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夫のご飯作りに関して【ひとり相撲】からの~幸せな核家族のための【提言】

先日の話です。

週末にたまたま、大きなの魚の切り身を安く買って、
半分をお刺身にして、残りの半分を竜田揚げにして白髪ねぎを乗せて、
他にピーマンのきんぴらを作ったり、ひじきの煮物を作ったりして、
なんか居酒屋みたーい♪ と思いながら
焼酎飲みながら晩御飯として食べたらすごく美味しくて、幸せな気持ちになりました。

そのとき、お料理することも楽しかったんです。
たまたま子供は二人とも機嫌よく夫としばらく遊んでくれていて、
私は久しぶりに心置きなくゆっくり料理ができたんですね。

平日の晩御飯は、子供二人と一緒に食べるので自分が食べる余裕があまりなく、ダイエットも兼ねて自分は食べないんですが、
その週末の料理以来、夫のご飯を作るのも少し楽しく感じて、
3日連続でそれなりのものを作っていたんです。

普段夫のご飯は作ったり作らなかったりで、作らないほうが多いんです。
なので作った日はLINEで彼に伝えると、彼は何も食べずに、何も買わずに帰ってくるという感じです。

そしてその3日間、楽しく料理していたはずなんですが、
思い通りに動いてくれない子供の相手にいつものように疲れて、
気づいたらドッと疲れていて、ひとりで勝手になんだか鬱々としてしまって。

嗚呼、これって【ひとり相撲】じゃね?と思ったんです。

夫にはさんざん八つ当たりして、
ご飯を作ったら何か反応して欲しいと伝え、
その日からご飯作りは以前どおり、作れたら作る、というスタンスに戻しました。

そして同時に感じたのが、自分の中にあるこんな気持ちでした。

これは、私が長年日本で【女】をやっている中で植えつけられたものだと思いました。

『気が利くこと』
『空気が読めること』
『内助の功、縁の下の力持ちに徹すること』

それが【デキル女】とされる社会で育ったなぁ・・・と実感します。

そしてそれが、いま私の首を絞めているわけです。

当初は、この【気が利く】【気を回してしまう】という気質は
DNAレベルのものなのかと思っていたんですが、
アメリカに住む姉はこう言いました。

「アメリカ人の女の人は、日本の女の人ほど気が利かない。
つまりDNAの問題ではなく、社会の中で植えつけられたものだと思う。」

「忙しいのはわかってるから、作ってくれなくても大丈夫。でも作ってくれれば嬉しい。」
こう言っている夫のご飯をずっと作っていないと、なんか悪いことをしているような気がして、たまに無理をしてでも作ってしまうのは、こういう理由からなんです。

でも本当は、こんなに忙しいときにまで、夫の世話をする必要はないはずです。
子供は世話をしないと満足に暮らせませんが、
夫は大人なので自分の面倒は自分で見れます。

今の超核家族時代では、
子育ての主導権を妻が握るのであれば、
夫が妻の夕食の世話をするくらいがちょうどいいのかもしれない。

ということで提言です。

大人のご飯は気が向いた人が作る。
作ってもらった人は毎回
「ありがとう、美味しかった」とちゃんと言うこと。

以上。


ありがとうございます。今後の活動の原資にさせていただきます。