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賢者は歴史に学ぶ
以前、依存症レベルで「引き寄せの法則」だとか「成功者の法則」などの本を読みあさっていたことがあります。
1冊読み終わると「よし!頑張ろう!」と前向きになり。
……しかししばらくするとまた憂鬱になり。
だから「もっと効きの強いのが欲しい……」ということでまた新しい本を読み。
読み終わると「よし!頑張ろう!」と前向きになり。
……しかししばらくするとまた憂鬱になり。
だから「もっと効きの強いのがエンドレスリピート。
依存症になっていることに自分で気づき、今ではその手のものから足を洗いました。
しかし最近『老子』を読んで。
いくら依存症を脱したからと言えども、やはり「かつての依存患者」だったのか、『老子』を読んでいるとちょいちょい「これって引き寄せの法則とかにも通じてるよね」と感じることがある。
「物事に執着しない」だとか。「水のように柔らかくあれ」は「謙虚であれ」という意味にも取れるし。
「小国寡民」なんて考え方は完全に「目の前にあるものを受け入れ感謝する」なんて考え方だし。
私も学者じゃないので正確な読みができているわけではないけれど、『老子』も結局のところ哲学であり「どう生きるか」という考え方の一つなわけで。
となると「幸せに生きるためには」「豊かになるには」なんてことも書いてあるような気がしてくる。
そして以前引き寄せ依存症だった私は、「結局幸せだとか豊かさだとかを手に入れる方法って2000年の間変わってないんかい」なんて感じてしまう。
正確かどうかなんか分からないし、いくら歴史小説を書く予定であるとはえ、《むしろだからこそ、》私如きがそこを突き詰める必要性もないと思っているので、こういう『老子』の読み方もありなんじゃないかなと。
こういう風に歴史を勉強していると、頭の中で現代と突然繋がったりする。
その瞬間視界が一気にクリアになる。ブワッともやが晴れるというか。
この感覚が好きだから、歴史の勉強はやめられない。
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