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【アジカンショートショート⑦】割れない魚

 大学の友人たちとはぐれて辿り着いたのは小さな入り江だった。
 鬱蒼とした森を抜けた先に、まさかこんな隠れ家的な場所があるなんて。
 周りを崖に囲まれ、この一帯だけ丸い型でくり抜いたようなぽっかりと開けた地形で、白い砂浜と穏やかな海が目の前に広がっていた。
 せっかく一人になれたんだ。しばらく、のんびりするのも悪くない。
 決して広くはない砂浜の近くには、三角形の屋根をした木造の小屋がぽつんと建っていた。

「やぁ、お兄さん。観光の方かい?」

 ちょうど小屋からでてきた麦わら帽子をかぶった男性が僕に話しかけてきた。男性はよく日焼けをしていて、いかにも南の島育ちといった温和な口調だった。

「はい、大学の卒業旅行でこの島に」

「そりゃ、いいねぇ。友達は一緒じゃないんかい?」

「実は、はぐれてしまって」

「ははぁ、お兄さん。もしかして、本当は一人でゆっくりしたかったんじゃないかい? わかるよ。そういう時間も大切だからね」

 男性の問いかけに、思わず僕は動揺しそうになった。男性がニコッと笑うと、日焼けした肌におろしたてのシャツのような白い歯がよく映えていた。

「どうだい、のんびりと釣りでも」

 男性が親指で示した方を見ると、小屋の隣に木製の竿受けがあって、釣り竿が何本も立てかけてあった。

「魚が釣れるんですか?」

「そりゃ、海だからね。この入り江は天然の釣り堀になっているのさ。ほら、うまいこと岩で囲われているでしょう」

 確かに男性の言う通りだった。沖の海と入り江を隔てるように岩礁が連なって顔をだしていて、独立したプールのようになっている。

「やっぱり、この辺りの海ではカラフルな魚が釣れるんですか?」

「そうだねぇ、南国の魚は派手な色をしたやつが多いね。ホテルの晩飯じゃ、珍しい魚の刺身がでたでしょ? でもね、この入り江で釣れるのはもっと珍しい魚なんだ。ほら、あそこ!」

 男性が浅瀬を指さすと、何かが海面を飛び跳ねるのが見えた。
 胴体に太陽の光が反射してキラキラとしている。というか、その胴体には鱗がなくてツルツルしていて、その先の景色が透けて見えた。いや、あれは瓶じゃないか? ガラス瓶の胴体に魚の頭と尾ヒレがついているように見える。

「なんですか、あの魚は⁉ まるでガラス瓶だ」

「ボトルフィッシュだよ。この入り江に生息する魚で『割れない魚』とも呼ばれたりするんだ」

「魚の体が本当にガラス瓶だとしたら、あんなに高くジャンプしたり、岩礁にぶつかったら割れてしまいそうですけど」

「胴体の部分はガラス瓶なんだが、これがとにかく頑丈なのさ。実はボトルフィッシュには、不思議な言い伝えがあってね。ボトルメールってあるだろう? ガラス瓶の中に手紙を入れて海に流す」

 男性は海水で湿った砂浜に木の枝を使って、ボトルメールを説明するための絵を描き始めた。ガラス瓶の中に丸めた手紙が入れられ、瓶口にコルクで栓をする。ガラス瓶の両側には波線が引かれた。

「わかりますけど、言い伝えとどういう関係があるんですか?」

「ボトルフィッシュのガラス瓶の中に忘れたいことを書いた紙を入れて、栓をする。そのボトルフィッシュを海に放すと、忘れたいことをきれいさっぱり忘れることができるんだよ」

 男性は砂浜に描いたガラス瓶の底に魚の頭を、コルクの先端に尾ヒレを付け足した。

「まさか? そんなキャッチ&リリースをきいたことないですよ」

「ははは、そりゃそうだ。この島に古くから伝わる伝説だからね。手紙を守るために、とても頑丈な体になったって話さ」

 にわかに信じられない話ではあったが、ボトルフィッシュの浮世離れした姿を見ると、不思議な力が詰まっていてもおかしくはないような気もする。

「ボトルフィッシュを釣ったら、書いた手紙を入れて、海に放すことができるわけですか?」

「おぉ、興味を持ったかい。刺身にはできないけど、ボトルメールを入れることならできる。ボトルフィッシュを釣るには、釣り竿ともうひとつ、こいつが必要でね」

 男性はポケットからT字型のモノを取りだした。木製の持ち手に金属製のスクリューがついている。

「これって、コルク抜きですよね?」

「大正解。ボトルフィッシュは、こいつが大好物でね。まぁ、やってみればわかるさ」

「そういうことなら……、釣り方を教えていただけませんか?」

 僕は男性からボトルフィッシュ釣りを教わることにした。
 釣り竿を受けとると、釣り糸の先端にコルク抜きをきつく結びつけた。男性から少し間隔を空けて波打ち際に立つと、男性の動きにならって、釣り竿を後ろに振り上げて海へと投げた。
 ポチャン、と水面にコルク抜きが着水すると、辺りにはゆっくりとした穏やかな時間が流れ始めた。波の音、森の木々のざわめき、鳥の鳴き声がとてもよくきこえる。
 ボーッとして水面を見ていると、釣り竿の先端がグッとしなった。

「か、かかりました!」

「よしっ。慌てないで、泳がすだけ泳がして、魚の力が抜けたらリールを巻くんだ」

 男性の教えに従って、魚の引っ張る力に逆らわないよう、釣り竿の先端が軽くなったタイミングで僕は少しずつリールを巻いた。バシャバシャと水飛沫が上がり、抵抗を続けるボトルフィッシュが勢いよく飛び跳ねた。その光景を見て、驚いた。なんとコルク抜きが引っかかっていたのは魚の口元ではなくて、尾ヒレの部分だった。

「コルク抜きが尾ヒレに刺さっていますけど⁉」

「それでいい。ボトルフィッシュの尾ヒレとコルク部分は一体化しているのさ。ほら、もうすぐ釣れるぞ」

 リールを巻ききると、ボトルフィッシュは足元の波打ち際でピチピチと跳ねていた。正確には頭と尾ヒレが動いていて、ガラス瓶の胴体は動いていないようだ。

「本当にガラス瓶だ。ここからどうすれば?」

「このままだと、ボトルフィッシュは呼吸ができない。尾ヒレに刺さったコルク抜きを持って、ゆっくりと引き抜いてごらん」

 尾ヒレの動きに注意しながらコルク抜きの持ち手をつかむと、ゆっくりと力を入れて引っ張りあげた。スポン、という気持ちの良い音を立てて尾ヒレと一体化したコルクが抜けると、ボトルフィッシュはまったく動かなくなった。

「まだ、生きていますか?」

「安心しな。これで瓶口から呼吸をできるようになった。じゃあ、お兄さんに忘れたいことがあるなら、紙に書いて詰めてみるかい」

「お願いします」

 小屋のドア横に置かれた木製テーブルに、男性は真っ白な紙とペンを用意してくれた。
 僕はしばらく真っ白な紙をじっと眺めていた。
 僕の忘れたいこと。
 大学の友人たちと行き当たりばったりで町を散策して無駄に歩き回ったこと。
 酒場でどうでもいい話題を肴に盛り上がって朝まで飲み明かしたこと。
 友人たちと浜辺で砂風呂に入っているような写真を撮ろうと砂に潜ったこと。
 これまでの人生で経験してきた、取るに足りない無駄な思い出たちをスッキリ忘れて、自分にとって将来のためになる意味のあることだけを残しておきたいという気持ちだった。
 思えば思うほどに、不思議とペンは走りだして、真っ白だった紙も気がつけば真っ黒になっていた。

「書き終わったら、紙は筒状に丸めて紐で結ぶんだ。最後にひとつだけ……、本当に忘れてもいいのかい?」

「はい。ここからリセットして再出発するんです」

 丸めた紙をボトルフィッシュの体に詰めると、波打ち際まで移動して尾ヒレの栓をした。栓をした途端に、ボトルフィッシュは息を吹き返したように動きだして、僕の手の中でピチピチと暴れ回り、自らの力で海へと戻っていった。

「あのボトルフィッシュはこの浅瀬で暮らしていくんですか?」

「ボトルメールを受けとったボトルフィッシュは、この浅瀬から離れていく習性があってね。囲いとなっている岩礁にはちょっとした隙間があって、そこから外の海へと泳いでいくのさ」

「本当にボトルメールみたいだ」

 しばらくすると、僕の頭の中のモヤモヤが整理されて軽くなったような気がしてきた。

「どうだい、お兄さん。せっかくだから、一杯飲んでいくかい? 小屋の中で面白いものを見せてあげよう」

 男性が小屋の入口のドアノブに手をかけて、空っぽの片手を傾けるようなジェスチャーをした。

「とてもスッキリとした気持ちなので帰ります。色々とありがとうございました」

 男性の誘いを断ると、僕は森の方へと歩きだした。
 せっかく取るに足りない記憶を全部、海に流せたんだ。今はなるべく、この大掃除をした後のような清々しい感覚を味わっていたかった。
 

          
          
          
 
 南の島を私が訪れたのは、大学の卒業旅行以来だった。
 出張以外でのプライベート旅行も、のんびりと海辺を散策するのも、実に何十年ぶりだった。
 大昔のおぼろげな記憶だけを頼りに森の中を歩き回っていた私は、小さな入り江に辿り着いた。

「そうだ、確かにこの場所だった。間違いない」

 砂浜の近くには、見覚えのある三角形の屋根をした木造の小屋が建っていた。

「こんにちは」

 入口のドアノブを回して小屋に入った。外からは想像できないほど天井が高い造りになっていて、年月を感じさせる味のある立派な梁が剝きだしになっている。その下ではシーリングファンが回転していて、壁にはたくさんのレコードジャケットが飾られていた。
 
「やぁ、いらっしゃい」

 小屋の隅に設置されたカウンターの奥から、麦わら帽子をかぶった老人が姿を現した。お互いに随分と歳をとったが、それでもあの日、私にボトルフィッシュ釣りを教えてくれた男性だということはすぐにわかった。

「この場所はボトルフィッシュが釣れる場所でしたよね?」

 噴きでる汗をハンカチで拭いながら、私は老人に確認した。

「そうさ、アンタだいぶ昔にもここに来たことがあるね。何か忘れたいことでもあるのかい?」

 どうやら、老人も私のことを覚えていてくれたようだ。

「実は、その逆でして。忘れたことを思いだしたいんです。そんなことができるものですかね?」

 私はすがるように老人の目を見た。

「できるよ。もしも、手紙が回収されていれば、ここにあるはずさ。ちと大変だが、自分で探し当てるといい」

「手紙の回収というのは?」

「ボトルメールを入れたボトルフィッシュはこの入り江を離れると、長い時間をかけて世界の海を回遊して、この入り江に戻ってくるという帰巣本能があってね。戻ってきたボトルメールは回収して、真っ白なレコードジャケットの中に入れてここで保管しているのさ」

「でも、真っ白なジャケットじゃ判別が……」

「なぁに。入れた途端にジャケットは書かれた手紙の内容によって変化するんだよ。手紙を書いた本人ならば、ジャケットに触れたらわかるはずさ。ゆっくりと探していくといい」

 老人はカウンターに置いてあった分厚い本を開くと、ページをめくって読み始めた。
 私は隙間なく収納されたレコードジャケットを棚の端から漁っていくことにした。
 対立する人々が争い、傷つき、血を流しているジャケット。
 暗い部屋にぽつんと一人、膝を抱えている少女のジャケット。
 スーパーマーケットの棚から、商品を万引きする少年のジャケット。
 お葬式で涙を流す鬼たちのジャケット。
 どれもレコードのジャケットとしてはセンスの良いデザインではあったし、手にとるとジャケットのデザインが動画のように再生されるギミックも面白かった。しかし、どれも誰かの忘れたいことがジャケットに反映されていると思うと、とても気が重くなる。
 すべてのレコードを見終えたときには、五時間ほど経っていた。

「どうやら、ピンとくるものはなかったようです」

「そりゃ、残念だぁ。しかし、なんでまた今になって?」

 ずっと本を読んでいた老人が顔を上げた。

「私はね、大学を卒業してから仕事だけに打ち込んできたんですよ。せっかく無駄な思い出を整理できたんだ。これからは、本当に意味のあることだけに自分の時間やスキルやお金を使おうとね。昇進に繋がることがあれば、喜んで時間を費やしてきました。大学の友人とも就職してからは疎遠になったが、それでいいと思っていました。そのかいもあって、管理職にまで昇進することができましたよ。仕事至上主義だった私は、時には頑固者だとか、遊びがないともよく言われました。それでも、私は私の生きたいように、意味のあることだけを追い求めてきました。
 でもね、気がつけば私の周りには心を許せるような人が誰もいなくなっていたんですよ。定年を迎えて、広い部屋の中で孤独に考えたんです。仕事を引退した私には、ゆっくり思いだして浸りたくなるような記憶が何も残っていないと。それで、気分転換に旅行でもしようとしたときに、この島のことをふと思いだしたんですよ。でも、何を今更といった結果でしたね」

 諦めて小屋を後にしようと、ドアに向かって歩いていったときだった。
 ドアの真上に、一枚のレコードジャケットが飾られているのを私は見つけた。
 若いころの友人たちと私が車に乗っていて、満車になったコインパーキングの前で呆然としている。なんてことないジャケットだった。
 そのジャケットに手で触れた瞬間、私たちを乗せた車は動きだし、私はすべてを思いだした。
 子供のころに得意だった猿のモノマネを家族に披露したこと。
 砂場で友達と協力して大きな落とし穴を掘ったら、一緒に落ちて砂だらけになったこと。
 河原で水切りに適した石を、弟とひたすら探したこと。
 帰り道に生えていたアスパラガスを立ち小便で育てようとしたこと。
 授業中にバレないように早弁するタイムを競い合って、友達が弁当を噴きだしたこと。
 部活帰りに友達とお好み焼き屋に立ち寄って、豪快にひっくり返すのを失敗したこと。
 誕生日ケーキに友達を顔面ダイブでお祝いしたこと。
 文化祭でゾンビメイクをしたら、なかなかメイクが落ちなくて家族に笑われたこと。
 自転車を何人乗りできるか友人と検証したこと。
 旅行先で友人が顔はめパネルに頭を突っ込んで抜けなくなったこと。
 朝までどうでもいい話題を肴に飲み明かしたたくさんの夜のこと。
 駐車場がどこも満車で、友人たちと車で探し回っているうちに疲れてしまって、そのままドライブして帰ったなんでもない一日のこと。
 気がつけば、私は涙を流しながら、笑っていた。どうでもいい記憶だと思っているのに、なぜこんなにも愛おしくてたまらないのだろう。

「どうやら探し物は見つかったようだね。どうだい一杯、付き合ってはくれないかい?」

 本を閉じた老人がカウンターにウィスキーの瓶とグラスを置いた。

「では、せっかくなんで」

 目元をハンカチで拭って、私は椅子に座った。
 老人と酒を酌み交わしながら、取るに足りない話をたくさんした。

「珍しい酒を試してみようか。ボトルフィッシュの瓶で熟成させたウイスキーがあってね」

 カウンターに置かれたガラス瓶のコルクには尾ヒレがついていた。栓を抜いて、新しいグラスに注がれたウイスキーの表面は、波が寄せては返すように揺れている。

「では、水割りでいただこうかな」

 酔いも回ってきたこともあって、さっきまでチェイサーで飲んでいた水を私はグラスに入れようとした。

「いかん!」

 老人が注意したときにはもう遅かった。グラスに水を注いだ瞬間に、グラスから派手に水飛沫が上がり、私の顔や服はびしょ濡れになっていた。目の前にいた老人も道連れだ。

「な、何が起きたんだ?」

 グラスの中のウイスキーは減っていなかった。

「ボトルフィッシュは『割れない魚』って呼ばれていてね。その効力なのか、割ろうとした液体を弾いちまうのさ」

「くだらない。なんて、くだらない冗談なんだ。まったく馬鹿馬鹿しい。くっくっくっくっ」

 私たちは大笑いして乾杯すると、スモークされた魚のような香りと口当たりのウイスキーを流し込んだ。


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