見出し画像

非営利のボードで活躍するビジネスパーソンインタビュー ~ ベネッセこども基金 青木智宏さん(前編)

ボード&ガバナンスについて学んでゆくインタビュー第5弾

~これまでの経緯~
WITでは2016年から、ボード&ガバナンス研修を開始、非営利組織の代表・理事・スタッフ・ボランティアの方や、社会貢献に興味がある/関わっているビジネスパーソンの方に受けていただいております。その中で、日本の事例をもっと学び蓄積していきたいね、という声が多く上がり、この記事のシリーズを始めることにしました。

 株式会社ベネッセコーポレーションでグローバル教育や学童事業の立ち上げなどに携わったのち、現在公益財団法人ベネッセこども基金へ出向中の青木智宏さん。財団でのお仕事の傍ら、5つの非営利組織の活動にも関わっておられます。

 複数の組織を行き来しながら、日本の子どもたちや教育の未来のために活き活きとお仕事をされている青木さんに、ビジネスパーソンがどうして非営利にも関わるようになったか(前編)、そして、そこからどんなことを得ているのか(後編)、お話を伺いました。

 前後編に分けてもたっぷりの記事ですが、会社づとめの方が非営利組織に関わるようになる様子をお伝えしたかったので、ご関心のある方お読みいただけたらうれしいです!!

ー 聴き手・文責:山本未生、 記録:三瓶巧

青木 智宏さんプロフィール: 公益財団法人ベネッセこども基金 企画担当リーダー。東京都町田市出身。(株)ベネッセコーポレーションのグローバル部門、学校部門を経て、2018年より現職。助成事業の他、自主事業にてNPO等と連携して、「重い病気を抱える子ども」や「経済的な困難を抱える子ども」の学び支援などを担当。

画像1

「日本の教育をもっと魅力的にしたい」とベネッセに就職

 東京出身で、高校までは公立の学校に通っていましたが、アメリカの大学に進学しました。そこで成績のつけ方に衝撃を受けたのが、教育に関心をもったはじまりでした。日本とは正反対で、先生が授業で言ったことを解答に書いても試験では評価されず、自分の意見を書くように求められる。受け身ではなく自ら調べる学習方法だったので、嫌いだった教科もアメリカでは好きになりました。

 この経験から、日本の教育をもっと魅力的にしたいと考え、教育系企業に就職活動。ベネッセに入社後は、英語教育、幼児教育、学習塾提携、学校のICT教育、自治体の公営塾や学童の運営などを担当してきました。現在はベネッセこども基金で、NPOなどと連携しながら、子どもを取り巻く社会課題の解決に取り組んでいます。


「違和感」がはじめて非営利組織の運営に関わったきっかけ

 仕事では、いろいろな日本の教育現場で違和感をよく感じました。学力だけの序列化、大人と子どもの上下関係、自由度や寛容度のなさが、子どもたちに圧力を与えすぎているように感じたのです。これは誰かが悪いというよりも、システムの問題、つまり社会課題だと捉えるべきだ、と考えるようになりました。

 当時はTwitterで似たような違和感を持つ人たちとも繋がりやすくなっていて、夜な夜な意見交換が繰り広げられていました。著名な方たちともフラットに交流できて、楽しかったですね。その中で出会ったのがふたりの保育士でした。後にオトナノセナカを立ち上げた小竹めぐみさんと、小笠原舞さんです。(現在は、こどもみらい探求社の共同代表)

 彼女たちは、保育園の子どもが「うちはタワマンの◯階」とか「うちの車はベンツ」と口にすることに衝撃を受け、「子どもたちのためにもっと素敵な大人たちの背中を増やしたい!」という願いからオトナノセナカを立ち上げました。当時は任意団体で、子育てイベントや対話ワークショップを開催していました。

 その頃、私も似たような衝撃を受けていました。子どもが小さいうちは遊びや自然体験を大切にしていたママさんが、数年後に「偏差値ママ」に変わってしまい、お友達を学校名で「序列化」するような言動にショックを覚えたのです。もちろん親が子どもの成功を願う気持ちはわかりますが、それが本当に子どもの幸せにつながっているのか、視野や選択肢が狭すぎないか?という違和感を抱えていました。

 オトナノセナカのビジョンに共感した私は、自分の子どもと一緒にイベントに参加するようになりました。そこで保育士の観察眼やノウハウのすごさを知り、彼女たちの情報にはとても価値があると感じて、教育系のイベントでも登壇してもらうこともありました。数年後、法人化のタイミングで「理事をやらないか」と声をかけてもらったのが、非営利組織の運営にはじめて関わるようになったきっかけです。

東日本大震災をきっかけに震災遺児支援団体の理事に

 その後も、イベントやSNSなどをきっかけに多くの非営利組織と交流がありました。そのビジョンに強く共感した団体とは、何年も継続して交流させていただいています。

 現在、公式に理事として関わらせている非営利組織の1つが一般財団法人学習能力開発財団LEADです。代表の畠山明さんは、仙台で家庭教師の会社を経営されており、仕事を通して知り合いました。畠山さんは元々小学校の教員でしたが、発達障害の子どもと出会い、個別でサポートしたいと会社を立ち上げました。そのソーシャルなビジョンやお人柄に惹かれて、仙台に行くたびにお話をうかがうのが楽しみでした。

 その後しばらくして、東日本大震災が起こりました。畠山さんは震災で親を亡くした子どもたちのために、いち早くアクションを起こされました。ご自身の実家や会社も甚大な被害を受けており、まったく先が見えない中でのことです。私も仙台には数年住んでいたため他人事とも思えず、何かお役に立てることはないかと思っている中でしたので、畠山さんから震災遺児の学習支援や進学サポートをするために一般財団法人を立ち上げるので理事をやらないか、という打診をいただいた時は、二つ返事で受けさせていただきました。


名もなきソーシャル活動に光をあてる「ソーシャルごはん」

 東日本大震災より前の話になりますが、日本ではNPOはまだ少なく、社会課題も今ほど光があたっていませんでした。ただ子どもの貧困問題や、いじめ・虐待などの問題はもちろんすでに存在していました。

 あまり知られていませんが、地方の学習塾(特に地域に根ざした塾)の中には、虐待にあった子どもたちを保護するシェルターの役割を果たしたり、今で言うフリースクールや子ども食堂のような、ソーシャルな活動をされているところがいくつもありました。

 ただ、残念なことに、地方では出しゃばったことをすると叩かれやすく、活動が継続できなくなったという話もよく聞きました。私はこのような社会課題もろくに知らないで、日本の教育をよくしたい!と言っていた自分の反省も込めて、塾長さんたちのソーシャル活動のお話を聴く会を都内で何度か設定しました。その活動に価値を感じる人とのつながりが増えると、「いいね!」が増えて、活動を継続するチカラになると考えたからです。

 やがて塾長に限らず、ソーシャルな活動をしている人、特に若い社会起業家やスタートアップのNPOなどもお招きするようになりました。これを仲間たちとは「ソーシャルごはん」と呼んでいました。東京には多忙な企業人が多いですが、そういう人たちにこそ繋がって欲しいと思い、誰でも食事はするだろうと「ごはん」を食べながらソーシャルなお話を聴くというスタイルにしました。

 5年間で約70名の方に登壇してもらいました。Facebookのイベント機能ができた頃は予想以上に拡散されて、30人上限のレストランに倍以上の人が来てしまい、お店の方に怒られたこともありました(笑) ただ、どの登壇者も参加者もみなさん気持ちいい方ばかりで、私が後に非営利セクターで働きたいと考えるようになったのは、この頃の影響が大きいです。この頃のネットワークからはその後もいろいろなご縁が生まれており、今では大切な財産です。

画像2

「放課後プロジェクト」をきっかけにCFAの理事に

 「ソーシャルごはん」で社会課題を知れば知るほど、ベネッセの本業でももっと自分にできることはないかと考えるようになりました。そこで公教育に関わる部署に異動し、子どもがもっと安心して「子どもらしい」時間を過ごせるようにと「放課後プロジェクト」の立ち上げメンバーになりました。

 結論から言うと、プロジェクトは高い理念を掲げたものの、目指した成果には届きませんでした。学校や行政などはステークホルダーも多く、現状のやり方やルールを変えることの難しさを身を持って学びました。同時に、その課題に継続的に取り組んでいる団体をよりリスペクトするようになりました。

 全国の学童の現場を見てまわる中で、特に感銘を受けたのが「NPO法人Chance For All」(CFA)でした。東京の足立区を中心にCFA Kidsという「こどもたちのための学童」を運営している団体です。代表理事の中山勇魚さんは、子どもたちを比較・評価をせずに、子どもたちにとっての理想的な居場所を作り続けていました。

 自分たちが学童の運営で苦労したからこそ、CFA Kidsがビジョンに沿った運営ができる凄さが分かったわけですが、次第に、保護者対応や人材の育成などに興味が出てきました。勇魚さんには、私が質問することばかりだったので、数年後に「うちの理事になりませんか」と声をかけてもらった時は驚きました。

 ちなみに同時に理事に就任したのが石川治江さん(特定非営利活動法人ケア・センターやわらぎ代表)でした。介護保険制度の仕組みを作るなど福祉業界にインパクトを与え続けてきた人なので、隣で話を聞いているだけですごく面白いし、学びになります。理事として金銭的な報酬を受けたことはありませんが、このような出会いが最高の報酬だと感じています。


プロボノとしての非営利組織との関わり

 他にはプロボノとして、ひとり親の母親支援団体や、不登校の子どもや家族支援をしている団体、病気で療養中の子どもに学びや遊びを届ける団体などに定期的に関わっています。テーマに関心があるのもありますが、ご一緒するメンバーたちが気持ちのいい人たちばかりなのが、長く続いている理由です。

  「本業もあるのによくできるね」と言われることもありますが、今はほとんどオンラインでのやり取りなので、体力的にも時間的にも負担感はありません。むしろ自宅にいながらあちこちの社会貢献に関われるなんて、いい時代だなと思います。

 ベネッセこども基金に来てからは、非営利組織から助成金や補助金の申請についてご相談をいただく機会が増えました。申請書を書く手伝いなどはできなくなりましたが、そもそもどうやって自分たちにあった助成金を探せばいいのかなどは、以前よりお役に立てるようになった気がします。まだまだ勉強中ですが。

 自分でも多動だなと思うことはありますが、助成を申請する側と助成をする側、理事とプロボノ、のように両方の立場を経験したからこそ、非営利セクターをより立体的に捉えることができるようになった気がしています。


インタビュー後編は、こうして出会ってきた団体の理事として、青木さんがどのように関わっているのか、理事に関心のある社会人へのメッセージを伺います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?