【アジカンSSのお時間④】クロークワーク
時計台の鐘が鳴り、僕たちは所定のカウンターに待機した。
外のロータリーに鉛色のバスが何台も到着し、一斉に乗客が降りてくる。今日も時間通り、忙しくなる。ホールはあっという間に人でごった返し、もはや列があるのかもわからない。
「お預かりするものはなんでしょうか?」
「この時計を預けたい」
いかにも裕福そうな身なりの老人だ。それは金の時計だった。
「かしこまりました」
老人は渡す直前まで、何かを思い出すようにその時計をじっと眺めていた。
預かり証に名前を記入してもらい、番号札と引き換えに時計を預かる。
「お預かりするものはなんでしょうか?」
「この子を預けたいの」
若い母親と幼い男の子だ。男の子はゲームに夢中のようだ。
「かしこまりました」
この子にはここで働いてもらう。母親は最後に男の子をぎゅっと抱きしめた。
預かり証に僕の受領サインを書き、番号札と引き換えに男の子を預かる。
「お預かりするものはなんでしょうか?」
「この死体を預かってもらいたい」
澄んだ目をした色白の青年はトランクを指さした。中身を確認すると、女性のバラバラ死体が入っている。
「かしこまりました」
彼は番号札をもらうと、肩の荷が下りたように口元に笑みを浮かべ、口笛を吹きながら立ち去った。
ここは、クロークタウン。
この先にある世界最大の工場街へ続く一本道の最後の中継点。
世界最大のクロークだ。出稼ぎのワーカーたちの大切なものや不要なものを預かる場所。
工場街へは最低限の荷物しか持ち込めない。そういう決まりになっていた。
ここで預かれないものはない。預かり証に本人の署名とスタッフの受領サインが揃えば、番号札が手渡される。番号札を返却することで、いつでも預けたものは取り出せる。とてもシンプルだ。
僕はクロークタウンで働くスタッフの一員。スタッフは長年働いているベテランから短期スタッフまで大勢いて、みんなこの街で暮らしていた。
工場街へのバスは毎日、運行していて、年末のこの時期はバスの臨時便が出るほどワーカーが増えるため、僕たちの仕事は大忙しだ。
添乗員の点呼が終わり、バスが工場街へ向けて出発すると、ホールは再び、静けさを取り戻した。
「あれ? アカリ、見ませんでしたか?」
臨時便の乗客の預かり証を整理し終えた僕は、広いホールを見渡しながら近くにいた同僚に尋ねた。
「さっきまでいたぞ。休んでくるって言ってたな」
預かったトランクをベルトコンベアーに乗せながら、同僚が返答する。
「僕も休憩、入ります」
ホールでは預かったばかりの男の子が掃き掃除をしている。男の子の頭をぽんと撫で、ポケットから飴玉をひとつ取りだしてあげると、僕はスタッフルームへと急いだ。ロッカーから弁当箱をとると、広大なクローク内を移動すべく、バギーカートに乗り込んだ。
クローク内の道路を荷物運搬用トラックが何台も走っていて、保管場所ごとに分岐していく。
ありとあらゆる衣服を保管するウォークインクローゼット。
大量の手紙を保管するレター図書館。
お金や貴重品を保管する地下鉄金庫。
犯罪関係の預かり物を保管する黒の監獄。
トラックが向かっていく建物を横目にバギーカートを走らせ、この街の中心である時計台にやってきた。
アカリのバギーカートがある。やっぱり、あの場所か。
時計台の中へ入ると、剥き出しの大小様々な歯車が休みなくガコンガコンと回転している。中央部分に設置された鳥かごのようなエレベーターに乗り込むと、時計台の最上階のボタンを押した。
アカリはここで働く僕と同い年の女の子だ。
飾らない明るい性格や丁寧な対応が乗客からも評判だが、仕事が落ち着くといつの間にかいなくなってしまう。仕事中は分け隔てなくみんなと楽しく話しているが、どこか距離を置いている。僕はそんなアカリのことが気になっていた。
大体、時計台の屋上にいて、僕らは同い年ということもあって、よく二人でくだらない話をしていた。今日だって、いつものように時計台にいるのだろうと思った。けど、同僚の言葉が引っ掛かった。きちんと誰かに告げてから休憩に入ったからだ。いつもアカリは何も言わずに休んでいた。なんだか妙な胸騒ぎを覚えた。
エレベーターは最上階に到着した。
アカリは煉瓦造りの屋上の縁に座って、両足を振り子のようにぶらんぶらんとさせていた。
「お疲れ」
声をかけ、僕は彼女の近くに座った。
眼下にはクロークタウンが広がっている。上から見ると、さっき通ってきた道路が巨大な模様のように敷地内に張り巡らされているのがわかる。
遥か彼方には、工場街から吐き出される煙が横並びに何本も薄っすらと見えて、ゆらゆら揺れる灰色の帯のようだ。あとは見渡す限りの荒野が広がるばかり。
「気分でもすぐれない?」
僕の問いかけに、彼女は黙って首を振った。
「毎日、忙しいもんな。そりゃあ、疲れるよ」
持参した弁当をつつきながら、僕は遠くの山脈に沈もうとしている夕日を眺めていた。
「また、寒そうな格好してる」
彼女は呆れたようにつぶやいた。
確かに外は日も落ちてきて、だいぶ寒くなってきていた。僕はいつも仕事着のまま来てしまうが、彼女はスタッフに支給される冬用のコートを羽織っていた。
「仕方あるまい」
彼女は僕の隣に体をぴたっとくっつけると、大きめのコートの半分を肩にかけてくれた。
彼女の体温に包まれたような暖かさ。それに、今、ひとつのコートの中に僕とアカリがいる。頭が真っ白になっている隙に、見事に弁当の卵焼きをつまみ食いされた。
「うみゃい」
「うみゃいって」
僕らは大笑いした。結局、いつもと変わらないくだらない話をしながら、弁当を二人で分けて食べ終えた。
ただの杞憂だったのかもしれない、そう思いかけた時だった。
「私ね、今日でここを辞めるの」
「……どうして。冗談だよね?」
唐突な彼女の告白に、驚きを隠せなかった。
「迎えがくるの」
「迎え? そうか! 工場街へ行くんだね。夜の便だ。ここのスタッフでも工場街へと働きにでる人がいる。別に今日じゃなくたっていいじゃないか。もう少し、暖かくなってからでも。だから、もう少しここにいなよ。僕も一緒に行くよ」
「本気で言ってる?」
彼女の語気が強くなった気がした。
「ほ、本気さ。だって、あれだけのワーカーに仕事があるんだ。きっと、巨大な工場街に違いない。ここよりも何だってあるはずさ。僕たちも仕事をして、休日には遊んで、一緒に暮らすのも悪くないかなって」
「それって、プロポーズ?」
彼女のまっすぐな視線と言葉に何も返すことができなかった。
「そしたら、ここに何を預けていくの?」
その言葉に、自分の部屋にあるものを思い浮かべてみた。だが、何も預けるものなんてなかった。
「預けるもの、ないや」
「そう。君は預ける必要はない」
「どういうこと?」
「預ける必要はないし、工場街へ行く必要もない。そこは君の行く場所じゃない。知っているでしょ? 工場街から荷物を取りに帰ってきた人なんていないの」
彼女の真意が僕にはわからなかった。
「私はもう預けているの」
「えっ?」
彼女は立ち上がり、屋上の縁をバランスを取りながら歩き始めた。
「それがもうすぐ返されるの」
「もうすぐって」
「今日」
「何を……預けたの?」
「死」
一瞬だけど、時間が止まったような錯覚を覚えた。その言葉の意味がすぐにはわからなかったけど、とても不吉な予感が僕の中で広がっていくのがわかった。
「私は死を預けたの」
彼女は番号札を僕に見せた。
「私はここに鉛色のバスに乗ってやってきたの。乗っている間、ずっと震えが止まらなかった。おそらく、理解していたんだと思う。君はここで働いていた。嬉しかった。生きていてよかったって。もう少しだけ一緒にいたいと思った。まだ、死にたくない、って願った。
そしたらね、強く風が吹いて、新しい預かり証が飛んできたの。私が名前を記入すると、その預かり証は風に飛ばされて、番号札がどこからか飛んできた。きっとあの風が私の死を預かってくれたの。そして、私は何食わぬ顔でここで働きだしたってわけ。ズルしちゃった。でも、もうすぐ迎えがくる」
遠くから風の気配がした。
「ほんの少し、でも私にとってはとても長い時間だった」
彼女は僕に向かって、何かを投げた。
それをキャッチすると同時に……僕は思い出した。
コートを投げ捨てて立ち上がり、彼女のもとへと走った。
すべてがスローモーションだった。夕日が彼女の横顔を照らしている。僕は手を伸ばした。彼女の唇がゆっくりと動く。
「ありがとう」
彼女に触れようとした瞬間。強く吹いた風が彼女の輪郭を砂粒のように脆くし、奪い去っていった。僕の体はさっきまで彼女だった粒子をすり抜ける。頬に水滴のようなものが触れ、向こう側に派手に転んだ。
そうだった。
僕は彼女が死を預けたことを彼女の口から聞いた。僕は受け止められなかった。いつか彼女に死が返ってくることから目を背けた。預かり証をでっち上げて、彼女との記憶を預けて。彼女が僕の番号札を預かってくれていたんだ。結局、僕もズルしていたんだ。
馬鹿だなぁ、本当。大馬鹿だよ。
目を覚ますと、病院のベッドの上だった。
僕はすべてを理解した。生き残ったのだと。
両親の話では僕は数日間、眠り続けていたらしい。あの街での暮らしはとても長かったはずなのに……。そして、ずっとコインロッカーの鍵を握りしめていたらしい。
あの日は僕の誕生日だった。
いつものバス停で、いつもの時間のバスを、いつもみたく待っていた。
「おはよう。あれ? さっき会ったっけ。まぁ、いいや。また、寒そうな格好して」
いつもみたくアカリと他愛もない話をしていた。あの日は、いつも遅れるバスが時間ぴったりにきたんだった。
「珍しいねぇ」
この時に、運命の歯車がずれたんだな。
バスはいつも通り混んでいた。いつも見かける乗客たち。いつも通りの朝のはずだった。
「はい、これ」
どんなタイミングだったかは忘れたけれど、彼女に渡されたんだった。
「何、これ」
「駅前のコインロッカーの鍵。帰りに開けてみて」
「何だろう」
「開けた瞬間に……どかん!」
「脅かすなよ」
制服のポケットにしまい、僕はコインロッカーの鍵をぎゅっと握った。そこで大きな衝撃がして、目の前が真っ暗になったんだ。
大通りの交差点にはいくつもの花が置かれていた。あの日の荷物運搬用トラックとの事故によって、何人かの人が亡くなった。彼女はそこに含まれていて、僕は含まれなかった。静かに手を合わせてから、松葉杖をついて駅前へと移動した。
駅前のコインロッカーには鍵がかかったままだった。鍵を差し込み開錠すると、ゆっくりと扉を開ける。
中身は空っぽだった。
彼女の冗談だったのか?
それとも回収されてしまったのか?
だとしたら、なぜ鍵がかかっていたんだろう?
しばらく考えていると、コインロッカーの奥の壁が開いた。
冷たい空気が流れ込んできて、慌ただしい風景が僕の目に飛び込んできた。
制服の上に冬用のコートを羽織ったアカリが目の前にいる。手を伸ばせば触れられそうな距離だった。一瞬、目が合ったような気がした。彼女は首を傾げ、紙袋をコインロッカーに入れて、扉を閉め、鍵をかけた。
あの日の朝の彼女だ。
「行くな!」
大声で叫び、コインロッカーの奥の壁を叩いたがびくともしなかった。
紙袋を取り出し、中身を見ると暖かそうなマフラーが入っていた。紙袋ごと抱きしめると、僕はしばらくその場から動くことができなかった。
すごく短い時間だったかもしれないし、とてつもなく長い時間だったかもしれない。
「預かったよ」
そうつぶやいて立ち上がった頃には、日は落ちはじめて風が冷たくなっていた。
僕はマフラーを巻いて、彼女のいない街を踏みしめるように歩き出した。
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