見出し画像

 3年で夢諦めました。

 noteを始めて3年、その前に盛田隆二先生の本を8冊読んでたから4年くらいかな。読書三昧の生活をしました。

 読む本が無い時に読む本まであって、一行も読まない日はありませんでした。一文を書かない日もありませんでした。でも、どうでしょう。架空の事を書けるようになったり、面白い設定をプロットとして準備したり、それを書き進めたりした事は一度もありません。

 文章を読む事、読書家にはなれるけれど、作家にはなれません。嘘を書けないからです。作家ってインテリジェンスを一番感じる職業でした。と同時に、残酷な頭してないと書けない職業だとも思いました。

 特に人の生き死にを一冊の中に纏めるのですから、ここでこの人が死ななくてもと思うストーリーがいっぱいあります。生き死にを舞台にしないと書けない傑作があったのも事実ですが、私はそんな残酷な事できない。

 今日、病院の先生に言って来ました。作家なんてなれないって、読書家として課題図書を芥川直木賞と本屋大賞を楽しみに読む事はこれからもライフワークとしてするでしょう。しかし、自分が物語を書くと言う事はありません。

 書けないんです。書きたくないんです悲しい話。自分の人生ですら十分貧しいのに、交通事故のニュース聞くだけで憂鬱になるのに、作家なんて無理です。私は富と名声の社会と化した現代を否定したTシャツを作りました。無名なインディーズデザイナーです。作家として成功する事を是としない作家なんて居るわけありません。単行本になれば一入(ひとしお)、文庫化されれば万歳、重版されれば万々歳、印税で暮らす。ペンクラブ会員になって反戦を誓う。そんな有名で高名な作家になると言うのは私の生きる前提と話が違うのです。だって富と名声を欲しないんですからね。

 名誉欲や承認欲求の為に筆を走らせる訳にはいかない。どんな高みも目指さない、しかし、商業的には成功する作家になりたい。或いは後世で名を馳せる偉人になりたい。そんなものは普通でいる勇気の足りない臆病者の発想です。

 私は今が良いんです。父母との暮らしが良いんです。今、興味があるのは農業や料理です。母と夕食を作るのが楽しい。週3回夕飯を作る。そんな暮らしが良い。

 じゃあ、どうやって自立するのか。その実績作りの為にB型作業所がある。40歳までに普通の人と同じくらい働けるようにって通い始めた事業所だけど、40歳になった今年に入って初めて週3〜4日、月12〜15日働くようになった。しかも午後2時間だけである。送迎付きである。でも良いのだ。これを続けて実績を作る。で、無理の無い範囲で再就職を目指す。お金は障害年金であるのである。父母も居るのである。問題無い。ゆっくり地に足を着けて、自分でもできる仕事先を探すのだ。見つからなかったら障害年金が老齢年金になるまで事業所に通えば良いのだ。あと20年ある。その間、日給400円でも文句は言わない。金に縁のない人生だったのだと諦めよう。

 女性に関しては諦めが付いてる。心の中に住んでいる人が居るし、それなりに綺麗な思い出もあったからそれで良いのだ。

 実はロマンシングサガ4を買った。任天堂Switchも買った。老後の楽しみはRPGを好きなだけやるってのが良いな、なんて高校生の頃思ってた。もうそんな生活がやって来そうである。ゲームが飽きたら本を読めば良い。本が飽きたらゲームをしたら良い。たまに外食で美味しい物を食べる。それで十分幸せじゃないか。

 あとはTwitterで情報戦をしながら一票を入れに行くだけだ。庶民とはそんなものだ。私は庶民でいい。殺されなければ。

 以上

この記事が参加している募集

今日もコンビニにコーヒーとタバコを買いに行きます。私の唯一の楽みです。奢ってくれた方はフォローしてイイねしてコメント入れさせて頂きます。それくらいのお返ししかできませんが、ご支援して頂けると幸いです。