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点と点をつなげながら、一本の線をひくように:自分の生きたい人生を生きる


だいぶ春めいてきましたが、皆様いかがお過ごしですか。

今回の月間マガジン、割と大胆なタイトルをつけてしまったのですが、
これ本当に、私にとっては永遠のテーマなのです。

私は普段の仕事で(よく考えたら昼も夜も)病んだり迷ったりしている人のお話をお聞きすることが多いのですが、
累計1000人とかになってくると、だんだん“病む”ことの本質みたいなものがわかってくるのですよね。

もちろん器質的な精神病の人はまた違うお話になってしまうのですが、
私がここで取り上げたいのはいわゆる神経症圏の人です。元来健康な人がストレスによって調子を崩してる状態といいますか。

そういう人の多くは、根本的に「自分」がわからなくて、どこに向かっていいかわからなくて、苦しんでいるように思うのです。
自分がどんな風に生きたらいいか、何を目指したらいいか、わからない。わからないけど生きてくのってものすごく大変で。
わからなくても周囲に求められ、制限され、負けないようにはみ出さないように、マトモに生きていかなきゃいけない。
それって本当にハードなんですよね。「どういう意味があるのかもわからないけどこんなに辛い人生を生きなきゃならない」という状況。

一方目標がある人、意義を感じられている人は、たとえ同じストレスを受けていたとしても、病むことが少なかったりします。
強度が全然違うのですよね。雨が降っても槍が降っても、「これは意味のある苦痛なんだ」「ちゃんと自分の血肉になるものなんだ」と思うと耐えられたりする。

病む人の中には、カウンセリングの中で「自分の方向性」とか「こんなもののために生きたい」というのを見つけることで、見違えるように元気になっていく人がたくさんいます。
そういうケースを見るたびに、「人生の意味」って、それだけ大切なものなんだなと実感しています。

最近も大事な友人に「つかふる〜!私の人生ってなんなんだろ〜!!もう生きてくのいや〜」と大泣きされて、こういう風に苦しんでいる女性に向けて何か書きたいなと思っていたところだったのです。

そんなわけでちょっと、「自分の人生を生きる」ことについて書いてみたいなと思ったのです。



ところで私は、「自分の人生を主体的に、生き生きと生きられるかどうか」って運も大いにあるなと思っていて。
例えば、幼少期にどんな育てられ方をしたかとか、どういう環境・時代に生まれたかとか。それとどんな性格を持って生まれて来たかという組み合わせの相性にもよると思うんですよね。

自由に探索するとか、自分の意見を主張することが許されずに、「ああしなさい」「これはダメ」と厳しいレールを敷かれてしまってきた人は、今さら主体的に生きろと言われてもなかなか難しいものです。だって道はこれまで他人が敷くものであって、自分が敷くものではなかったわけだから。
自分の感覚とか考えが、特に意味のないものとして退化してしまっているわけです。そうしなければ生きてこれなかったから。
そうなると割と大変です。

でもこれって性格との相性もあって、例えば引っ込み思案で、不安が強くて、失敗が怖い、誰かに決めてもらった方が楽、ある程度のレールの上を走りながら、その範囲内で自分の楽しみを見つけていくくらいがいい。
というタイプの人には大変快適なわけです。
だから大人になっても、大企業に入ってコツコツと出世するとか、家庭に入って専業主婦になっていいお母さんになるとか、それで幸せに生きていける。

でも、「本当はこうしたかった」「何か違うとずっと思っていた」という強い自我があって、それを外部の力で曲げられて来ちゃった人は辛いわけです。
そういう人は、大人になってから「自分探し」をしに行ったりするのですよね。

今回はこの、大人になってからの自分探し、改めて何やりたいんだっけ?どう生きたいんだっけ?と振り返る人のためにnote書いてみました。

まず、これ関連ですっごくいい本を見つけたのでご紹介させてください。

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