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難病が見つかるまでの奮闘記・1

小さな頃から病気とは仲良く(?)付き合っている私なのですが、20歳を超えてまさかの気管支喘息発症。その後、ベーチェット病という難病と、ほどほどにお付き合いをさせてもらっています。
喘息発覚の経緯もなかなか理不尽でしたが、ベーチェット病は理不尽かつあるあるな流れでした。ちなみに、発症から治療開始までおよそ2年の歳月がかかることになります。理不尽の極み!

これは、私が「若い女性」にカテゴライズされていた頃のお話です。


新卒保育士の災難

実は保育士として働いていた経験がある私。
紆余曲折ありまして、保育短大に行き、保育士と幼稚園教諭を取得し、いくらかの実務経験があります。

保育短大卒業後、そもそも過疎地暮らしということもあり、すぐには就職できず……。遅ればせながら、7月頃に「障害児放課後等デイサービス」の施設に正規の保育士として就職しました。これにより、私の地獄の日々が幕を開けることとなります。

何をもって地獄の日々というのかは、ひと言にまとめがたいのですが、就職先の施設では、子どもに関わる有資格者がまさかの新卒の私だけ……という時点で何となくお察しください。

怒濤のパワハラエブリデイ☆

そうです。まとめがたいと言っておきながら、ひと言でまとまります。
就職後、怒濤のパワハラエブリデイ☆を過ごしていました。
何をやってもやらなくても怒鳴られる、パワハラ確変モード。

質問すれば「自分で考えろ」と怒鳴られ、自分で考えて行動すれば「自分勝手に行動する、言うことを聞かない」と怒鳴られる。(そもそもアパートの1室に子どもとすし詰めにされているだけで、何も指示はされていない……。)
思うことは多々ありますが、そんな毎日を送っていました。

ちなみに、保護者のお迎えが遅れて残業となっても残業代はつかず……。(厳密に言うと上司を納得させられれば残業代がつく、ほぼ無理ゲー)
ヒヤリハットが起こったときに事故報告書を書かされ、責任全かぶり。これは、パワハラの標的にされていたことと、有資格者が私だけだったことに加え、もう一つの恐ろしい理由があったことが後に判明します。

喘息の悪化と謎の微熱が続く日々……

さて、ここからいよいよ病気が姿を見せ始めます。

ストレスで体調に異変が生じるのは良く聞く話です。私もご多分に漏れず体調をしっかりと崩しました。

まずは、手始めにストレスによる喘息悪化。この頃は吸入ステロイドをフルスロットルで使用しており、気管支拡張剤もご機嫌な量になっていたので常にノンストップドキドキ状態です。特に会いたい人はいませんでしたが、常に小刻みに震える、ステータス異常を起こしていました。

同時期に、37.5℃以上の微熱が続き、だるさを感じるようにもなっていました。この時期、他施設から施設長を招いて接待飲み会という謎イベントがあり、38.0℃近い熱を出しながら強制参加させられたのも、今や懐かしい思い出です。

お察しかと思いますが、もはやこの頃にはまともに仕事に行ける状態ではなくなっていました。それに伴いパワハラもパワーアップです。

迫られる辞表の謎と退職

余談なのですが、勤めていた施設は病院が母胎で、そこで健康診断を受ける機会があったことを覚えています。未だにその結果は返ってきていません。多分、何らかのステータス異常が起こっていたのでしょう。

そんな毎日を過ごす中で、施設の事務長からついに「辞表の提出」を求められるようになります。それはもう熱烈で、顔を合わせる度に「辞表はまだですか?」と聞かれる日々……。

ちなみに、施設は公立ではなく、私は管理職でもありませんでした。
この頃、私は言われるまでもなく毎日「退職願」を持ち歩いていました。しかし、提出のタイミングが掴めず、気がついたら月末。

熱も下がらず、お腹もゆるゆる……。
「このままじゃ人生詰むな」と感じ、「退職届」に書き変えて私に辞表の提出を迫っていた事務長に提出。
この時に、私は事務長から衝撃の事実を聞かされます。

そう、前述した事故報告書の責任の所在です。

事務長はおもむろに厚労省へ提出したとある資料を私に見せました。
現場責任者の欄には私の名前。

なるほど……。
全ての合点がいった感じです。

入職前と比べると約10㎏程体重が落ち、げっそりした私の姿を見て、無理に引き止めることはされませんでしたが、なんとも理不尽な数カ月でした。

まとめ・仕事辞めても熱下がらんかった。

無事(?)職を辞することができた私ですが、ストレスのせいで体調がいかれているのかと思いきや、熱は一向に下がりませんでした。

そりゃそうだ、自己免疫疾患を発症してるんだもの。ここから2年ほどの歳月を謎の体調不良に悩むことになります。

ちなみに、退職前から何度も病院に通って検査していましたが、この時点では原因不明のままでした。病院でどのような扱いを受けたのかなどの部分はまた次回書こうかなと思っております。

ストレスで自律神経が乱れる、メンタルブレイクを起こすなどのパターンは良く聞きますが、私はまさかの自己免疫疾患を発症するというパターンでした。保育士ということもあり、紫外線を多く浴びたのも良くなかったかななど、色々なことを思いますが、結局は難病。
原因が分からないから難病なので、考えても仕方のないことです。ただ、ストレスは悪化の要因とはいわれています。

この時期のことを思うと、後悔しかありません。自分の身体のこともそうですが、当時見ていた子どもたちのことを思うとなんとも言えない気持ちになります。
とりあえず、私が言えるのは体調がおかしいと感じたらしっかりと休息を取ること。そして、専門医の診察を受けることです。

皆様、くれぐれもご自愛ください。
では、次回に続く。

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