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人は生まれた地域で性格が違うらしい

你好我好大家好,どうもMuneです。

今年の春は国内外で色々と出来事がありましたね。露の戦火に日本の地震、中国の航空機墜落事故などなどと、今の安泰な日々をより大事にしたくなるこの頃です。
さて今回は、大学の授業の中で聞いた話について考えた事をシェアしたいと思います。

よく日常会話の中で、中国の方は怒りっぽいとか、東京の人はなんだか冷たいとか、私の地元の沖縄の人はなんだか温和で優しい人が多いとかの地域✖︎人間の性格の話題が出てくるかと思います。
流石にそれは偏見だろうと私も兼ねてから考えていたのですが、最近大学の講義の中で面白い仮説を知りこの事により興味を持ちました。

北京大学のある研究チームによると「人は暮らしている地域(の環境)によって性格が変わる」のだそうです。

おいおいそんな馬鹿な、それじゃ出身地同じだったらみんな同じじゃないかと思いますが、現状これはあくまでも数ある性格の特徴や傾向の中で、地域によっていくつかの偏りがあるといういわば一種の占いに近いくらいの仮説の様です。
なるほどなぁとぼんやり聞いていたのですが、この仮説の根拠は占いなどと比べるとずっと論理的で納得がいく内容でした。


気候帯が与える感受性の違い

まず、この仮説は主に気候帯という分け方で観察できるものです。詳しくは私もわかりませんが、東北などの積雪量の多い地域や四季とも温暖な地域、常夏で降水量が多い地域など、細かく分けれる様です。

例えば、東北地方は冬の積雪量が多く、気温もとても低い為、そこに暮らす人間は生存する為にとても厳しい環境と寄り添う事になります。そこで厳しい冬に備える為に普段からよく働き、食糧を備蓄する習慣が昔からあります。そして他の地域よりも多くの人と食糧の交換や住むところの確保をする為に交渉したり競争することが多くなります。

そうなると必然的に勤労で団結心が強くより外交的で気が強い人が多くなる傾向があるという事になるようです。その地域に暮らす事で命が獲得した生存手段という考え方もできるかと思います。

確かに、中国で私はお会いした事ある東北出身の方は男女問わず気が強く、周りをあまり恐れなく、情に熱い印象がありました

でも日本はなんかそうでもないのでは?と思ったのですが、そこでなんと沖縄が温暖地域代表として話されていました。

沖縄や台湾、ベトナムやタイは年中気温の変化があまり無く天気による生活環境に大きな変化は訪れにくい。そして気温が高いが故に豊富な作物を育てれずに、限られた品種のものを育て、漁業なども通して一年中そこに居合わせた食糧で生活をする。獲れない日もあるかも知れないが、仕方なくそれでも生活を続ける。そういう生活環境の影響で、人間が生きて行く上での競争はほとんど発生せず、人は変わりばえの無い穏やかな生活に慣れています
そして、定住についても、こういった地域は昔から他の地域に比べてたくさん台風や豪雨などの被害に遭う為、建てた家が崩れたり、一からやり直す事を歴史で繰り返しています。そういう生活が重なると、突然の不幸に対してもいずれは元の平穏な暮らしにもどる事を命の記憶として感じているのかもしれません。

確かに私の地元の沖縄の人は、だいたいのんびりとした時間の過ごし方をしていますし、他の都道府県に比べても競争性の高くない職業を選ぶ気がしました。それに有名な方言で「なんくるないさ」というのがある様に、何か辛いことがあってもなんとかなるという考えが文化として根付いているのかもしれません。それが転じて沖縄の人は温和(感情の起伏が少ない)というステレオタイプに繋がったのでしょう。

留学先の北京にもベトナムやタイ、フィリピンの学生が居ましたが、思いかえして見ると確かにいつも優しい表情をしていたなぁとぼんやり感じました。

こう考えて見ると、占いなどと比べるとだいぶ「なるほどな」と呟いちゃう仮説だと思いました。細分化したら、その地域の気候と歴史、生活習慣から生き方の傾向をみれるのはとても面白いです。


活き方は変わった

この仮説はやはりまだ仮説であり、絶対にそうだと断定するにはまだまだ研究材料が足りないのでしょう。
先ほども疑問に思いましたが、そもそも日本と中国の同じ緯度の環境で暮らす人にもその性格の特徴には差があるかと思います。

その中にはきっと、気候意外にも民族的世俗やその他学問等多岐にわたるものが影響してその地域の人の性格というものを形成しているのでしょう。

そして、今や生活の手段は過去とは大きく変わり、グローバル化し過ぎたこの社会では、どれだけその地域で暮せばその地域の特徴が性格に付くのでしょうか。例えば私の母は中国の東北地方出身ですが、20数年沖縄にいてもちっとも沖縄のステレオタイプに当てはまりません。
ややもすればこの地域説もいつかは拡大して「地球に暮らす人は〜」と話す日も近いのかもしれません。

そう考えると、こんなに変動し続ける環境に活きる私たちは「この人はどこどこの地域から来たから〜と話すのは少々野暮なのでしょうか。その地域の気候や風土が人の感受性に与える影響は確かにありますが、結局のところ違った地域出身でも似た様な性格を持っていたりするし、逆に同じ地域でも物事の感じ方は十人十色です。

日本人はこう、中国人はこうということはほとんどなく、何処にもただただ人が居るだけなのだと改めて思いました。

論争には結果はありませんね。脱線もここまでにしたいと思います。

まとめ

ここまで読んでいただきありがとうございました。いかがでしたか、今回の小さな雑談に少しでも感じたことができれば嬉しいです。

これからも大学生活の留学や交流、学習を通して考えた些細なことでもシェアしていきたいと思います。
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