【アジカンSSのお時間-Introduction-】ワールドワイドワード
「アジカンといつか何かを作りたい」
LIVE終演後の冷めやらぬ熱気と余韻がまだ残るステージを見つめながら、そんな想いが浮かんでくるようになったのは、いつからだっただろう?
「ミュージシャンとして、いつかアジカンと対バンを!」
とか、
「映像作家として、いつかアジカンのMVを!」
とか、
「音楽ライターとして、いつかアジカンのインタビュー記事を!」
とか、
そんな明確な夢の形すら、あの頃の僕にはまだ見つけられていなかったし、見つけようともしていなかった。
とにかく毎日が同じような日々の繰り返しに思えて、そのループから抜け出すための手段すら考えられずに思考停止し、ただただ周りに流されるように生きていた20代前半。
そんな日々の中であっても、捨てずにずっと持ち続けていたのは、自分の持てる何かを活かして、いつかアジカンと何かを一緒に作りたい、何かを作るんだ、という超がつくほど漠然とした想いだった。
そして、2023年。アジカンがメジャーデビューして20周年をむかえたタイミングで、胸の奥に埋まったままだった想いを掘り起こすときがきたのだ。
【アジカンの楽曲からインスピレーションを得たショートショート作品を形にしていく】
簡単にいうなら、アジカンがこれまで発表してきた楽曲からインスピレーションをもらい、短くて不思議な物語のショートショート作品を完成させ、全10回(note創作大賞2024応募時では7回)に渡って投稿するという試みだ。
僕にとっても、アジカンの音楽と出会ってから20年の節目。
「アジカンといつか何かを作りたい」という想いを形にするときは、今なんじゃないか?
じゃないと、その「いつか」はもうやってくることはない、そんな気がした。
ショートショート作品を書く前に、今回の記事では僕とアジカンの出会いから『アジカンSSのお時間』を執筆する決心に至るまでの経緯をお話したい。
なぜならば、僕にとってアジカンはとても特別なバンドだから。
2003
ASIAN KUNG-FU GENERATION
通称アジカンと呼ばれる、2003年にメジャーデビューした4人組ロックバンド。
アジカンとの出会いは、高校3年生の春。
深夜の音楽番組『ELVIS』だった。
インディーズバンドやこれからくるであろう注目バンドを中心に取り上げる番組で、高校に入ってから、メロコアや青春パンクといったジャンルのバンドにどっぷりはまっていた僕にとっては、毎週の楽しみだった。
ある日のバンド特集で、大プッシュされたのが『ASIAN KUNG-FU GENERATION』だった。
最初にバンド名をきいたときは、「なんだか長くて大袈裟な名前だなぁ」と斜に構えかけたが、彼らの楽曲を聴いてすぐにそんなものはぶっ飛んだ。
なんとも地味な大学生風の4人組が埃をかぶった部室で日本語ロックを掻き鳴らし、眼鏡のボーカルがとにかく叫んでいた。部室内で横殴りの雨に打たれ、強風が吹きつける中、眼鏡がくもったボーカルは額に前髪をペタッと張りつけながらも叫び続けている。
なんなんだ、このバンドは……めちゃくちゃかっこいいじゃねぇか!!!!!
アジカンの特集が終わった後も、しばらく胸のドキドキは止まらなかった。
その週末、父親に頼み込んで、地元から離れた大きな街のレコードショップまで車を出してもらい(田舎のCD店には絶対置いてないと確信)、念願のCD『崩壊アンプリファー』を購入することが叶った。
目を引くジャケットのイラストも素敵じゃないか。
歌詞カードを開く。
よく意味はわからないけど、かっこいい日本語詞で書かれているぞ。
再生ボタンを押す。
1曲目の『遥か彼方』やっぱりかっこいいなぁ。
2曲目の『羅針盤』もしびれるぞ。
3曲目の『粉雪』のコーラスも最高だ。
というか、全曲良いんだけど……。
何度も何度も繰り返し聴くうちに、アジカンの音楽にどんどんとのめりこんでいった。
当時の僕は、良いバンドを発見しては音楽好きな高校のクラスメイトに情報を共有したり、実際にCDを貸したりすることを生きがいとしていた。
週明けの教室で僕はクラスメイトにこう言ったはずだ。
「良いバンドを見つけたよ」
「なんてバンド?」
「ASIAN KUNG-FU GENERATION」
それから、僕は教室や部室、中学の同級生やらに、ひたすらASIAN KUNG-FU GENERATIONを普及させていった。
覚えたばかりの最新のビジネス用語のごとく、ことあるごとに、今後の音楽潮流としてアジカンは知っておくべきだね的な得意気な口ぶりで、新規のアジカン顧客を獲得していった。
僕の高校3年生は、確実にアジカンに支えられていた。
というのも、学生の本業でもある勉強は、もう本当にひどいものだったからだ。
とりあえず大学に行く、というこれまた超漠然とした進路希望だったこともあり、勉強に全くと言っていいほど身が入っていなかった。
なので、第1志望の大学に合格できたことは、本当に奇跡だったと思う(すべり止めは全部落ちた)。
田舎から上京し、ぬるっと大学生活に入った後も、アジカンの新曲がリリースされるたびに心を掴んで離さなかった(2004年はシングル4枚+アルバム『ソルファ』リリースという黄金期でもあった)。
2005年の千葉で開催された夏フェスSUMMER SONICで、ついにアジカンのLIVEを初めて体験した。
メインステージであるマリンスタジアムの前方でもみくちゃになりながらも、汗だくになって拳を突き上げ飛び跳ねていた記憶しかない。
アジカンの生の音楽を全身に喰らったその辺りから、音楽のLIVEにふらっと行くようになった。
渋谷クラブクアトロが初めて一人で行ったライブハウスだったっけ(通過儀礼の柱の洗礼を受ける)。
大学時代の僕は、学校に行ったり、サボったり、バイトをしたりしていた。
延々リピート再生のような変化のない日々を繰り返す中、アジカンのリリースや音楽を聴くことだけが楽しみだった。
アジカンの音楽は好きだけど、自分という人間は何をしたいのだろうか?
ふと、そんな問いが浮かんでは、答えを探すわけでもなくすぐに消えていった。
大学を卒業した後も、飲食店で働きながら、アジカンのリリースやLIVEを楽しみにするだけの特に変わらない生活を続けていた。
2010
そんな毎日が少し動きだしたのは、2010年だった。
アジカンの『ソラニン』という楽曲のMV撮影のエキストラ募集を見つけたのだ。
出不精のプロみたいだった僕だったが、原作漫画のファンだったこともあり、この機会を逃してなるまいと、珍しく応募してみることにした。
そして、なんとMV撮影に参加できることになったのだ。
新横浜の小さなライブハウスで観客の一人となって、何度も曲が流れる中、ステージのアジカンの演奏に合わせて拳を突き上げた。
MV撮影はライブシーンだけではなく、ボーカルであるゴッチこと後藤さんが客席の後方から、自分たちのLIVEを見ているというシーンの撮影もあった。
ち、近い……。
僕は後方の位置にいたこともあり、ゴッチの突然の登場にフロアがざわめきだす。
正直、直視することができなかった。
自意識が大爆発した僕は、ここから見える距離ということはゴッチからも見えているということじゃないか、といらぬ心配で頭がいっぱいになり、人の陰からチラチラ覗いては静かに喜びをかみしめていた。
何はともあれ、大好きなアジカンの作品に携われたことが本当に嬉しかった。
このMV撮影を境に、同じ場所をぐるぐるしていた毎日が転がり始めた。
飲食店の仲間うちで、仕事終わりにホワイトボードを持ち寄って集まり、なぜか大喜利をするようになったのだ。
それぞれの発想を活かし、面白いと思う回答をひたすら出していく。
とても懐かしい感覚だった。
中学校に進学してからすっかり忘れていた、小学生の頃に夢中だった創作の楽しさをだんだんと思いだしていった。
そのうち、今度は仲間内で小説を書こうということになって短編小説を初めて書いた。
出来上がった初の短編小説のタイトルは『融雪』だった(アジカンの曲名より。『未だ見ぬ明日に』収録)。
創作をしだすと物語の作り方などに興味を持つようになって、脚本の学校に学びに行ったり、ショートフィルムの絵コンテを書いてみたり。
自ら外の世界へと足を運ぶようになり、やったこともないことに挑戦するようになった。
2014
中編から短編くらいの長さの小説を書き始めて3年が経った頃、もっとアイデアの瞬発力を活かせる短い物語を作ることが自分には向いていると思い、ショートストーリーというジャンルにたどり着いた。
ショートストーリー系の公募にボチボチ応募しながら、ショートショートというジャンルと出会ったのが2018年だった。
それからというもの、「とても短い物語の中で、どんな作品を作ることができるだろうか?」と、とにかく色んなアプローチで作品を書き続けた。
その5年間の中で、自分の強みだったり、書きたいスタイルを自覚できたことは、今までの創作に費やしてきた膨大な時間の流れの中でもとても大きかったと思う。
2023
そして、アジカンのメジャーデビューから20年が経った2023年、4度目の挑戦でずっと目標としていた第19回坊っちゃん文学賞の大賞を『ジャイアントキリン群』という作品で受賞することができた。
そして、この『アジカンSSのお時間』を書こうと決めた日のこと。
2023年8月末日、渋谷クラブクアトロに対バンとして出演するアジカンを観に行った。
上京して、初めて一人で行った思い出のライブハウスで、まさかアジカンを観れる日が来るなんて。
フロア後方の少し高くなっているBarスペース付近の柱横から、アジカンのLIVEを観ることにした。
1曲目の『遥か彼方』からアクセル全開かつ、ロックバンドとしての風格すら感じるどっしりとした太い幹のような音には、20年という音楽の年輪が確かに刻まれていて、一気にフロアを熱くさせていく。
2曲目の『羅針盤』に繋がった瞬間、完全に2003年の自分に戻っていた。
初めて買ったCD『崩壊アンプリファー』の流れだ。
あれから色々あったなぁ、という記憶がフラッシュバックする。
そこまで大箱のライブハウスではなかったから、アジカンをとてもとても近く感じる。
ちょうどゴッチのマイク正面の場所にいて、正面を向いたときの目線の高さも僕と合っていた。
そこでMV撮影に参加したとき、ゴッチを直視できなかった自分をふと思いだした。
今度は、まっすぐとゴッチを見て、笑って、拳を突き上げた。
今の自分はあの頃の自分とは違うんだ。
終始、楽しそうに演奏するゴッチが笑い返してくれたような、そんな気がした。
過剰な自意識だけは変わっていないのかもしれない、と思ったけれど、演奏時間以上に受け取るものが多かった素晴らしい夜だった。
この記事を書くにあたり、これまでの20年を振り返ってみた。
改めて可視化してみると、ぐるぐる抜け出せなかった時期だったり、色々な創作表現を模索してきた日々が浮かび上がってくる。
この頃はアジカンのこの曲に背中を押してもらったっけ、だいぶ救われたよなぁという記憶も、当時の感情とともにしっかりと心に刻まれていたことを再確認することができた。
そして、2023年も終わろうとしている12月の今、このアジカンSSのイントロダクションを書いている。
正直に話せば、この企画自体はずっと頭の片隅にはあった。
だが、漕ぎだしてしまえば最後、ゴールへと向かわなければならない。
書きたいという気持ちはあっても、その踏ん切りがなかなかつかないでいた。
アジカンの楽曲の空気感をショートショートに込めつつも、ショートショートとしての不思議な要素も薄めたくない。
もっと簡単なコンセプトにすれば書きやすかったのかもしれないが、エンタメショートショート作家としては、この面倒で書きにくいコンセプトを掲げることにした。
【アジカンの楽曲からインスピレーションを得たショートショート作品を形にしていく】
どう転ぶかはわからないけど、とても魅力的な挑戦に思えたし、何よりも心がワクワクしたからだ。
8月の最後に観たアジカンのLIVEで演奏された『羅針盤』の歌詞ではないけど、踏ん切りがつかないままの状態から一歩前に踏み出すことを、最後は自分で選んで決めた。
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました。
各ショートショートの最後にはインスピレーションを受けたアジカンの楽曲を置いておくので、物語のエンディングソングとして、一緒に楽しんでもらえたら嬉しいです。
アジカン好きの方はもちろん、音楽が好きな方、ショートショートが好きな方にも届いてくれたならば最高です。
それでは、ワクワクするような不思議なアジカンSSのお時間が始まります。
どうか、自由に楽しんでいって下さい。
文章や物語ならではの、エンターテインメントに挑戦しています! 読んだ方をとにかくワクワクさせる言葉や、表現を探しています!