見出し画像

先生への赤い丸

noteを始めて2週間。書くのも楽しいし、読むことも楽しい。いろんな人の素敵な言葉や物語を発見すると、自然に口角上がり、「スキ」を連打したくなる。(もしかして連打できるかも?と思ってやってみたら、「スキ」が解除になったから慌ててもう1回押したのは私です。)

ちなみに、私が書くことを「スキ」だと自覚したのは10歳のとき。

転校先の担任の先生が、毎日の宿題に日記を出した。正直、日記に書くような出来事を毎日なんて難しすぎると思った。それは11歳の娘も日記の宿題をやりながら同じことをぼやいている。だから日記で書いてた内容は、その日見たテレビの内容だったり、友達と図書館で少年隊が表紙の「明星」を取り合いになった話だったり、家族の、外には言ってほしくない恥ずかしい話を切り売りするような日記だった。

先生は日記を読むと、こんなに薄っぺらい内容から、どうしてそんな感想が言えるんだろうっていう言葉を返してくれたり、質問をしてくれた。私の日記で起きてる状況をできるだけリアルに想像してくれているようだった。

また、先生の「ここの表現がいいね」という、文章の横につけられる赤い丸の連続を見つけることが、私の楽しみでもあった。それはいつも、表現のテクニックにつけてくれるというよりかは、起きた出来事に対して私が感じた感情や気持ちの部分につけてくれた。

宿題の日記への先生の対応として、上記の内容は普通のことなんだと、大人になった私は思う。別の学年の時の担任の先生だって、私の子供たちの担任の先生も、そのスタイルはだいたい同じなのに、私は10歳のときの担任の先生から書くことの楽しさを教えてもらった。

なんでだろう??



先生は、宿題としての日記というより、日記で書かれている内容に興味を持ってくれていた。もちろんそれは私だけじゃなく、クラスメイト35名全員だったと思う。だから先生は、友達4姉妹のけんかのきっかけも、いじめっ子のおばあちゃんちでいつ千日草が咲いたかも、いちいち覚えてくれていた。先生からの日記への返信はとても丁寧で、日記の内容に寄り添ってくれるもので、先生と交換日記をしているみたいだった。先生からの返信で、「大変よく書けていますね」なんて書かれた日は一度もなかったし、何人かの友達の日記の返信も見せてもらったこともあるが、「よくできました」のスタンプだけをポンッっていう日もなかった。

親に学校であった出来事を話そうとして、「後でね」「また今度」とそっけない返事をもらうことはあったけど、先生は日記の返信という形で、私の話に耳を傾けてくれていた。

だから私は、先生にたくさん話を聞いてもらいたくて日記を書いた。どんな風に書けばその情景が浮かぶのかとか、イラストをそえてみようかなとか、いつも同じ始まりだとつまらないなとか。時には友達がほめられてる日記を参考にして真似をしてみたり。それらは先生に伝えたいとう気持ちが原動力になって、自分の頭に自然に浮かんできたことばかりだった。

そんな風に日記を工夫することや、先生から返信のおかげで、私のささいな日常の出来事が、日記という場所を借りて新しい物語に生まれ変わっているように思えた。そして何より、書いて伝えることが楽しいとことも発見した。

先生に出会っていなければ、書くことを楽しいと思える自分はいなかったと思う。その思いを強く持っていたから、大学に進学するとき、その報告も兼ねて「書くことが楽しいと今も思えているのは、先生のおかげです。」と手紙を書いた。その返信は、「そんな大げさなことはしていませんが、私もみんなの日記を読むことはスキでした」という内容で、先生が書いてくれた手紙の言葉全部に、赤い丸をつけたいと思った。


#とは










この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?