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2.排出口から出る水や煙のように

 買い物に疲れた私は、パン屋に併設されたカフェコーナーに戻ってきた。パン屋のドアを開けた入口付近で、小さな女の子が泣きわめいていた。泣きわめく女の子を担いで店を出ようとするお父さんは、大量のパンをトレイにのせて列に並んでいるお母さんと視線を交わした。

 頭が痛くなってきた。人が集まる場所が苦手な私は、特に買い物をする場所が苦手だった。いつも頭が痛くなった。人が多いだけで疲れてしまうのに、そこに買いものをする行為がくっついていた。人が物に向かう勢いを勝手に感じ取って疲れていた。安くて良い物を、誰よりも早く、という世界のなかに入り込むと、私もそんな気持ちに染まっていった。値札に記された値段から50%OFF、さらにレジで30%OFF。値段なんてどうでもよくなってきていた。いつもの話し声よりも大きな声でしゃべる人たちは、この場所でエネルギーを浪費していた。

 私が座るカウンター席の居心地はそれほど良くなかったが、提供された珈琲は敷地内にあるスタバよりおいしく感じた。サイフォン式とメニューに書いてあった珈琲はバランスの取れた味で飲みやすかった。珈琲と一緒にフランスパン生地にチョコが入った硬めのパンを買ったが、これが絶妙に食べにくかった。一口食べると口の端にチョコがつき、小さく折った紙のお手拭きで口の端を拭いた。その行為を繰り返していると、紙のお手拭きがチョコまみれになっていった。半分ほど食べて、皿の上に置いた。


私が座るカウンター席の右隣の席に座って本を読んでいる客は

とタイピングしてみたが、右隣の客のことを、今この席に座ってタイピングするのは勇気がいった。満席のカウンター席は、肩が触れそうなくらいに客と近く、右隣の客に画面をみられている可能性があった。今この瞬間に、この文章をみられた可能性を考えながらタイピングすのは、スリルがあった。

 私が座るカウンター席の右隣の席に座って本を読んでいる客は、この場所で私と過ごしながら、本の世界に没頭していた。右隣の客は寒さを感じたのか、手をこすり合わせてから、紙の手拭きで指先を拭いた。

 程よい空調で室温を維持していた店内が、ほんの少し寒くなってきたような気がした。背筋を伸ばした私の身体から軋んだ音が聞こえた。私が座るカウンター席の左隣に並んで座っていた男と女は、パンをたらふく食べてから珈琲を飲み干した。獲得した獲物の話をひととおり終えた男と女は、次の獲物をみつけるためにアウトレットパークの世界に飛び出して行った。


 肩が凝っていた。緊張感のある肩凝りだった。待ち人が現れた右隣の客は、読書を終わらせて、待ち人とともに店を出て行った。右隣の客が座っていた窓際の席に移動した私の背中に冷たい風があたった。テーブルの支柱が足の邪魔になったが、他に不都合はなかったので、この窓際の席で過ごすことにした。病気ではないのかと疑うくらいの身体の軋み具合は、慣れないこの場所で、いろんな影響を受けているせいだった。

 この場所に来ることを、私は選択した。家で過ごしていても問題はなかった。平日に行く予定をしていた家人の都合が悪くなり「日曜日に向かえばいいのでは」と私が提案し、一緒に向かうことになった。私もブランケットをみたかった。この場所がもつ雰囲気、買い物をしている人たちの顔つき。私も同じような顔つきになり、この場所の空気を纏って過ごしていた。知らぬ間にダメージを負っていた。ダメージを負いやすい性質の私は、寝込むぐらいの疲れを勝手に受けていた。もう二度と訪れないと言うわけではないが、この場所で過ごすと、確実に身体が疲れた。身体の不調、頭痛、強張り。それでも買い物はするし、何かが漠然と欲しくなり、どこかに安くて良い物を探し求めていた。「何か欲しいものがこの場所にあるはずだ」と思い出そうとする度に、それなりに欲しいものが見つかった。本当に欲しいものだったのか。欲しかったのだと思い出して買う物は、本当には欲しくないものではなかったのか。


 「どっちなの」と怒気を含んだ女の声が小さな子どもに向かった。アウトレットパークのような、人工的で小さな街が幼少期に近くにあれば面白かったのかもしれない。場所の感じは一通り回ると把握できた。買い物する場ではなく、探検する場となり、ドッチボールができる場所はないが、お店も使って、そこに潜んで鬼ごっこができただろう。大人になるとアウトレットパークは疲れてしまう場所になるのか。考えていると更に頭が痛くなった。

 アウトレットパークで過ごす時間が終わりに近づいていた。もう限界だった。買い物を終えた家人達と、どこかで合流するはずだった。帰りの車の運転が不安だった。行きは家人に運転してもらったが、帰りの運転は私がしなければならなかった。

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