小説『ワンダリングノート・ファンタジー』(59)水面を見て
Chapter59
この世界は出来すぎている。太陽や月、重力と距離⋯⋯どれも絶妙なバランスを保って創られている。これは偶然ではなく、何かの「意志」が作用しているものだと感じる。通常、これは限られた存在──神のみが操作できる事象だと思われがちだが、そんなことはない。全ては個々の、願いの力で造られる。
「トム⋯⋯そこにいるのね?」
レナが話しかけてくる。残念ながら今、ここでは直接的な物理干渉ができない。これは僕の想像が生み出した世界で、あくまでイメージ上の物語なのだ。作者がストーリーに直接介入できないのと同様、キャラクターたちの意思を尊重しなければならない。
僕は試しに、鏡の世界から持ち出した古書のページを一枚破ってみた。切り離された紙片には、自分の持っていたペンで文字を書き込むことができた。僕の姿が見えないレナに、最低限伝えるべきことを書いてそれを彼女に手渡したが⋯⋯本当に上手くいくのだろうか?
「え⋯⋯? この紙切れは何? 突然空中から現れたわ⋯⋯!」
──レナ、君の力が必要だ。君が今そこにいる世界は、君にとっては真実だけど、僕にとっては、想像の世界でしかない──
「って⋯⋯何よこれ? トム! これは一体何のことなのよ!?」
ちょっとしたチートってやつを、僕はやった。それでもこれが本当に期待通りの世界であるなら、ある程度の融通は効くはずだ。こちら側から無理ならば、レナの側からアクションを起こしてもらう他はない。彼女が「自分の意思」で動くことで、この世界の法則に変化を与えるかもしれない。
「これでいいのかい? ⋯⋯君に言われた通りにやったんだけど」
「それで大丈夫。事象を揺るがせずに確定するための、限界のところまで実行できた。あとは彼女⋯⋯レナの行動次第」
古書のおかげか鏡の世界とのアクセスができた僕は、頭の中で黒装束のレナとの交信を密かに続けていた。この想像の世界を現実に変えるための準備を進め、すべてが自分の記憶として確定すれば、計画は完了する。
「お姉ちゃ〜ん! これ見て! 珍しいでしょ!?」
子供の僕が両手の中に何かを隠しながら、楽しそうに持ってきた。レナの目の前でそれをこっそりと開いて見せるが、この距離からではよくわからない。子供のレナは嫌そうに数歩後ずさり、両手を振り回して叫んでいる。
「もう! トムったら、またそんなもの見つけて〜! 私がそれ、嫌いなの知ってるくせに〜!!」
「何それ⋯⋯生き物? カエルじゃない! でもその色⋯⋯」
レナは少し顔を引いたが、もの珍しそうにそれを見つめ直している。興味が湧いた僕は、もっとそこへ近寄った。
「すごくない!? 金色のカエルだよ!? そこで偶然、飛び跳ねてたんだ! ⋯⋯あっ、逃げた!」
カエルは瞬く間に池に向かって跳ねて行き、水面に小さな波紋を残して消えた。特殊な俯瞰視点でカエルを追いかけていた僕は、自分の息遣いさえ感じるほどに没入していた。その時、不意にエテルナル・ミラーからのアクセスがあり、レナの声が頭に響いてきた。
「トム・ホーソーン、その水面に違和感を感じたら⋯⋯あなたは再び、覚悟を決めなければならない」
その瞬間、体中に緊張が走った。そして否応なしに気づいてしまった。水面の波紋が、突然静止したのだ。
「波紋が⋯⋯止まったぞ!? いや、これはまるで⋯⋯逆再生のようだっ!!」
一度停止した波紋が収縮を始め、そこにうっすらと何かが見え始めた。俯瞰するヴィジョンを通じて、池の水面を真上から見下ろした。
僕は言われた通り、覚悟を決めざるを得なかった。そこには、恐ろしく冷酷な目つきをした、あの男の顔が映っていた。それは水面のすぐ下からぼんやりと、やがてゆっくり浮かび上がってきた。
「こ、これはっ! ⋯⋯ダン!!」
その顔を目に焼き付け、男の邪悪な力が放たれる前に、僕はレナに向かって叫んだ。声が届くはずがないと知りながらも。
「レナっ!! みんなを連れて、逃げろっ!!」
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