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Jリーグジャッジリプレイからキャリアづくりと組織づくりを考える

はじめに(いつも書いてること)

このnoteでは、「仕事でも私生活でも心をラクにする(ワークライフハック)」をテーマに文章を書いています。

※「ラクする」というのは、「心身に苦痛などがなく快く安らかに過ごす」という意味で使っている言葉であり、シンプルに「サボる」という意味ではありません。

今回の内容

最近ハマっているYouTubeコンテンツを紹介します。←サッカー好きはハマりやすく、サッカーを知らなくても、ぜひ観てほしいコンテンツです。

『Jリーグジャッジリプレイ』というコンテンツでYouTubeで観ることができます。

サッカーのJリーグが自ら制作しDAZN(ダゾーン)で配信中の、主にJ1とJ2の試合でのレフェリーの判定に対する疑問を議論・解説する番組『Jリーグジャッジリプレイ』がサッカーファンの話題を集めている。
Jリーグの原博実・副理事長やJFA審判委員会のメンバーが出演し、“誤審”として報道されたシーンも真正面から取り上げ、どうジャッジすべきだったのか意見をかわしていく。
MCのアナウンサー・桑原学さんの進行で、原副理事長とタレントの平畠啓史さん、JFA審判委員会の上川徹さんの3人が、視聴者からTwitterで「#Jリーグジャッジリプレイで取り上げて」とのタグをつけて投稿されたシーンを振り返り、ジャッジが正しかったかを検証していく。
※出演者は回によって違っていて、最近は平畠さんの出演が減っています。
※最近では、審判目線の解説者は、家本さんが務めることが多くなっています。←家本さんの紹介はこのnoteの後半部分で。

※引用記事:論争となったジャッジも真正面から議論
『Jリーグジャッジリプレイ』の人気に迫る

上記の引用部分で紹介した記事では、この番組への想いを原博実さん(インタビュー当時はJリーグ副理事長)が語っています。

ミスはミスとして、なぜそれが起きたかを議論したかったのです。
DAZNさんの協力も得て、様々な角度からの映像で、主審からなぜ見えなかったのかを検証しました。
「誤審」「誤審ではない」という結果だけではなく、再発防止のために何をすればいいかを番組で議論できたことも大きな意味があったと思っています。
起きたことからは逃げず、正面から取り上げる。
それが一番大事だと思っています。
オープンに、違う立場の人が様々な意見を言うことが重要です。
平畠さんは、一般のファンの視点から、僕は選手や監督をしていたから、そちらの目線で、指導者や選手に対して、「ここで手を出しちゃったらファウルをとられても仕方ない」というコメントもしています。
ただ、すべての前提として、レフェリーとその判定をリスペクトしています。
ミスがあったとしても、レフェリーの人格を否定するようなことはしません。
あくまで一つのジャッジに対して議論をかわす、それが大事です。

※原博実さんは現在、Jリーグ副理事長を退任されているようで、記事を書きながら調べて知りました。

原博実氏がJ2大宮の本部長に Jリーグ副理事長を退任(2022/04/12)J2大宮は12日、Jリーグの副理事長を3月に退任した原博実氏(63)がフットボール本部長に就任すると発表した。
現役時代は三菱重工でプレーし、日本代表では75試合で37得点した。
引退後はJリーグの浦和やFC東京を監督として率い、日本サッカー協会でも技術委員長、専務理事などを歴任した。

※原博実さんの紹介

原さんが出演されている回は個人的にとても好きで、上記のインタビューにも記載されていましたが、コメントの前提には審判や選手へのリスペクトが感じられるんですよね。

出演されている時はJリーグ副理事長という立場の時だと思うのですが(最近の回ではあまり見かけない)、責任ある立場としてJリーグをもっと良くしたい、もっといろんな人に知ってもらいたい、もっと盛り上げたいという意識を感じました。

原さんに限らず、この番組に出演される方は立場の違うプロ(実況のプロ、審判のプロ、プレーヤーのプロ、コメンテーターのプロ)が揃っているので、全ての話が面白いです。

プロがプロの目線でプレーを解説するので、視座が高く多方面からのコメントがなされてます。

良いものは「良い」、間違っている可能性があるものは「間違ってあるかもしれない」と素直にコメントして、それによってプレーを観る側の視線も揃っていくんです。

視聴者のサッカーを観る目が養われるというのは、とても良いことだと思ってます。

競技規則に沿ってプレーをする。

競技規則に沿って判定をする。

競技規則があるからこそ、観てる側も面白い。

ただ、競技規則があるから機械的に判定が下されるのではなく、最終的には人の主観で判断されることがあるようで、それもサッカーを面白くする要素なんだと思いました。

それは同時に、最終的に判定を下す主審にのしかかる責任の大きさを表しています。

際どいジャッジに視点が当たって、「これは・・・」と議論がなされる。

ある意味で、審判泣かせの番組だと思いますが、サッカー協会としてサッカーの質を上げていこうという覚悟を感じます。

この番組から学んだことですが、最終的な判定は、主審のサッカーに対する考え方に委ねられることもあるようです。

審判自身の『サッカー観』が求められるというのは、ビジネスにおいて最終的には自分自身の『仕事観』が重要であるということに似てるなと思いました。

現場でジャッジをしている審判団もそうですが、この番組に出演されている方自身もサッカーに対する信念を持ってるんだと感じることができるので、とても刺激になります。

これからも観続けていきます。

プロだとしても、大切なのはミスから学ぶこと。

この番組では、ミスだけじゃなくてナイスジャッジも取り上げられることがあります。

それも良いところ!

審判が何を考えながら試合をコントロールしているのかもわかったりするので、審判という役割の面白さを知ることもできます。

上述していますが、最近の回では、審判側の立場として家本さんが出演されることが多いです。

その家本さんが、『目指すもの』なのか『土台にあるもの』なのかということについて、以下の動画で言及されていました。

家本さんに関する記事も添付しておきます。

非常に良い記事だったので、内容を一部引用します。

引用したい部分が多く、長くなってしまいましたが、読んでいただきたいなと。

できれば記事リンクに飛んでいただき、全てを読んでみてください。

最近では「名前を聞いて安心できる審判」「選手と一番コミュニケーションをとる審判」「今一番面白い試合をする審判」という声をたくさん聞くようになりましたが、それはひとえに、誰よりも数多くの失敗を経験し、批判と失敗に向き合い、改善に改善を重ね、常に「サッカーの本質」を問い続け、その実現に挑戦してきたからだと思います。

2人のおかげで徐々に生気を取り戻した僕は、いろいろなものに落ち着いて向き合えるようになりました。
「ゼロックス杯の悲劇」とも冷静に向き合いました。
その結果、3つのことが見えてきました。
まずは、単純に技術的に未熟だったこと。
次に「プロ審判とはこうあるべきだ」と勝手に思い込んで、本来の審判の役割や目的を見失っていたこと。
そして、クビになるのが怖くて、評価ばかり気にして、選手とサッカーに向き合っていなかったことです。
「これを変えない限り、永遠に失態を繰り返す」そう思った僕は、自分の良いところは何か、ダメなところはどこで、どう改善するのか、プロの試合はアマの試合と何がどう違うのか……といった無数の問いを立てて、徹底して自己改革に励みました。
そして、古典や歴史書、学問書、偉人の本などを読んで、物事の考え方、捉え方、価値観を見つめ直す、原理原則を歴史や先人から学ぶ、自分だけでなく相手のことや全体のことも考えるなど、様々なことを学びました。

それから、スキルを高めるためにトレーニングも根本的に変えました。
以前は見た目も大事だと思って、筋トレをガンガンやって身体を大きくしていたのですが、“見た目の力強さ”を捨て、動きやすさ、シャープさといった効率性や機能性を高めるトレーニングに変えました。
あとは、武道とかクラシックバレエを学んでトレーニングに取り入れたり、バイクトレに没頭したり、身体の扱い方を研究したりと、それまでのサッカー界にはないトレーニングを独自で研究して、取り入れていきました。
この「それまでの自分を否定し、新しくつくり変える」という作業は、本当に苦行でした。
ですが、夏嶋先生と妻、そして僕を支えてくれた多くの仲間のおかげで、なんとか「新たな家本政明」を創りあげることができました。

日本の審判員は、フットボールや “Gameの精神” と向き合わずに、競技規則の表面的な部分ばかりを過剰に気にする傾向があります。
ハッキリ言うと、フットボールの本質が見えていません。
フットボールにとって大事なことは、皆がフットボールを楽しむことです。
フットボールは、激しく、知的で、美しいものです。
もちろん問題を起こすのは、いつも選手からです。
だからといって、審判が選手のリアクションや小さな出来事にいちいち過敏に反応して頻繁に笛を吹いたり、カードを出すことをフットボールは求めていません。
選手に共感し、スタジアムに共感し、フットボールに共感することが大事なのです。
最少の笛とカードで、最大の喜びと美しさを創り出すことが大事なのです。
これは、競技規則に書いてありません。
日本人は本当に議論すべき大事なことよりも、競技規則にある17条のことだけを議論し、曖昧さを捨てて白黒の正解だけを求め、上から言われたことだけを重視して、自分の考えを表現しません。
それではフットボールは良くなりませんし、誰もフットボールを楽しむことができません。
家本さん、あなたはとても “良いレフェリー” です。ただ、まだ十分ではありません。
もっと根本的な部分を改善できれば、あなたは “素晴らしいレフェリー” になれます。
そのためには、競技規則の表面的なことから自由になって、フットボールのフィロソフィに忠実になる必要があります。
今のあなたはそこが十分ではありません。
ですが、あなたはすでに気づいていますよね。
あなたがフットボールのために何をすべきかを。
“外野の声” が、あなたの気づきを邪魔するでしょうが、ひるまず前に進んで下さい。
フットボールは待っています。
あなたの新たなチャレンジを。
この話は、多くの日本人レフェリーにとって難しい話ですが、あなたなら私が言っていることの核心をわかってくれると思いますし、実現できるポテンシャルを十分もっています。
どうかフットボールの本質と向き合って、“真のレフェリー”になってください。
そして日本に本当のフットボールを根付かせて下さい。あなたなら必ずできます。
恐れずチャレンジしてください

※家本さんが、レイモンド・オリビエさん(イングランドのPGMOLという審判独立組織で全体を統括していたすごい方で、日本サッカー発展のためにJFAが専属契約していた)に相談した際にもらった言葉。

「ゼロックス杯の呪縛」から解放された僕は、「皆がフットボールを楽しめるレフェリング」「フットボールの競技力が向上するレフェリング」「顧客の創造ができるレフェリング」を追求すべく、試行錯誤しながら毎試合に臨んでいました。
問い続け、考え続け、仮説を立て続け、実際に試合でいろいろと挑戦し続けていく中で、見えてきたことがあります。
それは何かを「始める」「やる」前に「やめる」「捨てる」ことが大事だということです。
例えば、些細なことに過剰に反応するのをやめる、簡単に笛を吹くのをやめる、独りよがりの正しさや正確性の追求をやめる、といったことです。
やめた引き換えに、アドバンテージを積極的に採用する、選手の気持ちを考える、丁寧なコミュニケーションで選手と向き合う、見ている方が、今なにが起きているのか解るような行動を取る、といったことを心がけていきました。
この意識と行動によって、ファウル数は極端に減りましたし、ノーカードの試合も増えました。
そのことで、プレーが止まらない時間がかなり増えて、多くの方がサッカーを楽しみ、サッカーに集中できる環境を創りだせるようになりました。
その結果、観戦の満足度も劇的に高まっていきました。
さらに僕にとって追い風になったのが、2020年にJリーグが掲げた『ビジョン2030』の「激しくて、フェアで、エキサイティングな試合」でした。
この明確なビジョンのおかげで、審判としての “やること・やらないこと” がより明確になりましたし、選手も、見る方も、伝える方もそれを基準に、試合や審判を評価できるようになりました。
このビジョンのおかげで “僕自身のビジョン” も明確になりました。
それが「サッカーをもっと面白く、サッカーでもっと豊かに」というものです。
これは何も審判のパフォーマンスに限ったことではなくて、審判とかサッカーという枠を超えて、世の中の人と社会に貢献したい、自分の活動によって人々が、社会が明るく元気に豊かになっていってほしい、という僕の想いを言葉にしたものです。

とても深い記事でした。

これはサッカー関係者だけでなく、全てのビジネスパーソンに読んでほしい記事だと思いました。

「『目指すもの』なのか『土台にあるもの』なのかを認識しなければならない」ということを、上記に添付した動画で家本さんが話していました。

組織にも、ミッション・ビジョン・バリューとか経営理念や行動指針など、大切にすべきことや目指す姿が言語化されていることが多いです。

ただし、経営において大切になるのは、掲げているものが浸透しているかどうかです。

掲げているだけでは全く意味がありませんし、表面的なものであれば社員も定着しないでしょう。

そして、浸透しない1つの理由こそ、『目指すもの』なのか『土台にあるもの』なのかという認識が、人によってバラバラという事実があるんだろうなと思います。

『目指すもの』というのは理想の状態でもあるので、今はまだ到達していないけど、求め続けるものです。

『土台にあるもの』というのは、大前提として関わる全ての人が遵守したり徹底することが求められます。

この違いを勘違いしてしまうと、日々の意識と行動が変わってしまいます。

組織づくりやチームづくりにおいて「文化をつくろう」みたいな声掛けがあったりして、メンバー同士で話したことがある人もいると思います。

僕も経験があります。

ただその時に、『土台にあるもの』を『目指すもの』として議論が進んだり、『目指すもの』を『土台にあるもの』として議論が進んだりして、「そもそも全体が違うよね」という状況になることもよくある話だと思います。

家本さんは上記の動画で、『サッカー競技規則の基本的考え方と精神』について言及されていました。

競技規則に関わる人自身がどんな思想を持っていて、この『基本的考え方と精神』をどのように解釈していくのかというのは、とても大切だと感じました。

こういうことが明文化されているからこそ、ブレない軸を持って最終的な判断が下せるんですよね。

試合中の審判は、瞬間瞬間で即座に判断することが求められるので、この『基本的考え方と精神』を読み込んで、日常的に自分と向き合う必要があるんだろうなと思います。

上述しましたが、これはサッカーに関わる人だけの話ではありません。

全てのビジネスパーソンにも大切なことです。

組織に所属していれば、『目指すもの』と『土台にあるもの』が定義されているはずです。

個人で仕事をする人も、自分自身のポリシーやビジョンがあるはず。

『目指すもの』と『土台にあるもの』を頭に入れ、その違いも把握して、目の前の仕事と向き合う。

これは大切にすべきことだなと思い、家本さんの言葉を借りてこのnoteの後半部分を書いてみました。

感謝

今回も、読んでいただきありがとうございました。


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