないところなんだなあと思う。
しかしすみれさんの言葉で揺れ動いたのは、ナカハラくんとマモちゃんだった。
やっぱりテルちゃんは変われない。
ナカハラくんはテルちゃんの友達の葉子ちゃんに都合よく呼び出され、都合よく追い出される。
しかしすみれさんの発言を聞いてから、心変わりし、葉子ちゃんとの関係に終止符を打つ。
悲しいポイントとしてはこのお別れだ。
ナカハラくんは葉子ちゃんは寂しがらない、俺がいなくてもいいと思っていたが、葉子ちゃんは本当は寂しく、素直になれないだけで、ナカハラくんに愛を感じていたのではないだろうか。
葉子ちゃんの母が、あの子は欲しいものを欲しいと言えない性格、と言っていたが、これがおそらく伏線回収(言いたかっただけ)になる。
この欲しいけど、欲しいと言えないのがナカハラくんだった。
だからテルちゃんに寂しくないの!?と言われたときに、寂しいよ!と言うし、ナカハラくんの個展にも自ら現れてしまう。
わたしはこの葉子ちゃんというキャラクターが最初は謎だった。
なんでテルちゃんにマモちゃんみたいな俺様男やめておけや、自分の母親みたいに尽くす女はやめろ、というのに、自分もナカハラくんに冷たく、中途半端な関係でいるのか。
それはきっと踏み込むのが怖かったからなのかもしれない。両親の姿を見て、女が尽くしすぎてはいけないと刷り込まれ、尽くさないように、求めすぎないようにしたのが、葉子ちゃんなのかもしれない。
どこかツンとした印象だったが、彼女も彼女で甘えたく、素直になれなかった不器用な人なのかもと感じた。
そして葉子ちゃんがマモちゃんに電話をして、テルちゃんとの関係を辞めるように言ったのも、葉子ちゃんなりにテルちゃんにも前を向いて欲しかったのかなあと思ったりもした。
すみれさんの言葉で変わったナカハラくん、ナカハラくんの態度で変わった葉子ちゃん、葉子ちゃんの言葉で変わったマモちゃん。
なのにテルちゃんだけはいつまでも変わらない…。
この小説、映画は何度見てもまだまだ解釈できていないところはあるが、今回映画を見ながら、少しだけ立体的になった。
タイトルにある通り、「愛ってなんだよ」と何回も問いたくなる。
映画では優しく答えを教えてくれるわけではない。
自分が好きでも相手は好きではない、白黒はっきりつけるせいで大好きな人と会えなくなる、人のことには客観的になれるのに、自分のことは好都合で考える。
何回も見て、この作品を深めたいと思った。
追記
書いている最中に思いついたけど、どこに足していいのかわからなくなったので、ここに書く。
マモチャンがテルちゃんに「俺って良いところないけど、なんで山田さんは俺のこと好きなの?」ってセリフ、めちゃ染みる。どっちの意味でも
まずテルちゃん側では、なんでこんな男好きになったのだろうと思うときある。けどそう思ってる時ってもう意地なんだよね。ここまで好きになったから、実らないとおかしいみたいな意地の領域。恋してる自分に恋している感じ。自分からは抜けられない。
そしてマモちゃん側もわかる。なんでこんな自分に執着するんだろうと感じることがある。そして怖い。別に自分そんなに良い人間でもないし、自信もないし、そんな人に向かってドンドン距離を縮められると逃げたくなる。人ってわがままなんだけど、近づいてこないと興味ないのに、近づきすぎるとおびえる。そんなに崇めないでくれ!と思う。
この言葉がマモちゃんの最初で最後の本音っぽくて、色々考えさせられました。
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