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某芸人さんの結婚を受けて思い出したこと、または「夜を走る」(1992〜1995)

先日、某芸人さんがだいぶ歳のお若い奥様とご結婚されたニュースを見た。

もうその芸人さんは結婚とかしないものだと思っていたけど、たしかに近年、腐りキャラの限界を本人が感じていたように見えたし、タイミング的にはまさに今だったのだろう。

ラジオでの報告を聞いて、なんだか、高校生みたいなピュアな恋愛してんなー、30代後半でもまだ青春してんじゃん!と、私は思っていたのだが、世間はそうではなかった。

本人たちも「歳の差や、子供番組での共演」があるので世間から叩かれるだろうと想定していたそうだが、まさにその通りのことがSNSでは起こっていた。

ではなぜ私は、「そんなこの間まで未成年だった子に!」という気持ちにならなかったのかを考えていた。そして、ある人のことを思い出していた。

なお、以下にはフェイクを含むこととする。

高校1年生の時に某所でアルバイトをしていた。
演劇部だった私に、その部署の長である男性(当時26とか7とか)は声をかけた。
「野田秀樹のチケット取れるよ」

二人は芝居の話や、共通の音楽の趣味などを話しながら作業をした。
たまに私が仕事をミスってしまうこともあったが、その長は怒るでもなく、ラフなノリでカバーするのだった。

翌年も私は同じ部署に回され、またその長と仕事をすることになった。
長は私に食券を何枚か渡し、事実上の「社食食べ放題」になっていた。
バイト仲間にその食券で奢った時には少し注意された(どうやら給料から天引きのシステムだったらしい)

長は私とその友達をドライブに誘った。向こうは男性2名。
バイト仲間でもある私の友達は、乗り気がしなかったが、私が一人で行くのもなあということでついてきてもらった。
当時三軒茶屋にあった木久蔵ラーメンに行ったのをうっすら覚えている。
車の中でドリカムのアルバムをかけ、運転しながら歌詞についてああだこうだ考察をしていたことも。

冬休み限定のバイトなので、途中正月休みを挟むことになる。
「年越しをしないか?」
長は私にいった。複数人が来るものと思って行ったら、先方は男性二人、バイトは私だけという状態で、最終的に長の自宅(実家)で行うことになった。

比較的自由な家だったので、年越しの日に家に帰らなくても、文句を言われることがなかったのだが、深夜になって、先方の友達が帰宅するタイミングで、どうしようかなあという空気になった。

Wコージが出ているバラエティをしばらく見ていた。
テレビを消して、CDをかけ始めた。
ユニコーンのベスト盤だったと記憶している。
部屋の電気も消えた。


翌日以降も、もちろんバイトは続くのだが、職場では特に変わったことはなかった。ただ、ポケットベルで呼び出され、学校帰りに車に乗って出かけることが増えていった。

先方の仕事が終わってからなので、だいたい夜か、非番の日だった。
決まって移動は車、知り合いに見つからないようにずっとコソコソしていたが、同じバイト先にいた20歳のお姉さん(先方と旧知の仲)だけには会っていた。

そのお姉さんはバーでもアルバイトをしていて、私たちが行くと、車だとわかっていてきちんとジュースを出してくれる、それなりに倫理観の備わったお姉さんだと思っていた。お姉さんだけどボーイッシュな、あまり性別を感じさせないところが付き合いやすくて、私も大好きだった。


学校の友達には、その男の人、大丈夫?と何度か聞かれていた。立場がイーブンではないのではないかと心配してくれる子もいた。

当時の私には、学校に「好きだけど、向こうは絶対に私とは付き合ってはくれない人」がいた。片思いの連鎖をしていた。
そちらと並行して、私は、放課後になると男の人の車に乗っている。
なんだか、自分がひどく汚れたような気がしていた。

部活の帰りに、男友達の自転車の後ろに乗って、池袋の西口に向かう。
途中、ホテル街を通ると、お巡りさんに二人乗りを注意されたりしていた。
その道を、別の日には大人の男の人と通る。

当時、すでに廃れていたであろう、まあるいベッドと、それを回転させる古いボタン。壊れかけのテレビ、何に使うのかよくわからなかった、シューっと音を立てて、上下階の間で何かをやりとりする、透明なアクリルの筒(たぶんエアシューター)

そこで数時間を過ごしたら、じゃあ、と言って別々の家に帰る。

「交際とは、こういうものなのかしら」

私にはよくわからなかった。
17歳の思う交際とは、手を繋いだり遊園地に行ったりするものだったのだけど、大人は違うのかもしれない。そう思ってずっと溜め込んでいた。

彼は、飲みの席の話をすることが多かった。とある女流作家さんがその店の常連で……など。後年、件の作家さんが亡くなったときにはその話を思い出していた。

17歳と27歳(おそらく)。
交際の定義がちがうのかなと思うことはよくあったし、今の私たちは交際しているのかどうか、聞いてみたかったけど、怖くて聞けずにいた。


ある日、私は海外旅行に行った際に、スウォッチをお土産に買って、彼に渡した。
高校生の考える、手持ちのお金で買える最大限のものだったのだが、彼は、それをあまり喜ばなかった。
「タグホイヤーとか普段つけてるんだぜ?こんなおもちゃみたいな」

恋愛感情なのかどうかわからないまま何ヶ月も過ぎていたけど、何かボタンのかけ違いのようなものを感じ始めた。

「風邪を引いたからナタデココのデザート買ってきて」
学校から程近い彼の家に、放課後何度か行った。勝手口から親御さんに会わずに入れるので、おそらくご両親は気づいていなかったことだろう。
買い物を届けたら、部屋で数時間過ごして、シャワーを浴びることもなく一人で帰る。

車で出かけた先の、Uターン禁止の場所で交通違反を起こし、彼と警官が外で何やら話していると、特に何も言われないまま解放された時もあった。
「大きい括りとしては同じジャンルの仕事じゃないですか」
そう言っているのが聞こえた。

私は、これでいいんだろうか。

なんだかんだ理由をつけて、誘いを断ることが増えていった。
私は高3になっていた。

19歳の私に、久しぶりに彼から連絡があった。
「ちょっといいバイトあるんだけどさー」
儲かる副業があると言って誘ってくる奴にろくな人間がいないと分かるくらいには、私も成長していた。

携帯電話の代理店業務のような説明をされたけど断ったし、話が終わるとすぐ私の服に手をかけようとした。

「今日、そういうことじゃないから」。

初めて私は断ることに成功した。
これをもっと早くできていれば違う未来だったのだろうか。

帰りは車で送ってもらったが、車内で彼はなぜか敬語だったのを覚えている。
もう、私は子供ではない。今の基準なら成人年齢である。
きっとこの先二度と会わないだろうな、と思いながら、家のだいぶ手前で車を降りた。
「ここでいいから」と。

結局、その人が野田秀樹のチケットを手配してくれることはなかった。



2017年、出身高校に書類をとりに行く用事があった。ついでに学校の周りを散策したのだが、当時の彼の家の周りはとても変わっていた。

同じ場所に、同じ苗字の家が立っていた。家の姿は当時とは違うものになっていた。建て替えしたのかもしれないし、同じ苗字の違う家かもしれなかったが。
庭先に、子供用の乗り物がいくつか置いてあった。

しばらく散歩して、隣の駅から電車に乗って帰ることにした。

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