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1.ある地点から、ある地点まで

 店内の席を確認した私は、レジカウンターから伸びていた列に並んだ。無駄に働かされている店員は皆忙しそうだった。後方の入口から入ってきた女が私の横を通って離れた位置の列に並んだ。女が並んだ位置によって、分割された前の方の列に、私が間違って並んでいることに気づいた。女が並んだ列をみると、先頭にいる数人は話に夢中だったが、その数人の後ろに怪訝な顔をして私をみている別の女がいた。あっという間に長くなっていく列をみて、いまさらしょうがないだろうと私は思った。レジカウンターの店員が私に声をかけた。

「大変お待たせしました」

「ホットコーヒー、ブラックでテイクアウト」

「かしこまりました。珈琲と一緒に、ドーナツは」

「いりません」


 ホットコーヒーを飲みながら、河原の手前の交差点まで歩いて辿り着いた。歩行者用の信号は赤だった。空からは陽の光が強く差し込んできていた。初夏を思わせるような光だったが、暦の上ではもう夏ではなかった。

 無理に右折をした観光バスに、直進する白いワゴン車がクラクションを鳴らした。観光バスを大げさによけるようにして白いワゴン車が走り去って行った。

 遠くの空に雲がみえた。陽差しが強いだけで、もう夏ではなかった。暑さは予想していたので、スーツのジャケットはリュックの中に折りたたんで入れてあった。歩行者用の信号が青になり、横断歩道を渡った私は、つまづかないように、ゆっくり階段を一段一段降りて河原にたどり着いた。階段の途中で落ち葉が数枚、靴先の横にみえたことを思い出した。


 河原ですれ違ったランナーは、私の後方に走り去った。私を追い越した自転車は遠く小さくなった。子どもたちと遊んでいる夫婦らしき男と女が対岸に見えた。私とその家族の間に流れる川の水面はきらきらと陽が反射して輝いていた。河原の排水施設前スペースでスケートボードをしていた男の子の技に「左足でやるのね!」と女の子が声を上げた。


 河原から歩道へ上がるために、ぬかるんだ土を避けて階段に向かった。歩道へ上がって横断歩道を渡るために信号が青になるのを待った。「昭和63年12月拡張」と記された石碑が歩道の端にあった。河原から階段の方に向かって強い風が吹いた。


 昭和63年12月の私は、高校受験に向けて塾に通っていた。塾からの帰り道に、友だちと深夜のコンビニエンスストアによく行った。マンガを立ち読みして、からあげと缶コーヒーを買った。湯気を発しながら飲み食いして、寒い夜道を友だちと歩いた。詳しくもない洋楽の話をしてみて、話が続かないことを友だちと笑い合った。年が明けると「平成」がやってきた。


 歩行者用信号が青になり、横断歩道を渡って駅へ続く階段を降りた。地下構内は改札までが遠く、早足で歩いた。改札を通ってホームまでの階段を駆け下りた。発車間際の電車に乗り込んだが、この電車で良かったのかと不安に思った。アナウンスされた次の駅名に聞き覚えがあった。

 私が座った2人がけ席の一つ前の席には茶色の髪の女が座っていた。私の右腕を登ってきたカメムシを左手の指先で軽くはじくと、弧を描いて一つ前の席に飛んで行った。

 小さなトンネルを抜けた後の電車内に、右側の窓から陽差しが強く入ってきた。光の通過とともに、右側の最前列の席から順に「シャッ」とカーテンを引く音が聞こえた。窓から青い空がみえる左側の席は、強い光もなく快適そうだった。

 速度を落とした電車は駅に到着した。私は少し離れた乗り換えホームに歩いて向かった。乗り換えホームに着くと特急が来るまで少し時間があった。自動販売機でカフェラテを買い、取り出し口からボトル缶を取り出した。特急の停車位置に並んで、ホームに入ってきた特急に乗り込んだ。入った場所から指定席までは離れていた。電車内はエアコンが効いていなくて暑かった。指定席に座ってから、カフェラテのボトル缶のキャップを右手でひねって開けた。カフェラテの一口目を流し込んだ。予想していた甘さは口のなかに広がらなかった。ごくりと喉で飲み干しても甘さは拡がらなかった。

 決して完成されることのない雲のひろがりが窓から見えた。あのモヤモヤした雲の直線はどうやってつくるのだろうか。

 雨が小さく打ちつける音が聞こえた。斜めに降る雨が車窓に映った。青色の占める割合が減ってきた空は徐々に灰色になっていった。駅を通り過ぎる車窓に映った三羽のすずめは一瞬で見えなくなった。線路沿いのため池の水面すれすれを飛んでいた白い鳥が見覚えのある住宅街に向かって飛んでいった。


 車窓を流れる景色のなかに高いフェンスに覆われた学校のグランドがみえた。20年以上前に行ったその高校の文化祭でのことを思い出した。生徒とその家族だけが参加できる文化祭で、私は在校する友人の大学生の兄として文化祭に潜り込もうとしていた。高校の正門の前に置かれたテーブルの上で参加用紙に氏名を書こうとした私は、友人の兄の名前の漢字が思いだせなかった。ひらがなで書こうとしたが、不審に思われそうで書けなかった。後ろを見ると人が並びはじめていて列になっていた。間違った漢字を参加用紙に書いてしまった。間違った漢字を補うように大学生の気持ちで参加用紙を係の人に手渡した。私は「亮」という漢字が書けなかった。

 あの時は、何事もなく高校の敷地に入れたが、どんな文化祭だったのか、誰と過ごしたのかは、思い出すことができなかった。思い出すことができるのはその時のじりじりした感じと友人の兄の名前だけだった。


 特急が駅に到着して、最後の乗換のホームに降りた。寒く感じたのでリュックから取り出したジャケットを羽織った。大きな雲で覆われている空は灰色のままだった。

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