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I want hear me 生活はできそう?

 今日はスカートを履いて自転車で出かけていたら路面凍結に気づかなくて転んで膝を擦りむいた上に道でスカートが脱げかけて本当に最悪だった。歩行者が近くにいなかったことだけが救いだ、車に乗ってる人こっちを見ていなかったならいいなと思う。

  ドラム練習をしていたら持ち方が下手なのかなんなのかは分からないけれど手に水脹れができてしまって、今日は怪我ばかりしているなぁと思った。ついでに同じ学部の同じように孤独だと思っていた子が男の子と一緒にいた。心の傷まで揃ってちゃんと満身創痍だ。コンビニで氷や何やらを買ってひとりで飲んだりしていた。ここ数日全然寝れてなかったけれどアルコールを取ったら少し眠くなってきて偉大さを感じた。睡眠導入剤よりも残らなくて安価に手に入れられることはとてもいいと思う。それはそれとして頓服の安定剤は飲んだ。思っていたよりも減りが遅くて、最近の心はなんだか偉いなぁと自分のことなのに他人事のように思った。

  3日連続で映画を見に行った。今までは見る習慣がなかったけれど久々に見たらかなり良くてモチベーションがあるうちにと数本を続けて見た。
 見た中で良かったのはダントツで笑いのカイブツで、次点がPERFECT DAYSだった。
 
 笑いのカイブツは見ていて本当にしんどくて苦しかった。人間関係につまづいている人間の苦しさと、なにかに縋るしかない痛切さを追体験できた。よく「何をするかより誰といるか」とか言うけれど、人間関係に難がある人間にとっては何をするかが100%で、だからこそ何者にもなれない自分に苛立って自傷のような夢の追い方をしてしまうのだと思った。
居酒屋のシーンで、飲みの途中に主人公が暴れだしてしまうところがあった。その時に菅田将暉が演じる半グレ崩れが、「世間のための夢なのにそれで世間から自分が苦しめられているんやろ、しんどいなぁ、地獄やなぁ」と言いながら背中をさすっていて、私はそこでぼろぼろに泣いてしまった。彼はその地獄で生きて行け、と背中を押してくれた。夢や希望は全て地獄になる危険性を孕んでいる。なんなら恋や友情もそうなのかもしれない。他人に優しくするために、自分が認められる自分になるために、藻掻きながら、ときには自分の四肢を切るような感覚を持ちながら生きていくしかないのだと思った。

 PERFECT DAYSは打って変わって苦しさを内包しながら穏やかな日常を描いていて、主役を務める役所広司に強い憧れがあった。他人を介さずに穏やかな日常を送ることはとても難しい。けれど彼は小さな交流を噛み締めながら単調な日常を受け入れて、愛して、そうやって送っていた。Instagramストーリーの他人の飲みの写真に嫉妬してしまう自分とは程遠くて少し悔しかった。

 最近変な行動をとると一定数の人が心配をしてくれてとても嬉しい。ひとりで海に行かないとか、知らない人に会いに行かないとか、夜出歩かないとか、ODをしないとか。その類の説教は温かくて、私のことを少なからず考えていてくれて、でも私は自分自身を大切にできるほど強くなくてだから、怖くて受け止めきれないから、大抵の場合大丈夫だよ笑、とか言って流してしまっている。

 私はいい子じゃないから、他人に心配されているうちは生きといてもいいのかな、と他人に心配されて人の記憶にあるうちに駄目になってしまおうという感情を両方同時に持ち合わせている。最近はちょっとずつ生きるモチベーションが上がってきたけれど、自分の中の過去の自分の集合体の部分がそれを許してくれていなくて、ひねくれた行動を取ろうとしてしまう。もう子供じゃないし、やめた方がいいよな、と思うけれど染み付いたものらしく暫くは治らないかもしれない。いつか、もし私が30歳とかまで生きていたとしたら自分が陽の当たる場所で生きることを赦してあげたいと思った。




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