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つかふる姐さんに聞いてみよう No.23 「自分を愛する方法はありますか?」_Hina

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自粛期間中の休日、皆さまいかがお過ごしでしょうか。
私は心ゆくまで眠ったり、猫と遊んだり、ベランダで日光浴したり、風に揺れる観葉植物を眺めたりしています。
レシピ本を片手に手の込んだ料理に挑戦したり、ずっと読みたかった本や映画を手に取ったりもしていますが、
ほぼ「何もしない」をしています。個人的にはとても穏やかで幸せです。

Hinaさんからいただいたご相談、あまりに本質を突いた内容だったので、すぐに答えることができず、ここ何週間かずっと頭の隅で考えていました。
素敵な問いをありがとうございます。


「自分を愛する方法はありますか?」_Hina
最近つかふる姐さんのことを知りTwitterを遡って大好きになりました。 もし知っていたら教えていただきたいのですが、 自分を愛する方法はありますか?


今回いただいたDMはこれのみでした。このコーナーを始めてこんなに短いご質問は初めてです。笑 

Hinaさんがどういう心境でこれを送って下さったのかわかりかねますが、少なくとも今はご自身のことをじゅうぶんに愛せていないのかなと私は受け取りました。
今回は(今回も)私の個人的な考えを書いてお返事してみようと思います。お付き合いいただけたら幸いです。

Hinaさんにまず謝らなければならないのですが、そもそも私自身が「自分を愛して」はいないかもしれません。いま自分の胸に手をあててみましたが、嘘偽りない自分への気持ちとしては以下の通りです。

「お前はまあ頑張ってると思うよ、でも、まだ満足のいくレベルじゃないよな。人生あっという間。いけるとこまでいってみような」

つまり、

【自分に満足はしていないし充分とも思っていないけど、これでやっていこうと思っている】

といったところです。愛してるとまではいきませんが、「受け入れてる」とは言えるかもしれません。

Hinaさん、でもここだけの話、20年前の私の「自分への気持ち」は以下のようでした。

「お前はこんな容姿で、頭も性格も悪くて、何の取り柄もない。どの面下げて生きてくつもりだ?」※ガチです

そして実際に家でも学校でも隅っこで小さくなっているような子どもでした。そんな自分をどう変えるか、そもそも変えられると考えたことすらありませんでした。

私は自分が大嫌いでした。鏡を見るのも嫌、人と話すのも嫌、人前で何かをするのなんて地獄でした。今思うと、醜形恐怖と対人恐怖と広場恐怖がごっちゃになっていたんだと思います。それに愛着障害、PTSD、、、(もしよければ「私がこの世でいちばん愛した人の話」を読んでいただければと思います。)


名前をつけようと思えばいくらでもあるでしょうが、とにかく当時の私は、

世界中の誰も私に興味がないし、私は劣った存在だ。私にできることは「せめて人の邪魔にならないように自分を殺して生きること」くらいだ。

と本気で思っていたのです。(今客観的に考えてみれば、別に容姿も頭も平均的な子どもだったのですが。でも私の思考はその時の私を文字通り形作っていたと言えます)


私はこの20年で変わりました。劇的に変わったと思います。もちろん変えられない部分もありますが、随分と生きるのが楽になりました。以前は「来世に期待しよう」でしたが、今は自分として生まれてきてよかった(…まあ贅沢は言えないよな)と思っています。

今回のnoteは、私がどうやって自分を受け入れたのか≒どうやって自分を愛せるようになったのか。について書きたいと思います。私が20年前から現在に至るまで、何度か繰り返してきて、割わりとうまくいったなと思う方法です。

20年前の私と同じように苦しんで生きている人がいたら、ぜひ試しに読んでいただきたいです。ですから、出来るだけ多くの人に汎用性があるような形で書いてみます。

これから書く内容を箇条書きにするとしたらこんな感じです。

▶︎1.自分を公平に評価してくれる場所(または人)を見つける
▶︎2.“自分”を知る
▶︎3.挑戦する
▶︎4.挫折する
▶︎5.自分の価値を高める
▶︎6.自分の”気持ち”と向き合う
▶︎7.誰かの役に立つ
▶︎8.愛される
▶︎9.赦す
▶︎10.愛する

今回も長くなりそうですが、いってみましょう。


▶︎1.自分を公平に評価してくれる場所(または人)を見つける

あなたが今「環境に恵まれている」と思えるのならこれはスキップしてもいい項目です。でも、もし「周囲から不当な扱いを受けている」と感じ、傷ついているのなら、ぜひ一度試してみてください。家庭、学校、職場、サークル、ボランティア、趣味、恋人、友達、どこでも、誰でもいいのです。新しい世界を見つけてください。「不当な扱いを受けている環境」からどうしても離れることができないのなら、新しくプラスするだけでいいです。あなたを「肯定的に」受け入れてくれる場所をひとつでいいから確保してください。そして「公平な」評価を受けることのできる自分を知ってください。

人間は集団の中で組み込まれてしまうと、途端に残酷になったり、良心を忘れて保身に走ったりします。誰かが運悪くスケープゴートになってしまうことだってあるのですが、そういう時被害者はそれに気づけなかったりするのです。家庭内暴力の中の子どもはなおさらです。外の世界をまだ知らないからです。「自分が悪いからこうなっている」と信じ続けて、自分が壊れるまで自分を責め、周囲を恨み続け、その環境にしがみつくしかないのです。そんな環境ではどうあがいても自分を認めることなどできません。ましてや愛することなど。まずは一歩外に出て、客観的に自分のいる環境を見る必要があります。

ちなみに私の場合は、小学校高学年の時にできた「親友」が初めての「自分を公平に評価してくれる場所」でした。「お前は可愛くない、本当にバカだ、出来が悪い、性格も歪んでいる」と刷り込まれ続けた”家”と、そっくりそれを演じ続けた“学校”の外で、同じように不当に扱われてきた同い年の女の子(12歳にして茶髪でした)と出会い、互いに吸い寄せられるようにして仲良くなりました。そこで初めて、「あんたそんなに悪くないよ、面白いやつじゃん」と言ってもらえた気がして、世界が急に鮮やかになったのを覚えています。


▶︎2.“自分”を知る

これは1と繋がっているのですが、「自分を公平に評価してくれる新たな環境」の中で、相手もしくはその環境にいる人たちから「公平なフィードバック」をもらって、自分をゆっくり知っていってください。それは例えば友人からの

「Hinaって一緒にいると落ち着く」
「時々マイナス思考なとこあるよね」

といったさりげない一言からでもいいですし、趣味やサークル仲間との活動の中での自分の得意・不得意やしっくりくるポジション、苦手なシーンなどを体験しながら身を以て知っていくのもいいと思います。自分が相手にとってどう映るか、集団の中にどう存在するかを、リアルな関係の中で試行錯誤しながら学んでいくことが重要だと思います。

あなたをただひたすら否定するだけの環境に置かれていると、「お前はダメだ、ブスだ、無能だ」というメッセージを受け取るだけで、『どんなところがどうしてダメなのか、どう見られているのか、ブスならどうしてブスなのか、何ができて何ができないのか』ということは全く知ることができません。おそらく周囲も教えてくれないでしょう。でも、『どんなところがどうしてダメなのか、どう見られているのか、どこがどうしてブスなのか、何ができて何ができないのか』がわかれば、それは上に登るための“とっかかり”になります。ただ単に過小評価されていただけの場合も、本当に自分にいくらか問題があった場合も、抜け出すにはまず自分を知ることから始める必要があるのです。

私の場合は、幼少期の「可愛くない、本当にバカだ、出来が悪い、性格も歪んでいる」という評価(刷り込み)から、
・太っている、眉毛・髪の毛などの手入れが十分でない、自分に似合う服やイメージがわかっていない
・文系科目は得意だが理数系や暗記モノは苦手。英語・国語は問題ない。数学と歴史は勉強が必要。
・問いかけや指示に対して萎縮してしまいすぐに動けない。安全な環境であればそれなりに動ける。
・周囲の顔色を伺いすぎてマイナス思考になり、被害妄想的で自分のことしか頭にない。
・いつも不安げで沈んだ表情をしており、笑顔を見せることも場を盛り上げることもなく周囲まで暗くする。

といった、いくらか客観的な自己理解が進みました。


この“自分を知る”というステップは、おわかりの通りわりと辛いです。でも、本当に本当に本当に大切です。自分は常に変わっていきます。折に触れて向き合い、振り返り、自分自身を知る努力をするべきです。自分を知らなければ、自分を認めることも、自分を変えることも、愛することもきっとできないでしょう。

私自身もよく見失うので、時々振り返って客観的に自分を見るように心がけています。自分を責めるのでも、擁護するのでもなく、なるべくフラットな目で。


▶︎3.挑戦する

これは2に続くステップです。自分をフラットな目で知ることができたら、“いいところ””悪いところ”もよくわかってきたはずです。(“悪いところはなかった、これで十分”という人もいるでしょう。そういう人はこのステップはスキップしましょう。特に大人になればなるほど、あなたが努力すればするほど、“目立った悪いところ”は減っていくものと思います。)

自分を知ったら次にやることは自ずと見えてきます。それは「悪いところ」「納得いかないところ」を改造すること。こう言ってしまうと少し乱暴な印象なので言い換えましょう。つまり自分の力で変えられそうな”悪いところ”を変える、よりよくする「挑戦をする」ということです。

例えば私の場合(思春期)は、
・太っている、眉毛・髪の毛などの手入れが十分でない、自分に似合う服やイメージがわかっていない
→筋トレ、有酸素運動、ストレッチ、マッサージ、食事制限、運動部入部。
→親友に教えてもらいながら美容を学び、セルフケアを習慣化。
→雑誌を読み込んで“センスのいい人”“なりたいと思う人”を真似る。

・文系科目は得意だが理数系や暗記モノは苦手。数学と歴史は勉強が必要。
→苦手科目に重点を置き、勉強を習慣化。週末に図書館にこもるなど。
→地元でいちばんの進学校を志望校に据えて自分のいるレベルとのギャップを埋めていく。

・問いかけや指示に対して萎縮してしまいすぐに動けない。安全な環境であればそれなりに動ける。
→「相手は攻撃しようとしているわけじゃない」と言い聞かせ、小さなトライ→成功→トライ→成功を繰り返す。

・周囲の顔色を伺いすぎてマイナス思考になり、被害妄想的で自分のことしか頭にない。
→「自分が傷つくかどうか、自分が攻撃されるかどうか」よりも、「相手を守る、相手を助ける」ことにフォーカスする。

・いつも不安げで沈んだ表情をしており、笑顔を見せることも場を盛り上げることもなく周囲まで暗くする。
→背筋を伸ばし、なるべく明るい表情を心がけ、話す必要のあるときは周囲を笑わせたり楽しませる。

といった感じでした。今振り返ると顔から火が出そうですが、当時はこれがわたしの精一杯でした。


▶︎4.挫折する


「え、挫折?」と思うかもしれませんが、このステップは、自分を認め、愛するために非常に重要だと思います。失敗する、と言い換えることもできるかもしれません。これ、ステップ3の後にぜひとも到達してほしいステップなのです。

なぜ「挫折する」ことが重要なのか。それは、その時点での「自分の限界」がわかるからです。このステップを抜かしてしまうと、


「本気でやれば成功したかもしれないのに…」
「私には才能があったかもしれないのに」
「勇気を出したら違う未来が待っていたかもしれないのに」

と、いつまでも過去の自分を悔やんでしまいます。そして、もう確かめようのない可能性にすがって、自分のプライドを守ることにエネルギーを費やしてしまうのです。

「やらずに後悔よりやって後悔」という言葉がありますがまさにその通り。挫折は、あなたが行動し、挑戦した証拠なのです。もちろん成功もたくさん得られるでしょう。でも、「届くかどうかギリギリに手を伸ばした結果、届かなかった」という体験は非常に重要だと思います。これによって、「自分はここまではできたけど、これ以上はできなかった」という線が引けるのです。


例えば私(思春期〜青年期)の場合、
・筋トレ、有酸素運動、ストレッチ、マッサージ、食事制限など。
・美容を学び、セルフケアを習慣化。
・アンテナをはり、センスを磨く。
⇨42キロまで痩せたが、それ以上は苦痛。胸もなくなる、食事が楽しめないのでやめた。 
⇨手入れも美容も楽しいが、過剰なのは違和感。時間が勿体無いし必要ない。 
⇨欲しい服は高すぎる。多くの色は使いこなせない。好きだけどシンプルに落ち着いた。
・勉強を習慣化。週末に図書館にこもる、学歴にこだわる。
⇨勉強は好きになったが、のめりこみすぎて人に辛くあたるし調子に乗りすぎてT大の二次試験であっさり落とされた。でも、諦めず頑張ればわりと届くことを知った。

・「相手は攻撃しようとしているわけじゃない」と言い聞かせ寛容になる。小さなトライ→成功→トライ→成功を繰り返す。
⇨80%はうまくいくが、20%は相手が本当に攻撃してくる。全部は受け入れられない。相手を見る必要がある。

・「自分が傷つくかどうか、自分が攻撃されるかどうか」よりも、「相手を守る、相手を助ける」ことにフォーカスする。 
⇨相手のことばかり考えすぎると自分を守りきれない。主張は必要。どちらもバランスよく考えるしかない。

・背筋を伸ばし、なるべく明るい表情を心がけ、もし話す必要のあるときは周囲を笑わせたり楽しませる。 
⇨もともと内向的なのでずっと人と一緒に笑っていられない。「一人が好き」スタイルを周囲に理解してもらい、そのかわり関わる時は感じよく、相手を楽しませるようにした。

ハハ…引き続き恥ずかしいですね。でも「挫折」した結果、「自分の限界を知り、ちょうどいいところを見つける」という感じでしょうか。納得のいく折り合いの付け方を学んでいく感じです。


▶︎5.自分の価値を高める

これは、2〜3の全てのステップの結果、進むことができるステップです。
▶︎2.“自分”を知る(いいところ、悪いところ、変えたくないところ、変えたいところ、変えられるところ)▶︎3.挑戦する(自分で納得いかない“悪いところ”を克服するために)▶︎4.挫折する(自分のその時点での限界を知るために)

この繰り返しが、▶︎5.自分の価値を高めることに自然とつながります。だってそうでしょう、容姿、性格、技能(仕事)全てにおいて、この繰り返しを行なってきたあなたは、自分が昔と比べて随分遠くまで来たことに気がつくはずです。大切なのは、とにかく自分の現状を知り、なりたい自分に向かってアクションを起こすこと。


「職場で笑顔で挨拶する」
「自分の仕事に最後まで責任を持つ」
「自分の興味のあることを学ぶ」


どんなに小さなことでもいいのです。誰にも気付かれなくてもいい。達成するのに締め切りもなければ報告もありません。でもこの小さな行動の積み重ねが、あなたを変えるのです。
また、この状態は、あなたを常に「今できる限りのベストな自分」でいさせてくれます。

だから、「なんで私ってこうなんだろう」「どうして変われないんだろう」という自責的な思いから解放されるというメリットもあります。だってあなたは今まさに、「いい方へ変わる道の途中」を歩いているのですから。


▶︎6.自分の”気持ち”と向き合う

これは、1〜5のステップと同じくらい大切なことです。例えばあなたの人生を、RPGゲームのようなものに例えるとしたら、
1のステップは新たな旅路への出発、2〜5はひたすら修練。経験値を上げて、装備を整えていくこと。そして▶︎6自分の気持ちと向き合うは、「行き先を確認すること、この旅の目的地を確かめること」です。

平たく言えば「自分がどんな人生を送りたいのか」「何にプライオリティをおいて生きていくのか」といったことを、折に触れて自分に尋ねるということです。

これは実はここにあげるどのステップよりも大切なことなのです。だって、どんなにレベルを上げて、強く立派な剣士になっても、「俺、別に魔王が倒したい訳じゃない…」と思っているのであれば、それは幸せな登場人物とは言えないでしょう。

自分という人間をある程度うまくハンドルできるようになったら、ぜひ取り組んでいただきたいステップです。急に「自分がどんな人生を送りたいのか」「何にプライオリティをおいて生きていくのか」なんて、答えを出すのは難しいかもしれませんが、普段から「自分がどんなものに心を惹かれるか、魂を揺さぶられるか、熱くなるか、楽しめるか、面白いと思うか、心地いいと思うか、幸せだなと感じられるか」に耳をすませておくことが大切だと思います。同様に「どんなものが嫌いで、何が許せなくて、何を遠ざけたいか、何を不快に思うか、何を不幸だと思うか」を知ることも大切です。

2.の自分を知る、のステップともよく似ていますが、2は客観的な評価、6は主観的な心の声をきくステップであるという点で異なります。


7.誰かの役に立つ

「自分を愛するために誰かの役に立つ?」と戸惑われるかもしれませんが、人は(基本的には)社会の中で生きていく動物です。例えあなたがどんなに人間的に成長し、コミュニケーションを学び、資格やスキルを得ても、この世界にあなた一人しか存在しないのであれば、それを活かすことはできないでしょう。

別に直接的でなくてもいいのです。間接的でもいい。あなたが生み出したもの、関わったプロジェクト、所属したチームを通して、自分以外の誰かのためになることが、結果的に自己効力感を高め、社会や他者とのポジティブな繋がりを感じさせてくれます。

もちろん、全ての人をケアする必要はありません。無理する必要もありません。あなたのできる範囲でいいのです。手の届く範囲でいい。困っている人を少しだけ手伝ったり、落ち込んでいる人に声をかけたり、元気付けたり、何かをお祝いしたり、手紙を書いたり、そんなことでいいのです。

特に、「自分にとって大切な人」は念入りに。家族でも、そうでなくてもいいでしょう。友人、恋人、上司、同僚、きょうだい、あなたの大切なその人は、あなたが思っている以上にあなたの存在価値や自己肯定感に大きく関与しているのです。


▶︎8.愛される

1〜7までを経てきたあなたは、間違いなく魅力的な人間になっているはずです。あなたが自分を愛すことがまだできなくても、他人はあなたを既に愛しているでしょう。ここでいう“愛される”とは、欲求のために消費されるような異性からの“一時の好意のようなもの”とは異なります。本当に、人として、慈しみ、大切に思われるという意味での“愛”です。

本当はこの▶︎8.愛されるは、幼少期に両親などからたっぷりと“無償の愛”として受け取ることが理想ではあるのですが、全ての人がそれに恵まれるわけではありません。そうすると、後天的に獲得する必要があるのです。“愛されたことのない”人はとっても不利です。マイナスから人生をスタートさせなければなりません。

でも、悲観する必要は全くありません。1〜7を乗り越えてきたあなたは既に、“愛されるべき”存在に生まれ変わっています。何の遠慮も要りません。素直に、浴びるようにいっぱい愛してもらい、大切にしてもらいましょう。
そしてこの時、7にあげたような「相手の役に立つ」ことも忘れずに。

個人的には、過去に辛い思いをしてきた人ほど、そしてその後努力してきた人ほど、後天的な愛に恵まれるような気がします。それはおそらく、人の辛さや傷つきがわかるから。そして愛のありがたさをわかっているからではないかと思います。

▶︎9.赦す

これは別にこの順番でなくても良かったのですが、自分を受け入れ、認めていく上で、常に非常に重要なポイントです。

「何を」赦すのか?
自分を、です。

親の理想に応えられなかった自分、自分の期待を裏切った自分、取り返しのつかない失敗をしてしまった自分、能力不足だった、傲慢だった、人を傷つけた、弱かった、耐えられなかった、約束を守れなかった、自分を、です。

どんなに向上心を持って志高く生きていても、うまくいかないことはあります。どんなに誠意を尽くしても伝えられないこともあるし、認めてもらえないことも。運悪く努力が水の泡になってしまうことだってあります。全力を尽くしても届かないことがあるのは、▶︎4.挫折するで体験した通りです。

そういう自分を、情けない自分を、足りない自分を、まるっと赦してあげること。優しく抱きしめるように慰めてあげること。

これは非常に難しいことですが、1〜8の努力を重ねてきたあなたなら、できるはずです。

そう、この「赦す」という行為、ただ「できなかった自分を受け入れよう、赦してあげよう」と何のプロセスもなく突然思ったってそう簡単にできるわけがないのです。そこに至る道の途中に、自分を知って、よりよく生きようと努力してきた過程があってこそ、初めて“できなかった”自分を赦すことができるんだと思うのです。

▶︎10.愛する

いよいよ最後のステップです。これは私も挑戦中なので、書きかけで終わってしまうかもしれませんが。。。

私の結論として、自分を愛するために大切なのは、

自分を知ること、自分の気持ちに向き合うこと、そして自分の望みを知り、能力を知り、“こうありたい自分”に向かっていま何ができるかを常に問い続けること。そして、それでも完璧になれない自分を赦すこと。

だと思います。

自分の気持ちに嘘をついたり、過去の傷つきを言い訳に挑戦から逃げたり、自分を知ることから目を逸らしていたら、いつまでも自分自身から逃げ続けることになります。それでは自分を愛するどころか、見ることすらできません。

人はみんな独りぼっちです。生まれてくる時も死ぬ時も独り。誰も本当の意味で他者を理解できないし、してもらうこともできません。

だからこそ、たった1人の自分の、唯一の理解者になる必要があるんだと思います。

まずはあなた自身があなたを知って、心の声を聞いて、何を望んでいるか、何ができるかを理解してあげなくては。

Hinaさん、ご自身のこと、ぜひよく理解して、大切になさってあげてください。あなたはきっと、これまでの人生の中ですでに、自分に愛されるに足る自分になっているはずです。



Hinaさん、私のお返事はこんなところです。

長々とお付き合いいただいて、ありがとうございました。

Hinaさんが自分を愛せない、受け入れられないと感じたとき、自分が嫌いでしかたないとき、このnoteがほんの僅かでもお役に立てることがあれば本当に幸いです。

そして、このnoteを読んでくださった全ての人へも、同じ感謝とエールを送ります。






いつもありがとうございます。あなたの貴重な時間やお金を、このような形で私に使ってくれること、すごいご縁だと感謝しています。私の力の源です。