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幾つかの塊をつくる夜

何かを書きたくなった私は、タイピングをはじめた。意識を耳に向けると、冷たい空気を吐き出しているエアコンの音が聴こえた。椅子に座る私は白いデスク上のPC画面をみながらタイピングをした。キーボードを叩く度に、画面に字が並んでいった。小さな塊ひとつに12個くらいのキーを叩いて、右手の小指で[Enter]キーを叩いた。字の塊が並んでいった。キーを叩き続けた。

白いデスク上にはkindleの端末が置いてあった。最近購入した小説やエッセイは、Kindleに保存されたままだった。kindleでは自己啓発本のある章を、何度も読み返した。何度読み返しても、書かれた通りにはできなかった。「そういうものなんだ」と啓発されない自分に納得しながら、何度も読んだ。

デスク上に置かれたkindle端末の横にはスケジュール帳が置いてあった。ダークブラウンのA6サイズのもので、5年ほど前から同じスケジュール帳を毎年購入して使っていた。来年のスケジュール帳を購入しようと販売サイトにつなぐと「原材料価格の高騰等でスケジュール帳の販売を中止します」とあった。生活にほどよく馴染んでいたスケジュール帳が来年使えなくなった。私の心は曇った感じになった。

何かを書きたくなって、タイピングを始めた私は、デスク上のものを描写して、感じることを言葉にしていった。最初に書こうと思っていたことは、デスク上に置かれたスケジュール帳の隣に置いてあるA5サイズのノートの1ページ目に書いた文章のことだった。そのことを思い出した私は、タイピングしやすいようにキーボードの下側にA5サイズのノートを開いて置いた。

新しいノートに書く。新しいフェーズに入ったはずだ。愛について、愛されたかったことについて、愛がなくなったと感じたことについて。愛はなくなっておらず、私の中にあったとしたら。愛は一人一人のなかにあって、共鳴して、循環するのであれば。共鳴しなくなったとしても、私の中にあって循環し続けるものであれば。愛は命がある限り、なくなることはないのかも知れない。私がある限り、愛はある。なければ、私は損なわれてしまう。生きているのだから、私のなかに愛はある。あると感じているかどうか。自己愛。私のなかに既にある愛に気づく。

ノートの1ページ目の最初に書いた文章をタイピングして書き出した。何かを書きたくなった私の思いが、何かを書き出して、幾つかの塊になった。何かを書きたい私が、何かを書いた夜だった。

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