古墳時代、女性首長多かった…はにわで考えるジェンダー

 千葉県佐倉市の国立歴史民俗博物館(歴博)で、企画展示「性差(ジェンダー)の日本史」が開かれている。重要文化財など280点以上の資料を展示し、政治の行われる空間や、仕事とくらしの中の、「男」と「女」について古代から現代までの過程を追っている。中世から戦後までの性の売買についてもその歴史を振り返っている。

 展示されたのは、館内外の29人が参加したプロジェクトの研究成果。代表の横山百合子教授は「ジェンダーがいつ生まれ、どう変わるのか。よく分かるトピックを取りあげた。幅広い展示で、見て驚くことも多いはず。自分の常識を振り返って考えてみる、きっかけにしてほしい」と語る。

 トピックの一部を紹介すると――

 【古墳時代】弥生時代の後期(1世紀後半)から、古墳時代前期(4世紀)にかけて女性首長と考えられる人物は一般的に存在した。前方後円墳に埋葬される女性首長は、地域で多少異なるが、首長の3割から5割を占めていた。邪馬台国の卑弥呼はこのような時代に出現している。

 しかし、古墳時代中期になると、女性首長の割合が急速に減少する。背景には朝鮮半島をめぐる軍事的緊張があったと考えられている。

 この時代に関して、栃木県下野市の甲塚(かぶとづか)古墳(6世紀後半)の男女のはにわ群像が展示された。機を織る女性座像など、女性を中心に構成されており、この古墳の被葬者が女性の首長層であった可能性が強い。

 【律令体制】ジェンダー区分が確立されたのが律令国家だ。古事記では、天皇の子は、同じ母ごとに男女混合名簿の形式で記載されていた。それが、7世紀末の飛鳥浄御原令(あすかきよみはらりょう)以降、「皇子(みこ)」「皇女(ひめみこ)」に区分されるようになり、異なる役割・待遇が法的に定められた。豪族たちも、男官・女官の出仕法が別に定められた。

 【中世】中世、特に鎌倉時代には女性は独立した財産を持ち、分割相続を行う場合には、女性に地頭職が与えられることも珍しくなかった。この時代のものとしては、1334(建武元)年の銘がある木造地蔵菩薩(ぼさつ)立像が展示された。像内からは「印仏」などの大量の納入品が発見された。記された名前などからは、顕著な性差は認められなかった。

 【近世】中世末期から近世にかけて、社会全体が男性を中心とするようになり、女性が主導権を握って活動することが決定的に少なくなっていく。

 女性が女性の髪を結う「女髪結い」という職業が登場したのは18世紀後半。幕末には江戸に約1400人を超えていた。しかし、女髪結いに対して、幕府は一貫して営業を禁止し、取り締まりの対象とした。女性が技術を磨いて職業とすることを幕府は想定していなかった。

 【売春】職業としての売春が生まれたのは9世紀後半ごろから。性を売る女性は、「遊女」と呼ばれるようになっていくが、芸能と売春のほか、宿泊業も兼ねる独立した営業者で、自らの生業を、女系の家を通じて継承していった。

 戦国の争乱を経て統一政権が誕生すると、男性の遊女屋が遊女を抱えて売春させる遊郭が生まれた。新吉原遊郭で1849年に遊女16人が集団で放火した事件については、事件の調書や遊女の日記などを展示。遊女の1カ月分の食生活を伝えている。

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 12月6日まで。11月23日を除く月曜日と、24日は休館。混雑防止のため、土日祝日、終了前の1週間については、歴博のホームページからの入場日時指定事前予約が必要。一般千円、大学生500円。問い合わせはハローダイヤル(050・5541・8600)へ。(稲田博一)

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